気が付かせる三本足のフェレット

増田朋美

気が付かせる三本足のフェレット

気が付かせる三本足のフェレット

今日は、少し曇っていて、やや寒い日だった。でも、若い人たちはそんな事気にしないで、のんびりと会社に出かけたり、家で勉強したりしていた。学生たちは、学校に出かけて、みんなそれぞれの授業を受けていたが、学校という密閉された空間に閉じ込められてしまうと、勉強というものを、なかなか本気でやろうという気にならなくなってしまうようだ。居眠りをしたり、隣の人としゃべったりする生徒が、非常に多くみられる。

ただ、みんな真面目に勉強しようとしている学校も、本当にごくわずかだけどもあった。それは名門の進学校か、それ以外にもう一つある。それは、一度、社会のレールから外れた生徒が、もう一回やり直したくて、通ってくる学校だ。

製鉄所の利用者の中には、そのような学校に通っている生徒も、少なくなかった。だから、みんな真面目に、製鉄所のそれぞれの個室や食堂で、お互いに教えあったりして、勉強をしている光景がよく見られた。製鉄所の利用者たちは、お互いを敵としてみることは、余りないようで、わからない問題があったりすると、快く隣に座っている者が、解き方を教えてやっていた。その代わり、別の問題を、聞かれたものが教えるという事もよくあった。同じ学校に通っている生徒同士という事は、あまりなく、みんな違う学校に通っているし、目指す高校や、大学も違うので、互いの事を敵とはみなさないのだろう。

「おーい、みんなあ、ご飯だよ!」

杉ちゃんの声が聞こえて来て、みんな勉強するのをやめて、食事の準備に取り掛かる。

「杉ちゃん、今日は、ご飯何?」

「ああ、焼きそば。」

利用者がそう聞くと、杉ちゃんはすぐに答えた。

「やった!焼きそば!」

毎日のご飯の内容を考えるのだって、結構な重労働であるはずだ。なのに、杉ちゃんという人は、にこやかに笑って、ご飯の支度という仕事をこなした。若い人達が、好んで食べる物で、しかも栄養バランス抜群に、作るというのは、なかなかむずかしいはずである。利用者たちは、いい匂い、早く食べようよ!何て言っている。時には、いつも渡されている宅配弁当よりずっとおいしいね、なんて、言っている利用者もいる。杉ちゃんが、利用者たち一人ひとりに焼きそばの入ったお皿を渡すと、みんな、にこやかな顔をして、これ以上幸せはない、という顔をするのだ。願わくは、その気持ちを、いつまでも持ち続けていてほしい、というのが、一番の願いだぜ、と、杉ちゃんは言っていた。

「それではいただきまあす!」

全員にお皿がいきわたると、利用者たちは、にこやかに笑って、焼きそばにかぶりつくのであった。

「さて、晩御飯作ったし、僕は家に帰るかなあ。」

と、杉ちゃんがみんなが食べているのを眺めながらそういった。おかしなことに、杉ちゃんという人は、利用者の食事は作るが、自分のものは作らないのが不思議なところだった。

「杉ちゃん。」

正輔を抱っこして、ジョチさんが、食堂にやってきた。

「ちょっと、お尋ねしたいことがあるんですけどね。」

「何?」

ジョチさんは、杉ちゃんにこんなことを言いだした。

「杉ちゃん、一寸お願いなんですが、いつもこうして利用者さんたちの食事を作っていただいているお礼に、今日はうちでご飯を食べてくれませんか。」

「え、いいの?」

杉ちゃんがそう聞くと、

「ええ、かまいません。うちの店は、今から帰っても、閉店時間まで時間があるはずですから、いただいてくれて今いません。敬一に連絡したら、ぜひ連れてきてくれと言っておりました。」

とジョチさんはにこやかに答えた。

「わかったよ。じゃあ、御宅で頂いていくわ。」

と、杉ちゃんは、ジョチさんから、正輔を受け取って、食事をしている利用者に、明日また来るよと言って、食堂を出て行った。

製鉄所の建物を出ると、小園さんがワゴン車を用意して迎えに来ていた。黙って、杉ちゃんをワゴン車に乗せ、三人で焼き肉屋ジンギスカアンに向かった。

「ただいまもどりました。約束通り、連れてきましたよ、杉ちゃん。」

ジョチさんが入り口から入ると、大きな体のチャガタイが、にこやかに笑って待っていた。小園さんが、杉ちゃんを下ろしている間、ああ、あの子が正輔君か、何て呟いていた。

「で、兄ちゃんと、杉ちゃんにバラコースを二人分用意しておけばいいんだったよな?」

チャガタイは、杉ちゃんをテーブル席まで案内しながら言った。

「ええ、寒いから、しゃぶしゃぶを用意しておいてとお願いしました。」

ジョチさんは、チャガタイに言った。二人は、一番奥のテーブル席に座った。杉ちゃんがテーブル席に就くと、ジョチさんは、チャガタイからだされた、肉の入った竹のざるを、杉ちゃんに渡した。

