機械仕掛けのピアニストと彼に仕える付喪神

柳裏葉

病室に住む付喪神が送る日常

 病室の窓に掛けられたブラインドの隙間から、陽の光が差し込んでくる。

 微かなモーター音以外は聞こえてこないその部屋に置かれたソファに腰を掛けて、彼は本を読む。


 サイドテーブルにはたくさんの本が積まれており、そのどれもが古びて色あせている。

 これらは、彼がここに来ると決まった時にが運び込んでくれたものだ。


 彼の、の住んでいた家から。

 

 この部屋には彼と、彼のしかいない。


 彼の名前は朧月。

 懐中時計の付喪神だ。


 今は途絶えた祓い家に代々受け継がれてきた家宝で、最後の当主が死に際にに彼を託したのである。

 始め、彼はそれを拒んだ。

 ずっと仕えた一族が居なくなったこの世に残りたくなかったのだ。そんな彼を、は優しく諭した。

 

 あの子を見守ってくれ、片時も離れずに。あの子は私の子ども同然だ。


 そう言い残して、彼の主は息絶えた。

 彼はその願い通り、こうしてを守っている。普段は人の姿をして病室に控え、を狙うヒトや妖が居ないか目を光らせているのだ。


 は病弱で、身体はこの病室に置いて意識だけはアンドロイドの身体に繋いで生活をしている。


 の身体では起き上がることも、言葉を発することもできない。生まれた時から、はこの生活を送っている。


 の名前は、篠宮カムイ。

 意識転移技術の被験者であり、その技術で世界に名を馳せている大企業の御曹司でもある。その一方で、ピアニストとしての才能があり、幼い頃から神童と呼ばれてきた。

 父の会社で働き、時にはピアニストとしてステージに立つ。なんとも多忙な人物だ。


 一見華々しい経歴の彼だが、実際は生まれた直後に母親が亡くなり父親の後妻とは上手くいっておらず、そして実の父親に疎まれている。なんとも不遇な男だ。


 朧月が初めて彼と出会ったのも、幼い頃の彼が家出をして妖に襲われていたところをが助けたのがきっかけだ。


 そう、カムイは祓い屋の血筋ではないが妖や霊が見えるようだ。


 の言葉を借りると、だそうだ。


 以来、彼は朧月のである葉山芳樹よしきの家に度々遊びに来ては、呪術についての手ほどきを受けていた。


 連れ合いも跡取りも弟子もいなかった彼にとっては、ささやかな楽しみだったのを朧月は知っていた。

 この世界に巻き込んではいけないと彼を諫めたこともあったが、視えているだけで身の守り方を知らないのは危険だと言って芳樹はカムイに呪術を教えた。


「カムイ、今から演奏かい?」


 朧月が話しかけると、ベッドに横たわる男の手が微かに動いた。それと同時に、朧月の頭の中に彼の声が聞こえてくる。

 契約関係によって、彼らはテレパシーに似たコミュニケーションを使用することができる。

 

