#06 天に在りては比翼の鳥に――

#06-01: 逃げるカードを破り裂いて

 それから一週間、私は自室に閉じこもった。ニュースも何も見ず、暇があったらレオンと携帯端末モバイルで、まったく記憶に残らないようなどうでもいい話をした。私たちは、港に降り立つまで、あの戦いのことは一言も喋らなかった。


 そしてようやくおかに上がった時、真っ先に駆けつけてくれたのはレオンだった。夜の港は、まるでそんなことはお構いなしに明るかった。


「マリーは悪くない」

「私がさっさと敵を沈めていれば――」

「やれることをやらなかったわけじゃない」


 その言葉に私の胸の奥が痛む。やれること――レベッカはそれをしなかった。敢えて、しなかった。その罪悪感はいかばかりだろう。私は唇を噛みしめる。私なんかより、レベッカはずっと苦しいに違いなかった。


「マリー!」


 すぐそばに停まった黒い車から、アルマが飛び出してくる。やや遅れてイザベラとカワセ大佐も姿を見せる。レオンは私を抱きしめ、そして「愚痴りに来たっていいぞ」と言ってくれた。そしてイザベラたちに一礼して、その場を去った。その淡白な心遣いは、今の私にはとても効果的だった。さらに胸が苦しくなる。


 そんな私の背中に、イザベラが触れる。


「マリー、乗れ。マスコミが敷地の外にうじゃうじゃ集まっている」

「は、はい」


 私は後部座席に乗り込み、アルマと並ぶ。向かい合わせに座っているイザベラは、少しうつむき加減になりつつ腕を組んでいる。車が走り出す。


「すべて見えていたよ」


 イザベラは静かに言う。そのサレットのバイザーの向こうからの視線には、感情のようなものは感じられない。


「どうかベッキーを恨まないでやってくれ」

「恨むなんて――」

「見くびるなよ、マリー。きみの心の中にある諸刃の剣。わたしにはよく見えている。きみの胸から流れる血にまみれたその切っ先は、しかしベッキーに向けられているんだ」


 私は思わず顔を上げてイザベラを凝視した。イザベラの口元は冷たく微笑んでいるようにも見えた。


「わたしはD級ディーヴァだ。人間の心の中なんて、手にとるようにわかる。特にきみたち、歌姫セイレーンのことはね」

「それは……でも、それなら」

「そうだね。ベッキーも同じ。だからこその苦しみはある。理解してやって欲しい」

「しかし、私の――」

「死ぬんだ」


 イザベラは静かに言う。


「誰であろうと、簡単に死ぬ。それが、戦争なんだ。特別なものなんてない。なぜなら、これは、きみが体験したあの戦いは、大衆が思うような遊びではないから。もうその時代は終わったんだ。次世代の艦きみたち抜錨ばつびょうした」


 その声には確信しかない。まるで用意された脚本を朗々と読み上げているような、それほどまでに自信に満ちた声音だった。


「これはわたしたちの後に続く歌姫セイレーンたちのための犠牲サクリファイス。きみたちが、人間として生きられる社会を作るための礎として必要だった。本当はわたしたちの時代で片を付けておくべき問題だった。だけど、残念ながらきみたちの時代には間に合わなかった。その点に関しては、申し訳ないと思っている」

「いえ」


 私は首を振る。私だって軍人だ。いつまでもこんな気持ちでいてはいけない。それに戦闘としては大勝利だったのだ。喜べとは言わないにしても、軍のでもある私たちが沈鬱な顔を見せてはいけない――わかってはいるつもりだった。


「わたしもベッキーも同じだ。きみたちへの贖罪しょくざいの気持ちでいっぱいなんだ。だけど、バトンはもうきみたちに渡りつつある。とても喜べるものではないと思うけど、アルマ、マリー。きみたちにこそ、受け取って欲しいんだ」

「それは――」


 私のかすれた声が車内に響く。


「ヴェーラやレベッカと同じ道を歩めということですか」


 それは自分でも驚くほどに冷たい声だった。イザベラは「いや」と首を振る。


「無責任かもしれないけど、それをどうするかはきみたちの考えることだ。わたしたちは時代を作った。そしてわたしたちの時代のケジメはわたしたちがきっちりつける。でもね、終わりはしないのさ。時代はね」