「どうも有難う!いただきます!」

と、杉ちゃんが、肉にかぶりついた。

「いいえ、食べ物くらいで、喜んでくれて、こちらもうれしいです。僕たちは、焼き肉かしゃぶしゃぶを食べてもらうしかお礼のしようがありませんので。」

ジョチさんがそういうと、チャガタイが、

「君はこれ。」

と、正輔の前に小さめのリンゴを取り出した。正輔も直ぐにリンゴにかぶりついた。

そんな風に、杉ちゃんとジョチさんが、二人でしゃぶしゃぶを楽しそうに食べていると、

「すみません、焼き肉をたべさせてくださあい。」

と、べろべろに酔っ払った若い男の声が聞こえてきた。

「何を言っているんですか。もう閉店三十分前です。閉店三十分前には、もうオーダーはできない事になっております。」

と、チャガタイがそう言っている。

「そんな事話しているばあいかよう。」

若い男は、そう言い返していた。

「変な客でも来たんでしょうかね。」

ジョチさんが、ちょっとしつれいと言っていすから立ちあがると、若い男は、ジョチさんの方を見て、

「理事長さああん、俺、どうしたらいいんですか。俺はもう、教師なんかやってる気にもならなくなってしまいましたよ。」

と、泣きついてくるのであった。よく見ると、その顔は、杉ちゃんにも見覚えがある。杉ちゃんは、この人物が誰なのか、すぐにわかった。

「あれ、魔訶迦葉君じゃないか!」

と、この若い男も、すぐに酔いがさめたらしく、ハッとした顔で杉ちゃんを見た。

「杉ちゃん!もう、困って困ってどうしようもないんです。何とかしてください!」

と、杉ちゃんにすがって、泣くのだった。つまりこの人物は、魔訶迦葉君と呼ばれている、植松直紀だったのである。

「まあまあ、泣くな泣くな。隣に座って。先ず、泣く暇があったら、腹いっぱい食べろ!」

杉ちゃんは、植松を隣の席に座らせて、肉の入った皿を、突き出した。正輔がちょっと怖がっているような顔をして、植松を見ている。ジョチさんが、

「大丈夫ですよ。彼は悪い人ではありませんから。」

と、正輔の頭を撫でてやった。

「で、どうしたの今日は。そんなに酒を飲んで、なにかあったんじゃないか?」

「そうなんだよ。もうこんなことを書かれちゃ、俺はもう教師なんてやっていけないと思われるほど、すごいことが起きたんだ!」

と、杉ちゃんに聞かれて、魔訶迦葉君こと植松は、テーブルをバンとたたいてそういった。

「はあ、また、命がどうのこうのとかで、作文を書いたのか。」

杉ちゃんがそういうので、植松はまた酔いがさめる。

「そうなんですね。まあ、植松さんが勤めている学校は、そういう所ですから、頻繁にそういう作文を書かせることも多いですよね。」

ジョチさんもそう相槌を打った。

「それでまた、例の女の子がおかしな作文を書いたのね。」

杉ちゃんに言われて、植松は、思っていることをすべてわかってしまわれているようで、嬉しいのやら、悲しいのやら、なんだか変な気持ちになった。

「そうなんだ。あの、鮫島徳子。どうしても、命は大切であるという事は理解できないと、また書いてきたんだよ。日ごろから、一生懸命命は大切だって教えているつもりなのに、どうしてこれっぽっちも伝わっていないんだろうか。」

植松はやっと言いたかったことを言った。

「まあねエ、植松さんの学校は、もともとほかのところでひどく傷ついている生徒が、大勢いるんですから、一度や二度の体験では、更生することは、難しいと思いますよ。根気よくやる事ですね。」

ジョチさんがそういうことを言って励ますが、植松はまだなくばかりだった。

「本当は、彼女が周りのものに冷たくなってしまった、原因を探ってみればいいんでしょうけど、なかなか理由を伝えてくれはしないでしょう。理由を自分から話したがる生徒さんのほうが、まだ心の傷は軽いといった方がいいと思います。本当に傷ついている生徒は、理由なんか見せびらかしたりしませんよ。それより、正常さを演じるほうが身についてますからね。若しかしたら、彼女自身が理由を忘れてしまっている可能性もありますよ。」