 そのおかげで、遠くに離れていても彼らは会話ができるのだ。


「そうだよ。芳樹が好きだった曲を弾くよ」


 いつもは穏やかに話す彼だが、今日は少し弾んだ声をしている。

 どうやら、芳樹の好きだった曲が弾けるのが嬉しいようだ。カムイは芳樹を兄のように慕っていた。実際、年齢を考えると父親の方が近いのではあるが。


「楽しんでおいで。芳樹も聴いているだろうよ」


 彼が本に視線を戻すと、ドアをノックして看護師が医療ロボットを伴い入ってきた。


「失礼します、午後の検温をしますね」

「……今は演奏中のようでして、触れた感覚がアンドロイドの身体に伝わってはいけないので1時間後にしていただいてもよろしいですか?」

「承知いたしました」


 看護師は穏やかに微笑んで退室した。

 朧月は人間の前では実体化して、カムイの世話係を演じている。


 朧月は普段、実体化して老紳士の姿に化けている。そんな彼を最初見た時、カムイは不満を口にしていた。

 いつもの姿で良いじゃないかと言っていたのだ。


 いつもの朧月は金色の瞳を持ち、透けるような銀髪を大きな三つ編みにして束ねている美しく中世的な姿だ。初見だとカムイと近い年頃の女性に見えるだろう。


 若い男が四六時中同じ病室に居ると世間からどう言われるかわからないぞ、と朧月はカムイを説得したのだ。


 実際、カムイはアンドロイドの身体の方では瑠璃丞るりじょうという名の付喪神を秘書として実体化させて伴っているのだが、こちらはカムイと同じ年頃の美しい女性の容姿をしており下世話な噂が流されているのも事実である。


 窓辺にかかっているブラインドからは夕日の光が差し込み始めていた。

 仄暗くなってきた室内に気づいた朧月は電気をつけた。


 ドアをノックする音がして朧月は入室を許可した。すると扉が開き、大量の花束を抱えたカムイと瑠璃丞が入ってきた。


「ただいま、朧月。何か変わったことは無かった?」

「いいや、いつも通りだったよ」


 朧月は病室に備え付けられているクローゼットを開けていくつもの花瓶を取り出す。

 カムイの演奏があれば決まって彼は大量の花束を持ってくるので、そこに常備しているのだ。


「屋上に行こうよ、朧月」

「見張りは私が交代するので大丈夫ですよ」


 カムイに手を引かれて、朧月は屋上に出た。

 外に満ちた澄んだ夜の空気が、星々を輝かせている。朧月は深呼吸した。穏やかな春の夜の空気が、彼の肺の中を巡る。


「ずっと病室に居て退屈じゃないか? 瑠璃丞も心配しててさ、これからは交代でアンドロイドこっちの身体の方について来てもらえないかな?」

「大丈夫だよ。もともと蔵で眠る運命だったんだ、それに比べると有意義だね」


 カムイの釈然としない表情に気づき、朧月は苦笑した。

 気を遣わせている。無理をさせている。カムイはそう思っているのだろうと感じ取ったのだ。


 朧月は知っている。

 カムイは自分と契約を結ばせたことに負い目を感じているのだ。亡くなった芳樹と一緒にこの世を去ろうとしていた朧月を引き留めてしまったのだから。


 それから二人は黙って屋上を出た。


 病室に戻り瑠璃丞が淹れてくれたお茶を飲みながら、独り言のように朧月は呟いた。


「そうさね……芳樹の墓参りに行くときだけは瑠璃丞と交代してもらおうかね」

「わかりました。その日は会社に有休を申請しましょう」


 瑠璃丞が腕時計型通信機器スマートウォッチの電源を入れて会社のグループウェアにアクセスし休暇申請をし始めた。

 ホログラムの画像が現れて、彼女はその映像にタッチして情報を入力している。 


「瑠璃丞……すっかり現代に染まり切っているな」


 朧月とカムイの視線に首をかしげる彼女の様子を見て、二人は声を上げて笑った。



 翌朝、カムイは病室のベッドの隣に置いてある椅子から立ち上がった。腕を伸ばしてみたり、足を動かしてみて調子を確認する。

 アンドロイドの身体はいつも、病室のベッドの隣で充電をして休んでいるのだ。


 やがて医師と看護師が現れてアンドロイドの身体とカムイの意識が上手くリンクされているかの接続テストを行った。


 朧月は毎朝、このやり取りを見ている。

 指を一本一本動かしているカムイ。その目の前には、アンドロイドの身体と全く同じ見た目の、本来の彼の身体がベッドで横たわって眠っている。


 横たわる彼は青白く、アンドロイドの身体に比べてやや痩せ細っている。

 生まれてから一度も地面を歩いたことが無く筋肉がついていないためだ。


 そんな彼のために、彼の父親は意識をアンドロイドの身体に移す技術を開発した。

 

