#07-04: 終わりが始まる。

 その一声で。


 アーシュオンの戦闘艦はことごとく沈んだ。新型駆逐艦もまた、何の慈悲も与えられずに真っ二つに叩き折られて、凪いだ海をけがしていった。


 イザベラの怒りは、凄まじかった。凄烈としか言いようのないその雷神トールの鉄槌となって、夜の静寂しじまを粉砕した。赫々かくかくたる爆炎が空を焦がし、海を照らす。


『生首歌姫の、か。こいつは強烈だ』


 私は声も出せない。何も言えない。生首歌姫たちのは、私の頭蓋骨の内側を撹拌かくはんした。不愉快極まりない感触、限界を超えた苦痛、ありとあらゆる負の要素が、私を内側から圧縮崩壊させようと試みてくる。


「あっ……!?」


 限界を超えた。それが、私の閾値いきちを超えた。


 恐怖があった。得体の知れない、知りたくもなかった感覚。私の中に強引にねじ込まれてくるもの。受け入れたくないのに、理性をかなぐり捨てさせようとでも言わんばかりに、私に迫ってくる圧力。それに対する恐怖があった。


 その恐怖は、つまり、快感だった。


 私の脳が思考を放棄して、何も考えられなくなって、その先にようやく辿り着く場所――の領域だった。そうと認知した途端、そのが私の更に奥にまで挿し込まれてくる。私は悶える。私は喘ぐ。空気が欲しい。息ができない。


『マリー、対歌姫防御オルペウス展開』

「あ、あ、はい……!」


 そうだった。アーシュオンにあった技術。私たちの攻撃を少しでも弱めるために開発されたアンチ・セイレネス・システム――オルペウス。私たちが使うことなんて、超兵器オーパーツたちを相手にするときだけだった。だから、私は失念していた。


『始まるわよ、マリー。覚悟を決めて』


 旗艦ウラニアの巨大な主砲がずらりと横を向いた。水平線の彼方のセイレーンEM-AZもまた、主砲をウラニアに向けている。私に先んじて、全ての艦艇が、状況を開始していた。


 先に撃ってきたのは第一艦隊だった。イザベラの号令一下、五十数隻の艦から一斉に砲撃が行われた。セイレネスによる完全調律パーフェクト・チューンドコーラス。最強の攻撃だった。得も言われぬ至上の共鳴が、刃となって第二艦隊に降り注ぐ。ウラニアが前に出る。私の艦アキレウスも隣に並ぶ。


『私とマリー以外、全艦後退! エディタ、後退指揮を頼みます!』

『了解、全艦退がります』


 光の槍が私とレベッカに向けて降り注ぐ。


『マリー、単艦で反撃を!』

「わ、わかりました」


 何もわかってなんていない。だけど、考える余裕もない。


『全火器管制ファイアコントロール、ユーハヴ、ですよ、上級少尉』


 ダウェル艦長の固い声が聞こえた。私は「アイハヴ」と応じた。そして大きく息を吐き、吸い、同時に覚悟を決めた。決めなきゃ、ここで死ぬ。だから――。


「セイレネス発動アトラクト! 艦首PPC粒子ビーム砲展開!」


 アキレウスの甲板前面装甲が展開する。巨大な砲門が出現し、青白い粒子を放ち始める。セイレーンEM-AZやウラニアにも試作兵器として搭載されているこの兵器。物理攻撃に於いては最強の威力を持つと言っても良い。


粒子反射装置パーティクル・リフレクター、展開」


 キラキラと輝く細かい粒子がアキレウスの前面に散る。それは三々五々宙を舞い、あるべき位置に落ち着いた。


「発射!」


 空中を幾重にも乱反射するビームは、夜を引き裂き、水平線の彼方を燃やした。この一撃で、十数隻の小型艦艇が文字通り蒸発した。たったの一撃で何百人もの命が、跡形もなく消えた。


『さすがはマリー。だけど、わたしの艦隊は終わらないよ』


 セイレネスの乗った応射。最初の一撃よりも強い。セイレーンEM-AZが


「提督、これは……!」

『マリー、落ち着いて』


 ウラニアが薄緑色のオーロラを纏う。まるでバリアのようにそれは私たちを守った。海水が蒸発し、明鏡の如き海面がたちまち荒れた。怒りに渦を巻いた。その間に、イザベラたちは艦首をこちらに向けていた。彼我の距離はわずかに十キロにまで迫っている。もはや極至近距離。目視標準ですら当てられる。


『さぁ、来るかい、ベッキー』

『ええ、行くわ』


 ウラニアがアキレウスを置いて前に出ていく。私も、レスコ中佐も、レオンも、他のV級ヴォーカリストたちも、C級クワイアのみんなも、誰も動けない。


 私たちが取り囲む中、二隻の超巨大戦艦は互いの持てる火力を出し切って撃ち合っていた。お互いの顔が見えるのではないかという距離で、主砲が、電磁投射砲レールキャノンが、PPC粒子ビーム砲が、空を容赦なく赫奕かくえきたる色に染めていく。