「そうそう、ジョチさんの言う通り。本当に傷ついている奴は、一見すると普通のやつと変わらない。でも、変なところで、必ずぼろを出すから、それを見逃さないのが、お前さんの務めだよ!」

杉ちゃんが、ポンと植松の肩をたたいた。

いつの間にか、植松の顔を見て、一寸怖がっているような顔をしていた正輔が、植松の事を心配そうに見つめている。

「ほら、マー君までお前さんの事をじっと見てるよ。」

杉ちゃんが、植松に言った。

「マー君、ですか?」

「そうなんですよ。杉ちゃんが、バラ公園の喫茶店の前に居たのを、拾ってきたんです。名前は正輔君。」

ジョチさんが説明すると、植松は、正輔の顔をちょっと驚いた顔で見た。

「そうなんですよって、この子、前足が一本足りないじゃありませんか。」

植松がそういうと、

「何を言っているんだ。三本足のフェレットを飼ってはいけないなんて、法律はどこにもないだろ。」

と、杉ちゃんが、カラカラと笑った。

「そうですか。じゃあ、この車輪のついた台は?」

「ええ、杉ちゃんが、かまぼこの板を改造して、作ったんです。杉ちゃん本当に、何でも作ってしまうんですね。もう、僕も感心します。」

ジョチさんが説明すると、植松は暫く驚いた顔をしていたが、すぐにある事をひらめいたらしい。こんなことを言いだした。

「あの、一寸お尋ねしたいんですがね。この子、動画を撮って、見せることはできませんでしょうか?」

暫く二人ともボケっとしたが、ジョチさんがすぐに、

「動画って、誰に、見せるんですか?」

と聞いた。

「ええ、鮫島徳子にですよ。こうして一生懸命歩いている正輔君を見てくれれば、鮫島も何か気が付いてくれるんじゃないかと思うんです。」

と、植松は言った。

「しかし、気付かせるって言っても、こんな小さな動物が、役に立つんでしょうか。それなら、人間のたいへんな人を見せるほうがより教育的になるでしょうに。」

「いえ、理事長さん、人間同士というものは、障害者施設との交流もさせましたし、余命僅かな人の話も聞かせましたが、いずれも鮫島には効果なしでした。そういう事なら、こういう小さな動物を見せたほうが、いいのではないでしょうか。ほら、この間のテレビアニメの製作会社が放火された時に、大災害の何十倍の寄付金が集まったじゃありませんか。若い人達は、人間の困っていることより、虚構の世界のほうがより、面白いんでしょう。そういう意味でも、正輔君の映像を撮らせていただきたいのです。」

ジョチさんがそういうと、植松は、次第に教師らしい顔になった。

「おお、いいことを言う様になったじゃないか。だんだん、魔訶迦葉に近づいてきたぞ。ただそこで、阿羅漢になっちゃいけないよ。それだけは、気を付けような。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「どうかお願いします。正輔君が生活しているところを、撮影させていただきたいです。」