 神の領域と称される技術で自由を手に入れたカムイは、母親が好きだったと聞いたピアノを弾くようになった。

 反射的に動くのは難しいとされるアンドロイドの身体。

 そんな身体で演奏をすることは、とてつもなく大変な事なのだと朧月は聞いている。


 それでもカムイは、手にした自由を、生きている実感を手放すまいとしてピアノを弾き続けている。


 まるで、何かに追われるかのように。


 ここ数年、彼らが家に帰っているところを朧月は見ていない。家で何があったのかは聞いていないが、何か原因があるのだろうと朧月は推測している。


 カムイと瑠璃丞は夜はいつも病室に泊まり、朝には父親の会社に出勤する。


 アンドロイドの身体を手に入れ人間社会で生活ができるのにも関わらず、カムイは人間たちとはあまり一緒に居ない。

 付喪神である朧月や瑠璃丞たちと一日の大半を共に過ごしているのだ。


「行ってらっしゃい。このところ帰りが遅いから、無理をするんじゃないよ」

「ありがとう。留守を頼むよ、朧月」


 カムイと瑠璃丞は病室を出た。

 その後姿はどこか機嫌が良く、朧月は自然と微笑みが零れる。


 最近のカムイは特に、機嫌が良い。

 一時期は微笑みの裏に擦り切れていっているような、そしてどこか獰猛さが潜む危うさを感じて朧月は心配していたのだ。


 芳樹がこの世を去ってからというもの、カムイは焦燥に駆られるように夜に街を徘徊している時期があった。


 彼が何をしようとしているのか、朧月はまだ掴めていない。

 しかしこの街で起こり始めている異変の禍根に彼の影があるという事には気づいている。


 芳樹と朧月が平静を作り上げてきたこの街に、皮肉なことにもカムイが混沌を呼び始めているのだ。

 それも、朧月には秘密にして。


 朧月はそっと溜息をついて、ベッドに横たわるカムイの瞼にかかった前髪を分けてやった。


 病室の窓に掛けられたブラインドの隙間から、陽の光が差し込んでくる。

 微かなモーター音以外は聞こえてこないその部屋に置かれたソファに腰を掛けて、彼は本を読む。


 ふと、朧月はピリリとした異様な空気を感じ取った。


 視線を上げると、ドアをノックする音がした。彼が返事をすると、扉が開き見知らぬ女が顔を出す。


 朧月はちらと彼女の足元を見た。

 彼女の足の下に落ちている影が、まるで生き物であるかのように脈動している。


 妖だ。

 こんな真昼間に現れるとは、少し力を付けた妖なのだろう。これまでにも何度か、カムイのピアノのファンに化けた妖が病室に来たことがあったのだ。

 

 そう思った朧月は口を真一文字に結び立ち上がると、つかつかと女に歩み寄る。


「あの……私……ずっと篠宮さんのファンなんです。篠宮さんの演奏に何度も心を救われて……」

「化けるならもっと上手くやるもんだね。帰らないのなら容赦はしないよ」


 女はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「ひどい……会いに来ただけなのに……ひどい…ひどい…」