 歌って踊っておしまい、という時代はまだまだ来ないさ――イザベラはそう続けた。私はアルマの手を握っていた。無意識の内にそうしていたらしい。


「私は、怖いんです、提督」


 私が喋っている。


「私の動き一つで敵が死ぬ。簡単に、大勢が一瞬で死ぬ。そして、ほんの少しでも間違えば、味方が死ぬ。一緒に訓練してきた仲間が、四人も……顔も名前も知っている子たちの断末魔を、私は聞いてしまいました」

「そうだね」


 イザベラは静かに息を吐く。


「それは本当に哀しいことだ」


 そう言いながらも、その視線はバイザーの奥から私を捕えて離さない。


「本当はなんて言葉でまとめてしまってはいけないことなんだろう。だけどね、わたしたちがしているのは、まぎれもなく。敵を殺さなければ味方が死ぬ。放っておけば無力な国民が死ぬ。守りたいと思うのなら、まだそう思えるのなら、自分が強くなるしかない。そしてそのためには、無慈悲に、時として無情になるほかにはない。戦闘マシンになるほかにはないんだ」

「マシン――」

「経緯はどうであったとしても、きみは望んで軍に入った」


 イザベラの静かな言葉が私に刺さり、心をねじりあげてくる。


「三年前にした覚悟なんて、実戦を経験した今にして思えば、吹けば飛ぶような、薄っぺらなものだと感じているだろうね」

「それは――」

「だからもう一度、今、訊かせてもらう。きみは、軍を辞めたいと思うかい?」

「軍を辞める?」


 その選択肢は、今は完全に頭の中になかった。


「きみたちにはその権利がある。幸いにしてヤーグベルテには、基本的人権という錦の御旗がある。もっとも、都合の悪い人権意識には蓋をする国民性だけどね」

「しかし」

「セイレネスを動かさない歌姫セイレーンは、軍にとってはただの人だ。何もしないと宣言するだけで、きみたちは演者プレイヤーという役割ロールから開放される」

「でも、それでは」

「わたしたちが困るとか、そういう理由は要らない。きみがどうしたいのか。きみ自身がどう思っているのか。どう考えているのか。大事なのはそれだけだ。わたしの力があれば、きみをに戻すくらいは、わけはない」


 イザベラのそのゆっくりとした低音を聞いている内に、ようやく私の中に温度が戻ってきた気がした。いきなり視界が歪み、涙がこぼれた。私の手をアルマが握り、イザベラは私をただ、見ていた。自分では止めようもない。涙の堰が壊れてしまったかのように、どんなに拭いても涙がこぼれる。


「マリー。わたしもベッキーも、常にきみの味方だ。きみの辛さは、わたしたちも身を以て体験してきた。同じとは言わない。だけど、理解はできているつもりでいる」

「提督……」

「わたしは――」


 イザベラは窓の外を見た。マスコミの車がうじゃうじゃと港の周りに違法駐車をしていたが、こちらが参謀部の車両だとわかると、慌てて道を開けた。きっとカワセ大佐が各社に手を回したのだろうと思う。涙と鼻水が止まらない私に、アルマがハンカチを渡してくれる。格好悪いことこの上ない――なんだかそんなことを思う。


「わたしはわたしにできる限り、全てをきれいにしてからきみにバトンを渡すつもりでいる。これから先、もっともっと大きな哀しみや艱難かんなんがあるかもしれない。でもね、わたしたちはそれらをすべて、きみにちゃんとした形で受け渡すつもりでいる。その時、わたしたちには、きみを守ってやることはできないと思う。でも、きみの覚悟が本物であるというのなら、わたしはきみに応えるだろう。もし、、心が折れそうになったのなら。きみは静かに軍を去れ。それでいい。きみは常に逃げるカードを」

「いいえ」


 私は首を横に振る。


「辞めません。私は、軍を去りません。私が戦えることは分かった。分かってしまいました。知ってしまいました。私がこの手で何千人も一瞬で殺せることを知ってしまった。私はもう戻れないんです」

「マリー……」


 アルマの手が温かい。私はしかし、その温度に流されるわけにはいかない。


「軍を辞めたら、戦闘のニュースをみるたびに、戦死者の情報をみるたびに、私はこの手を見るでしょう。人を殺したこの手を見て、味方を守れなかったこの手を呪うでしょう。良心の呵責……いえ、エゴに、私は押しつぶされると思うんです。だから、辞めるって、そんな選択肢は、もう、ないんです」

「ふふ――」


 イザベラは小さく笑った。その笑声しょうせいすさんでいた。


「やっぱり、そうなっちゃうのか」


 その言葉と嘆息の意味するものを理解するには、私はまだまだ幼稚だったのだろう――。

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