『ベッキー。きみにはまだ迷いがあるね』

『私は――』

『セイレネスに賭けたこの勝負。どうやらわたしの勝ちのようだ。わたしの狂気が、きみの正義を殺す』


 轟音の響き渡る夜の空と、海。私たち以外には何もいない。本来ならば何人にも侵されざるべき静寂しじまが、私たちによってバラバラに引き裂かれていく。


『イズー、私も、はいそうですかと殺されてあげるわけにはいかない』

『それで?』

『マリー!』


 突如呼びかけられて、私はハッと正気に返る。


『今すぐ退却! あなたが第二艦隊を率いなさい、マリー。エディタ、いいわね?』

『……承知しました』


 レスコ中佐が静かに応じる。いつもと同じように感情に乏しい声だったが、私の耳はその振動を聞き逃さなかった。


 ウラニアの主砲が一基、吹き飛んだ。無敵の戦艦が、動脈血のような色を吹き上げて燃え上がる。


『私が全てを引き受けます。大丈夫、アルマも無事。大丈夫』

「しかし――!」

『マリアに全てを託しています。急いで退却を。今はまだ、あなたたちの喪われるべき時代ときじゃない』


 有無を言わせぬその力。私の思考はもはや停止していた。ダウェル艦長の指揮の下、アキレウスは粛々と艦首を返す。逃げる以外の選択肢はなかった。イザベラ・ネーミア――否、ヴェーラ・グリエールと、レベッカ・アーメリング。二人の親友同士が今まさに殺し合うその時に、そしてそれを止める力を持たない私に、いったい何ができたというのだろう。


 私たちは皆、泣いていたと思う。その全ての感情が私の胸に、頭に流れ込んできて、私自身がいったいどうしているのか、どうなっているのか、わからなくなった。無力感、憤怒、諦め、絶望――とにかくそうした負の感情がぐちゃぐちゃに混ぜ合わされて、私の胃の中に押し込まれた。


『イズー! 私には、あなたの行為を止める義務がある。国家国民を守る義務がある』

『ベッキー、奇遇なことにわたしにも義務がある。愛するヤーグベルテ国民の目を覚まさせるという義務が、ね』


 相容れない二人の主張。それはきっと、二人の間で何度も交わされた言葉。二人はそれを再確認しているに過ぎないのだろう。私は朦朧とする意識を叱咤して、二人の言葉をとにかく記憶に刻みつけようとした。憧れの人の、おそらく最期の言葉を、私は理解しなくてはならない。


『これはね、わたしにしかできないんだ。だから、わたしがやらねばならない。でも、きみはまだ迷ってる』

『あたりまえよ! あなただって本当は!』

『はははは! 本音を言うと、まぁ、そうだね。でも、わたしは遠からず死ぬ。それについては、わたしはこれっぽっちも、芥子けしの粒一つほどの迷いもない。きみは死ぬのが怖いのかい?』

『――セイレネスでは、嘘はつけない』

『そうか、そうだよね。わたしだってよ』


 イザベラの光風霽月こうふうせいげつ然とした言葉。しかしそれは、底なし沼の奥底からの囁きのようでもあった。濁った、けれど迷いのない、死への呼び声。その一方で、レベッカの心はまだほんのわずかに揺れている。


『私はあなたほどには強くはないのよ、イズー。だから、死ぬのも死なせるのも、怖い。今でもね』

『今に至っては時既に遅しだ。でもね、わたしはきみを倒さなくちゃならない。さもなくば、わたしはもうこれ以上飛べやしないだろう』

『私もあなたに倒されるわけにはいかない。あなたの反乱はもう十分――』

『いいや、まだだね』


 イザベラの声のトーンが一つ下がった。昏い、永遠の闇の中に引きずり込まれるような。そんな孤独な声だった。


『彼らはね、知るべきなんだ。自分たちの頭上に抜かれた剣があって、それがいつだって落ちかかってくる可能性があるということを。彼らは自ら知ろうとはしない。認めることもない。だからわたしはそれを思い知らせる必要があるんだ。完全に、抜け目なくね』

『でも多くの人の命が――』

『冗談はよしてくれ』


 イザベラはここに来てなおも笑う。


『わたしは一般市民を巻き込むような、くそったれなテロリズムなんてものは認めない。わたしの目的は愉悦に慣れきり、思考を放棄した人々への、危機意識の啓蒙けいもうなんだよ』

『でも!』

『きみはさ』


 イザベラはレベッカに口を挟ませない。


『きみの言うことは、することは、綺麗事なんだ。綺麗であることは素直に称賛するよ。でもね、きみのその綺麗さなんていうものはね、わたしのようなまぎれもない汚穢おわいがあって、初めて成立する類の綺麗さなんだ』


 淡々と告げられるその言葉に、私はもう何もかもを投げ出したくなっていた。でも、ウラニアを操るレベッカは未だ砲火を止めていない。レベッカが諦めていない。だから、私もまた立っていなければならない。


『さぁ! きみはどうするんだい、ベッキー。わたしという汚穢おわいこそぎ取り、自らの綺麗さをも失うかい? それとも、わたしという汚穢に飲まれ、わたしのためのいしずえとなるのかい?』

えらぶ権利なんて、ないでしょう? 戦う他には。違うかしら?』


 ウラニアは一度砲火を止めた。セイレーンEM-AZも沈黙する――私たちが十分に離れるのを見計らうかのように。


『始めましょう、イズー』


 レベッカが、宣言した。

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