そう頭を下げる植松に、おう、そうだなと杉ちゃんもジョチさんも顔を見合わせた。

そして、その数日後。

「いいか、鮫島。今から、この映像を見せるから、お前の感想を聞かせてくれ。もし、可愛いと思うんだったら、可愛いと素直に言うんだぞ。」

植松は、放課後、職員室に鮫島徳子を呼び出して、一つのタブレットを取り出した。

「それでは、見せるからな。是非何か感想を言ってくれよ。」

タブレットには、一匹のフェレットが写っている。フェレットは、かまぼこの板に車輪を付けた、手製の車いすに乗って、ちょこちょこと歩いていた。

「可愛い。」

という、鮫島徳子。よし、これで目論見は達成したか、と思われたが、

「でも先生、こんな動物見せられて一体何になるんですか?」

と、つまらなそうな顔をしていった。植松は、大きなため息をつきたくなったが、それも我慢してにこやかな顔をしていた。

「あーあ。まただめでした。俺はどうしたらいいのでしょうか。先生、こんな動物見せられて何になるんだといわれてしまいました。」

またジンギスカアンにやってきた植松は、でかい声でそう言って、杉ちゃんから渡された焼き肉をガブッと口にした。

「まあ、根気よくやることだ。お前さんも、一度や二度であきらめてはいけない。」

杉ちゃんに言われて植松は、そうですね、と、また大きなため息をつく。

「それに彼女、こないだも言ったけど、やっぱり、自分がそれだけ傷ついているという事に、気が付いていないんじゃないのかなあ。」

それを聞いて、植松はハッとした。

「まず、それに気づかせることが先決なんじゃないのか?」

杉ちゃんに言われて、植松はうんと頷いた。

「よし、それでは、俺もちょっと彼女に段階的に気が付けるように、頑張ってやっていきます。」

もう一回、植松は杉ちゃんに抱っこされている、正輔を見る。

「正輔君、いや、マー君だったね。しっかり、君には役に立ってもらいますからね。」

と、植松は、正輔の体を静かになでてやった。

そしてその翌日。

「鮫島。もう一回職員室に来てくれ。」

と、植松は職員室へ、鮫島徳子を連れて行った。

「もう一回、このイタチ君の映像を見てくれるか。また、可愛かったら、可愛いと言ってくれ。」

また、鮫島徳子に、タブレットを渡した。

タブレットには、正輔の映像が映し出されている。彼は、かまぼこ板の車いすでちょこちょこと移動し、餌を食べ、静かに眠り、ときに誰かになでてもらったり、抱っこしてもらったり。そんな映像が映し出されていた。

「そうね。かわいいけど。でもあたし、こんな幸せな人生じゃなかったもの。」

と、すました顔でいう彼女だが、静かに言っているその口調の裏には、なにか必ずあると植松は思った。

「そうか、その幸せな人生じゃなかったら、どうしてそれが幸せじゃなかったか、先生に聞かせてもらえないだろうか。」

植松はそういってみる。核心をついたところだと思った。

「話したくなんかないわ。ただ、あたしは、たとえ片足を失ったとしても、こういう風にご飯を食べさせては貰えないと思う。それは、確実にわかってるわ。」

と、彼女は言った。

「そうか、それだけでも、口に出してくれて、先生は、うれしいな。」

植松はにこやかにそういった。俺は、どうしても、君におしえてやりたいことがあるんだ!と身構えた。学校の勉強だけではやっていけないのがこういう学校だ。この学校に来る人は、事情を抱えている生徒ばっかりだから。

「そうやって、君は、ご飯を食べさせてもらえないと思うといったね。それは、誰にご飯を食べさせてもらえないのだろう。」

そういうと、彼女はまた黙り込んでしまった。植松は、彼女の家庭のことをちょっと考えた。彼女は父と母と暮らしているはずだ。家だってさほど貧しい家庭ではないし、シッカリしているはずである。

「何で、ご飯を食べさせてもらえないのだろうか。」

植松はもう一回そう彼女に聞いた。

「だって、」

と、彼女は、ガクッと頭を垂れながらこのように口にした。

「成績が、悪いから。」

決して彼女の成績は悪いわけではなかった。それよりも彼女は、優等生の一人でもある。なのに何で、成績が悪いから愛してもらえないというのだろう。

「あたしは、成績が良くないと、家に居させてもらえないんだ。それは、何処の学校に行っても変わらないんだ。」

と、彼女は、そういった。彼女のおかあさんも、そういうことを口にしているような、そぶりを見せたことは一度もない。彼女が、そういう風に感じ取ってしまっているのだろう。おかあさんの態度とか、そういうところから、感じ取ってしまっているのだ。そこが自動的にそうなってしまうという事は、彼女の、感じるところが、病んでしまっているとしか言いようがない。そうなると、もう教育者の立場では、何もできないだろうな、と思うのだ。そうなったら、医療従事者に頼むしかない。

「そうか、結局俺にはできないってことを、しら示されてしまっただけだったか、、、。」

画面では、正輔がチーチーと声を上げて、車いすで移動している様子が、映っていた。でも、彼女が病んでいると気付かせてくれたのだから、それでよかったと思いなおすしかないのだった。学校の先生は、本当に出来る事なんて何もないんだなあと、これまで以上に落ち込んでしまう植松なのであった。

「でも、俺は、必ず、あの女子生徒の事を、教育しなおしたいんだ。彼女が、自分の事に気が付いてくれたら、頑張って、彼女を教育しなおしてあげたい。」

閉店間際のジンギスカアンの中で、植松は、タブレットを見ながらそういっていた。タブレットの映像に出演してくれた正輔は、杉ちゃんの腕の中でチーチーと鳴いている。

「まあなア、教育というのは、難しいものだけどよ。頑張ってやっていってくれ。僕たちは、いつまでも応援しているからな。」

杉ちゃんが、ぽんと植松の肩をたたいた。植松は、また大粒の涙を流しながら、タブレットの映像を、眺めていた。





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