#07-03: 静かなる、嵐の前の夜に始まる

 夜は静かだった。これが嵐の前の静けさであることは知っている。でも、背入れネスを通じて夜の空を漂う私の意識は、嘘のように輝く夜空に吸い寄せられていく。鏡のように凪いだ海面には、星の輝きが乱れ舞い、もはやこの世の景色ではないような気さえした。


 高く高く上った意識の端の方に、アーシュオンの艦隊と、イザベラの艦隊が見えていた。セイレーンEM-AZの白銀の巨体は、遠近感を狂わせる。両軍の歌姫セイレーンは、お互いに既に有効打撃圏内にいる。しかし、私たちは未だ微速前進を続けている。


「提督、なにかおかしいです」


 私は指数関数的に膨れ上がってくる不快感に顔を歪める。美しすぎる夜の海と反比例するような、醜悪な感触。粘つきまとわりつくような気持ちの悪い感覚。


『私も感じています、マリー』


 レベッカは、私のすぐそばにいる。姿は見えないが、意識はそこにある。そしてイザベラの視線も、感じている。他の歌姫セイレーンたちの意識も、間違いなく私たちを捕捉していた。


「アーシュオンの新型艦……駆逐艦のようですが、なんでしょう、あれから変な気配が」

『同意します、マリー。あの艦、ナイアーラトテップたちと同様の、セイレネス搭載艦ですね……』

「やはり……」


 そうだと思った。だけど、恐ろしく歪んでいる。その海域が淀むほど、が濁っている。まともな相手じゃ、ない。意識の目が、それを見ることを拒絶しようとする。これ以上のない不協和音が、それら新型艦の一群から放たれている。気が狂いそうだ。


『やぁ、来たね。ベッキー、マリー』


 その不協和音を打ち破るように強いが私の頭の中で響く。私たちがこの不愉快な音たちに気付くのを待っていたかのようなタイミングだった。


『イズー。これは、どういうこと?』

『ははは、まずはきみたちに、この悪趣味な連中を見せたくてね。ただそれだけのために、わたしはアーシュオンの有象無象を生かしておいてやったんだ』


 イザベラは笑っている。笑っているが、そこに抑揚はあっても、感情はない。精巧な人形が笑った――不気味の谷。


『ご覧よ、こいつらを。畢竟ひっきょう、わたしたちは兵器でしかない。こいつらはそのための証拠のようなものさ』

『どういうこと――』

『アーシュオンはわたしたちの力を調べ、を作り上げた。まったくもって、だろう』


 アーシュオンの新型駆逐艦からは、絶えず恣意しい的に音程を調整された絶叫が聞こえていた。不気味すぎる。心の無い叫び。意味の無い訴え。理解不能な言葉。これ以上は近付きたくない――私の本能が逃げ出そうとする。


 しかし、イザベラのが私を捕えて離さない。


『見てみたほうが良いよ。その目で、直接ね』


 私の意識を引き寄せる手があった。イザベラと、レベッカ。二人に手を引かれている。


「提督、罠では――」

『いいえ。違います』


 レベッカは強く言い切る。私はもう従うしかない。


 そして見た。駆逐艦の中枢に、私たちが「コア連結室」と呼んでいる場所にあったを。


 そこには、生首が一つ。マネキンのような、しかし血の通った生首が、ぽつんと佇んでいた。首からはクラゲのように無数のケーブルが伸びていた。あまりに非現実的過ぎて、これはいったいどんなフィクションなんだと思ってしまう。


 そして、が目を開けた。口も開けた。


 きゃはははははは!