 蛍光灯に照らされた女の影が、歪な姿に形を変えながら廊下に伸びてゆく。

 ビリビリと音を立てて病院中の電気が点滅し始めた。朧月は顔を顰める。


 病室に居るカムイの身体が妖の気を感じ取ったようで、カムイが朧月に話しかけてきたのだ。


「気にすることはない、カムイ。ちょっと厄介なお客様が来たんでね。お帰りになってもらうよ」


 朧月は一歩前に出る。


「ひどいわ……そうやって守るふりをして食べ頃を待っているんでしょう? 独り占めしないで!」


 朧月は何も言わずに指をすっと前に出すと、目の前の化け物の額に当てた。

 すると化け物は身動きを封じられ、朧月にかけられた術を解こうと懸命にもがいている。


「あいにく私は美食家でね、人間なんて奇抜なものは食べやしないよ」


 朧月の金色の瞳が光を帯びる。

 その刹那、彼の身体は本来の姿に戻った。銀色の髪がさらりと揺れる様子を見て、化け物は戦慄する。


 化け物は遥か昔に聞いたことがある噂を思い出したのだ。


 遥か昔、この辺りに祓い屋の一族が住んでいた。

 その家には代々当主に使える付喪神がおり、強烈な力で妖たちを抹殺していたと。それと対峙して戻ってこれた妖は居ない。


 その付喪神は銀色の長い髪を持ち、満月のような金色の瞳に化け物の最期の時を映すのだと。


 その付喪神の名前は、朧月。


 朧月が手を動かすと、どこからともなく大量の鎖が姿を現して化け物の身体を締め上げた。

 化け物は断末魔を上げて息絶えると、灰のようになって姿を消した。


 病室の電気が元の状態に戻る。

 看護師と医師が慌てて掛けてくる足音を聞いて、朧月は老紳士の姿に戻った。


「停電があったので篠宮さんの容体を確認しますね」

「ええ、お願いします」


病室の窓に掛けられたブラインドの隙間から、陽の光が差し込んでくる。

 微かなモーター音以外は聞こえてこないその部屋に置かれたソファに腰を掛けて、彼は本を読む。


 サイドテーブルにはたくさんの本が積まれており、そのどれもが古びて色褪せている。

 これらは、彼がここに来ると決まった時にが運び込んでくれたものだ。


 その中には一冊のアルバムが紛れ込んでいた。

 アルバムは真新しく、表紙に張られた生地が艶やかに光っている。


 こんな本、昨日まであっただろうか?


 不思議に思った彼はそれを手に取ってページをめくり息を呑んだ。

 そこに収められていたのは、朧月と芳樹、そしてカムイたちの過ごした短い日々の記録だったのだ。


 そのとき、カムイと瑠璃丞が帰ってきた。

 カムイは朧月がアルバムを持っているのに気づき、ふっと笑う。


「最近、芳樹の家に行った時にたくさん写真が保存されているのを見つけたんだ。瑠璃丞がアルバムを買ってきてくれたんだよ」

「……そうだったのか。いやはや、懐かしいな」


 朧月は写真に写っている幼い頃のカムイの頭を指先で撫でる。

 初めて出会ったときの彼は、アンドロイドの身体で走ることも満足にできなかった。それなのに、その身体に宿る彼の魂を狙って妖たちが日夜を問わず狙っていた。


 本来の身体から離れた魂は狙われやすい。

 芳樹から聞いた話では、別の祓い屋の一族が彼のボディーガードを任されていたようだ。


「……カムイ、私は最近この街で起こっていることに気づいている。なぜおまえが悪役を買って出ようとしているのか、疑問を抱いているのだよ」

「……ごめん、まだ言えないんだ、でも、あの世で芳樹に言えないことはしないよ。誓って」


 朧月は立ち上がると、カムイと瑠璃丞を抱き寄せる。


「信じているよ。いつか私を使えば良い」


 カムイは何も言わず、朧月の背に手を回した。



 遥か遠い未来の大都市で、怪事件が多発している。

 死傷者の出ている事件の現場には、”消えない呪い”として人々から恐れられているグラフィティが残されている。

 それは暗闇で妖しく光るホログラムのグラフィティで、


 そのメッセージは犯人からの挑戦なのか?

 それとも、悲痛な叫びなのか?


 議論は日夜続いている。


 その現場を高みにある離宮アジトから見て微笑んでいる男の影があることに、人々はまだ気づいていない。


 男は今宵も機械仕掛けの身体を動かし、鍵盤を弾き音楽を奏でる。


 まるで、人々の記憶の中に自分自身を刻み込むかのように。


 

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