#06-03: きみは言葉が足りてないんだ

 レベッカは私を見下ろしたまま、力を込めて言った。


「ここに至るまでに、十数年を費やしてしまった。そしてあの時、あなたたちを見つけてしまってから、私たちはその現実に甘えてしまったのかもしれない。自分を騙しながら、セイレネス・ロンドを舞い続けてきただけなのかもしれない」

「甘えた……?」

「あなたたちを理由にして、私たちは戦い、あなたたちを理由にして、今、表舞台を去ろうとしているのです」

「表舞台を、去る……!?」


 どういうことですか――私の問いは、レベッカの右手の人差し指で止められた。


「私たちは、としての責任を取ります」

「あの、どういう意味なのか……」

「私たちは力ある者。ゆえに、力なき者たちにとは言えません。それは私たちの善悪の彼岸。私たちは矜持プライドという仮面ペルソナを被って、戦場で歌い踊ることを選んだ。いえ、選んだというよりは、それ以外の道はなかった」

「それは、不公平です」

「そう、不公平です」


 レベッカは首肯する。


「力ある者にとって、この世界は不公平で理不尽なものなのです」

「でも、この力は、望んで得たものなんかじゃなくて――」

「だとしても、です。私たちの力はを逸脱しているの。あなたのような十代の女の子が、たったの一撃で数千人も殺すことができる、そんな圧倒的な力。それはなのよ、人々にとって」

「でも、私たちは、ヤーグベルテの……」

「そう信じていられる根拠は、何でしょうね」


 レベッカの目が細められる。私は唾を飲み込んだ。その衝撃で、喉が痛くなる。


「マリー。私にも、あなたにも、があることはまぎれもない事実なのです。その起源ルーツを拒絶したとしてもね、人々の私たちへの認知は変わらない。自分の望む望まざるとに関わらず、があることは事実なの。そのことを拒絶して、目を閉じて耳を塞いで口をつぐんで閉じこもっていても、世界は、決してあなたの望む方向へは変わらない。なぜなら――」

「世界は優しくないから」

「そうよ」


 レベッカはまた目を細めた。今度は少し優しい表情だった。私は訴える。


「私は……怖いんです。この力が、怖い。身に余る、使いこなせない力です、セイレネスは。なんなんですか、セイレネスって。歌姫セイレーンってどうして生まれたんですか? 何のために存在しているのでしょうか」

「……続けて」

「私は、施設で育ちました。決して幸福とは言えない日々でした。そんな日が続いて、十六歳になったら施設から放り出されることが決まっていました。そこに来たのが軍の人たちです。施設の人たちが勝手に話を決めてしまったけれど、私は嬉しかった」


 それは十五歳の夏頃の話だ。


「あの憧れのヴェーラとレベッカの、あの憧れの歌姫ディーヴァと共にいられるようになるかもしれないと思うだけで、私はもう幸せでした。士官学校はつらいこともあったけど、施設に比べれば断然マシだった。それになにより、憧れの人たちに近づけた喜びが大きかった」


 だけど、と、私は声を詰まらせる。


「セイレネスって、なんなんですか。実戦では得体の知れない力が私に流れ込んできて、私の意志なんてまるで無関係だと言わんばかりに、あの力を発動アトラクトさせました。いったい、あの力は、なんなんですか」

「わかりません」


 レベッカは静かに、そしてこれ以上ないくらいに端的に応えた。


「おそらく、世界でただひとり。あの人を除けば」

「ジョルジュ・ベルリオーズ……」

「そうね」


 ジョルジュ・ベルリオーズ――ジークフリートの生みの親にして、世界を変えた男の名前。この世界で、この男の名前を知らない者はいない。そして、この男に支配されていない者など、多分、いない。


「でもね、マリー。その根源ルーツはどうであれ、あれは、セイレネスは圧倒的な兵器。強大な人間兵器よ。でも、その力の使い方さえ間違えなければ、人を助けることができる。あの非人道的特攻兵器たちを止める唯一の手段でもある。あれは破壊の力でもあるけれど、同時に守るための力にも――」

、そんなの」


 私が言った。私が言おうとしたのか、私が言わされたのか。ともかくも、私の口が、はっきりとそう言った。


「兵器なんて、どこまで行ったって兵器なんです。相手より強力なものであれば抑止力になるかもしれない。けど、軍拡競争の今、兵器は何をどう言い訳したって、ただの殺人道具に過ぎないと思います」

「それは――」

「見てください。ヤーグベルテの現状を。私たちの国は、専守防衛をうたっていたのではありませんでしたか。あのの直前までは。あれはセイレネスがなければ、絶対に起きなかった。起こせなかった。でも、ヤーグベルテはセイレネスのあのに目がくらみ、そして専守防衛の大前提さえ簡単にひるがえしてみせたんです」