 ――わらった。


 血走った目を見開き、大口を開けて。嗤った。


 不気味とか醜怪とか、そういう語彙では言い表せない。私の胸を何かがえぐり上げて、強烈な吐き気に頭がくらむ。


『この子たちはね、薬物で常にトランス状態にある』


 イザベラの無機物的な声が私の中にねじり込まれてくる。


『自分が誰で、ここがどこで、どうしてこんなことになっているのか。何一つ知らないし、理解することもできない』

『これは……そんな外道なことが……?』

『そうさ、ベッキー。アーシュオンはこんなを量産する技術を確立してしまったというわけだ。わたしたちなんかとは違う。圧倒的に安定した能力と、文句一つ言いやしない極めて従順な、なんだ』


 私は意識の中で両肩を抱く。自分の体温すら感じられない意識の世界で、私は不安の只中にあった。何にもすがれない、叫ぶ喉すらない。


『ヤーグベルテ首脳部にしたって、喉から手が出るほど欲しい技術だろうね。C級クワイアを従順なV級ヴォーカリストに加工できるのだから!』

『でも、そんなこと!』


 非人道的に過ぎる。そんなこと、許されるはずがない。


『今まではね、エディットやマリアたちが目を光らせていたから、そうはならなかっただけかもしれないよ、ベッキー。ただ、本当に、ただ、それだけの話なんだよ。でももうわからない。ヤーグベルテは知ってしまった。歌姫セイレーンのより有効な活用方法を、ね』

『そんな外道、国民だって許しはしない!』

『あははははははははははは!』


 イザベラの高らかな笑い声が響き渡る。


『外道だから? 畜生道だから? だから何だって言うんだい? 国民が許さない? 許さない国民はマイノリティさ。そしてヤーグベルテは民主国家。メディアの持つ言論の自由の名の下に振りかざされるがある限り、メディアの持つ力に騙されちゃうような人たちがあっさりと過半数を超えるんだ。自覚なき罪人、無垢なる咎人、マジョリティの実態がそうなんだってことくらい、きみもわたしもとっくに知っているはずだよ』


 私は何も言えない。レベッカの意識も凍りついている。


『道すがらアーシュオンのデータベースに訊いてみた。この子たちはね、もともと誰にも探されない子たちだったよ。つまり、わたしたちが今まで十数年かけてせっせと生み出してきた戦災孤児、身寄りのない子たちなんだ』


 戦災孤児――私と同じ。私の意識が白くなる。


『そんな子たちをわんさか集めて、歌姫セイレーン、いや、彼らの国では素質者ショゴスと言っているけど。ともかく、それとそうじゃない子に分けられた。素質者ショゴスでない子たちは、この子たちの生命維持装置の研究のために。わずかながらも素質者ショゴスに該当する可能性のある子たちは、このザマさ。薬物、マインドコントロール、拷問、なんでもありさ』


 惨烈さんれつ――。


『わたしはヤーグベルテの国民の魯鈍ろどんさこそ、世界一だと思っていた。でも違ったんだ。アーシュオンは、あの国の中枢は、まったく別格だった』


 イザベラは怒りを歌う。おぞましい。今の私が現実の私だったら、肉体を持っている私だったら、間違いなく嘔吐していた。意識の中では吐き気だけが何倍にも増幅されて、私の爪先から脳天までを何度も何度も駆け上がり、落ちていく。


『わたしたちもこの子たちも、ジョルジュ・ベルリオーズと、ジークフリートのいた種なんだ。こうして戦い続けているのも、あの男の仕業。ジークフリートの選んだ最適解ソリューション。そしてわたしたちのにすっかり依存症になってしまっている、くそったれな連中のせいなんだ』

『イズー、この証拠を持っていけば、今なら言い訳が立つ!』

『あはは、そんなわけないでしょ、ベッキー』


 レベッカの必死の声を一笑に付すイザベラ。


『わたしは貴重なソリストをでしょ? だから、もう戻るところなんて無いし、わたしはもう、戻らない。わたしはかつて絶望し、それでもまだこうしてみじめにも希望とやらにすがり付く道をえらんでしまった。でも、でもね? から何年った? 三年だよ。三年も経ったんだ。でも、それだけの時間をかけたにもかかわらず、わたしは何も変えられず、わたしたちは何も変わらず、ただ時間だけが過ぎた』


 悔恨か、苦悩か。イザベラのが一点に収束していく。


 そして、それに反比例するように音圧が膨れ上がる。限界を超えた音圧。意識を狂わせるほどの共鳴レゾナンス


 そして、歌姫戦艦・セイレーンEM-AZ巨体が、夜の海を薄緑色に染め上げた。


 女神よ、怒りを歌い給えメーニア・アエイデ・テアー――。


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