 私の言葉に、レベッカは眉根を寄せる。今にも泣きそうな顔だ。私は奥歯を噛み締め、全神経を込めて右手を握りしめた。爪が食い込んで痛い。けど、それには耐えなくちゃならないと、私は思った。


「そう、ね。あなたの言う通りだわ、マリー。もう私には、何を言う資格もない……わね」


 レベッカは唇を白くなるほど噛み締めていた。私とレベッカの間の空気が、痛いほどまでてつく。


 それから数秒間のじりじりする時間が生まれた後、ドアが開いてイザベラが姿を見せた。


「だからさぁ、ベッキー」

「ネーミア提督……アルマに、レニーも……」


 イザベラの後ろにはアルマとレニーが従者のように控えていた。おそらく最初からずっと聞いていたのだろうと思った。そしてこの場は、イザベラがレベッカのために仕込んだのだとも、なぜか確信を持って理解できた。


「きみは言葉が足りないって、わたしはいつも言ってるだろう?」

「イズー……」


 栗色の髪をなびかせながら、イザベラが颯爽と私たちの近くにやってくる。そして有無を言わさず、私たちを座らせる。


「きみのその足りない言葉を補うのは、昔からわたしの仕事だったね」


 イザベラは私たちの肩にそれぞれ手を置きながら、静かに語る。


「マリー、疲れているかもしれないけれど、これはきみたちにはとても大切な話になるかもしれない。だから、我慢して聞いて欲しい」


 イザベラはアルマが持ってきた椅子に腰を下ろす。アルマとレニーは、イザベラの後ろにそれぞれ椅子を持ってきて座った。


「わたしも、ヴェーラ・グリエールも。結局のところ、何一つ変えられなかった」


 過去形……。私はイザベラのその仮面の奥を透かし見ようとした。しかし、見えない。イザベラは私にちらりと視線を送り、そしてゆっくりと息を吐いた。


「ヴェーラはね、文字通り、死ぬほどに絶望した。自分の願いが何一つ叶えられることがないという現実に。そして自分の力が、世界を変えるために――決して良い意味じゃない方向に使われている、使われ続けるという未来にね、その現実にね、本当に絶望したんだ」


 低い声で訥々とつとつと語り綴られる言葉に、私は呼吸すら忘れてしまう。


「ヴェーラはね、あれだけの力を持ちながら、初めて愛した人一人すら救えなかった。何十何百万の命を、一夜にして灰燼かいじんするほどの力を持ちながら、ね」


 ヴェーラとアーシュオンの飛行士の悲恋。その物語はもちろん非公式であり、軍は否定した。しかし、ヤーグベルテの国民ならば誰もが知っている物語でもあった。それがあの歌「セルフィッシュ・スタンド」のベースになっていることも、また。そしてその物語こそが、ヴェーラに火を放たせた。


「それにね、マリー」


 子守唄を歌うように、ヴェーラはゆっくりと囁く。


「わたしたちにはね、この愚劣な戦争状態をどうこうできるような力なんてないんだ。空母を一撃で撃沈せしめる力があったとしたって、弾道ミサイルを確実に狙撃できる能力を持っていたって、そんなものはただの外交のカードの一枚に過ぎないんだ。つまり、私たちのは、ヤーグベルテという連合国家の力を、対外的にわかりやすくアピールするための手段に過ぎないのさ。わかりやすく崇め奉るために仕立て上げられた芥子けしの人形、それこそが、わたしたち、歌姫セイレーンなのさ」


 抑揚はあっても感情がない。イザベラのその言葉は、だからこそ私に突き刺さる。力は、ただの力でしかない……。


「わたしたちのはね、勝鬨かちどきの前座に過ぎないのさ。何を訴えても、何を歌っても、何を語っても、国民やメディアにとってみればね、わたしたちのは、ただの兵器と麻薬に過ぎないんだ。安寧パン娯楽サーカスを寄越せ、彼らはそれしか言わない」

「イズー、でも――」

「黙って、ベッキー」


 イザベラの有無を言わせぬ口調に、レベッカは黙り込む。私は手のひらに汗を覚える。


「ヴェーラ・グリエールもね、その事実に、その現実に、怒り、哀しみ、絶望した。殺戮の手段にしか過ぎない自分にね。自分が良かれと戦うほどに戦線は拡大し、守るために振るわれていた力は、やがては反抗の狼煙のろしとなった。殺さなければいけない敵は、雪だるまのように増えていく。わたしは何百と歌を歌った。けど、讃えられたのは、勝利の歌。求められたのも、勝利の歌だ。一人の女の、人間の想い。そんなものには誰も耳を貸さなかった。理解しようとしなかった。あまつさえ、都合が悪いには耳をふさいだ」


 呼吸すら憚られるような、鋭い言葉だった。私の臓腑はもう傷だらけだった。


「わたしたちという存在はね、言ってしまえばセイレネスを起動するための、ただの一行の命令文コマンドラインなんだよ」

「そして、価値ある


 レベッカがぽそりと呟いた。イザベラは頷く。レベッカはイザベラをちらりと見て、自分の言葉を続けた。


「セイレネスの発する特殊な。とりわけ、は、人々の意識コンシャスに大きな影響を与えるのです。私たちが通常の戦闘に用いるも麻薬類に匹敵する陶酔効果があることは非公式に実証されていますが、と彼らが呼ぶものは、それがバカバカしく見えるほどの力を持っているのです」

「そんな、ものが……」


 私はそこで気がついた。


「まさか――」

「そうだよ。そのまさかさ」


 イザベラは唇の右端を吊り上げる。笑っているのか……。イザベラはその凍てついた表情のまま、口を開く。


「人々がわたしたちに求めているものは、つまり?」

「継続的に供給される断末魔……」

「正解だ、マリー」


 イザベラは「愉快過ぎて吐き気がするだろう」と言いながら軽く手を叩いた。


「世界は求めているのさ。わたしたちの最期の慟哭どうこくをね。わたしたちが人々に向ける呪怨じゅおんこそを、ね」


 そんなことが赦されるはずがない。私はレベッカを見る。レベッカは首を振る。レニーを見る。レニーも首を振った。アルマは、呆然としていた。私と同じ表情だと思う。すがれるものはこの部屋にはなかった。


「あの頃から、ヴェーラにはわかっていた。そしていろんな要素がぜになって、ヴェーラの心は崩壊した。セルフィッシュ・スタンドを遺作としてね」


 だけど、と、イザベラは呟く。


「アレだけのことをしてもなお、軍は何も変わらなかった。国民も何一つ変わらなかった。ヴェーラの命が消えることすら偶像化アイドライズされた。セイレネスを使った戦闘はより大規模化し、必然多くの軍人が死んだ。歌姫セイレーンも、トリーネのように。もちろん、その責任の一端は、さっききみが言ったようにわたしたちにもある。そのそしりは受けるさ。だけどね、わたしはこの哀しみの連鎖は必然であり、不可避の過程だと考えているんだ」


 それは、諦めというのではないか。私はそう思ったが、イザベラの眼光にされて何も言えない。


「誰もが皆気付いてる。全部まるごと、なんだよ、この状況、現在の不幸のその全てが。アーシュオンと永遠に戦争を続けるという大目的のための、連綿と続く呪われた政策なんだ。セイレネスはね、戦争さえ続いていれば、国民にパンとサーカスを同時に与えることのできる、あのジークフリートが生み出した最高のシステムなんだ」

歌姫計画セイレネス・シーケンスというのは、そういうものだと、私とヴェ……イズーは気付いた。戦争状態を継続するためだけに戦い、逆襲し、国民には安寧と娯楽を与え、政治を安定させ、そして最期にはという名の巨大なプレゼントを遺す。無駄のない、よくできた計画よ」


 二人の間の空気が、闇色に染まって見えた。二人は今、怒りに震えているのか、哀しみに泣いているのか、わからない。


「わたしは死にぞこないさ。全てを燃やし尽くして死んだはずの人間なんだ。でもね、わたしの内側には、未だに世界への憎しみがくすぶっている。わたしはこの顔以外は全てを人工物に置き換えた。手も、足も、首も、何もかもが代替品。醜く焼けた顔だけは、だけれどね」


 はは、と、イザベラはわらう。


「毎朝毎晩の懺悔に使うのさ。吐き気のするこのただれきった顔をね」

「懺悔……?」

「そうだよ、マリー」


 イザベラは立ち上がると、私の肩に手を置いた。


「世界をこんなふうにしてしまってごめんなさい。わたしだけ逃げようとしてごめんなさい。を救えなくてごめんなさい。……ま、わたしの罪はこの顔くらいじゃ安いものだけど」

「罪なんて――」

「マリー、アルマ、レニー。きみたちの世代に負債を遺すことになるわたしたちを赦して欲しい」


 負債を遺す……?


 私はアルマを見た。アルマは難しい表情のまま、首を振っている。レニーはイザベラの心を見透かそうとでもするかのように凝視していた。しかし、イザベラの心の中は見えない。決して、見えない。


「わたしたちの罪は、わたしが背負う。きみたちの背負うことになる重荷も、投げつけられる呪詛も、吐きかけられる讒謗ざんぼうも、わたしが引き受けるよ」

「私たち、と言ってもらえないかしら、イズー」


 レベッカは立ち上がるとイザベラの肩を軽く抱いた。


「そうだね」


 イザベラは頷いた。そしてレベッカを抱きしめる。


「わたしたち、だ」


 噛みしめるようにして吐き出されたその言葉に、私の背筋は凍りついた。

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