#05-05: 訓練にて、私はアーメリング提督と話す。それは――。

 それから一ヶ月。十月も半ばを過ぎた頃。漆黒の制海掃討駆逐艦・アキレウスを与えられた私は、配属された第二艦隊の練習航海に参加していた。鬼もく――その評判は本物だった。


 厳しさは覚悟していたつもりだったが、現実はその覚悟という名の鎧を粉砕した。それでも、客観的に見て私はまだ楽なポジションだった。常に主導権イニシアティヴを握り続けなければならないというプレッシャーはあった。だけど、それ自体はレニーの戦闘ログで学んでいたから、難しくはなかった。ただ、その際限なしの訓練と不慣れゆえの緊張の連続は、私の精神力を著しくり減らした。


 アーメリング提督は、基本的には私たち新人とは直接コンタクトを取ろうとはしなかった。私たち第四期生、着任一ヶ月のヒヨッコが恐れたのは、あの今をときめくV級歌姫ヴォーカリスト、エディタ・レスコ中佐だった。その訓練計画が送られてきた時には、内容を思わず三度見した。二週間に渡る継続戦闘からの撤退訓練。二週間もの緊張状態からの撤退。これは負け戦のための訓練ではないのか。


 今や私の隣には、アルマもレニーもいない。二人とも第一艦隊の配属だったからだ。レオンは重巡洋艦ケフェウスを駆って、第二艦隊の最先鋒にいる。最初の頃は元気だったレオンも、今やほとんど連絡を送ってこなくなった。もはや余裕がないのだろう。私だってヘトヘトだ。余裕があったら眠りたい。


 しかし、艦隊は不眠不休の仮想敵との戦闘中だ。押し寄せる戦闘機、不意に現れる潜水艦、落ちてくる弾道ミサイル――とにかくありとあらゆる兵器が私たちを襲ってきた。最初の三日でC級クワイアの新人の半数が脱落した。一週間も経つ頃には新人は一人もいなくなった。二年目以上のC級クワイアV級ヴォーカリストは平然とついてきている。これが経験の差というヤツなのだろう。


 そして、S級ソリストである私は間違っても脱落するわけにはいかなかった。レオンももはや気力でついてきているだけという状況に違いなかった。艦の乗組員は交代で休憩も取れるが、セイレネスを操れる私たち歌姫セイレーンにはそれすら許されない。連続的な休息は、取れてもせいぜい四、五時間程度だった。空いてる時間は泥のように眠るしかないが、それも空襲警報で中断される。正常な判断力が保てている自信がなくなってきている。


 それにこのご時世、いつどこに本物の敵がいるのかわからない。その事もあって、私たちには気の休まる時間はなかったのだ。実際に、アーシュオンの超高高度戦略偵察機を発見したのも一度や二度ではない。


 セイレネス・コア連結室からフラフラと出てきた私は、艦橋ブリッジにてひっくり返りそうになった。レベッカが、艦長席の後ろにある私の指定席に座って、艦長であるダウェル中佐と何やら会話していたからだ。


「て、提督!?」

「お疲れ様、マリー」


 敬礼する私を見つつ、レベッカは立ち上がる。


「艦長からアキレウスの乗り心地を聞いていたのよ」

「お知り合いなのですか?」


 私が問うと、レベッカは少し変な顔をした。


「彼は少し前まで私の艦ウラニアの一等航海士だったのよ」

「そ、そうなのですか?」

「あら、中佐。伝えていなかったの?」

「そんな余裕がありそうに見えます?」


 ダウェル中佐は私を手のひらで示して、おどけた口調で言った。レベッカは「それもそうか」と呟いている。


「アーメリング提督。今夜は海が荒れます。本艦はウラニアに比べて揺れますよ」

「平気です」


 レベッカは少し胸を張る。その表情は訓練中をは思えないほど柔和だった。つい二時間ばかり前に見た表情は、まるで鬼か悪魔のようだったのだが。


「それより索敵に全力をとエディタに伝えて」

了解アイ・マム。通信班、レスコ中佐に電文を送れ」

了解アイ・サー


 その様子を見て、レベッカは左手で私の右手を取った。手をつないだ格好だ。


「散歩でもしましょう」

「ご案内します」

「いいえ、散歩よ。この艦のことは配電盤の作りまで承知しているわ」


 全長二百三十メートルのこの艦は、散歩ができるような広さではない。六百五十メートルもあるウラニアならジョギングの一つもできるだろうけど。


「あなたの部屋を訪ねてもいいかしら」

「執務室の方ですか?」

「そうね。さすがにプライベートには立ち入らないわ」

「私は構いませんが――」


 殺風景なのはどちらも一緒だ。ベッドが置かれているかいないか程度の違いしかないし、部屋は隣だ。ちなみにどちらにもこの一週間以上入っていない。艦橋ブリッジとコア連結室の往復だけで過ごしている、そういえば。


 私は久しぶりに自室を覗いてみようと、えて自分のプライベートルームの鍵を開けた。一歩入って、レベッカが怪訝な顔を見せる。


「間違えたの?」

「いえ、こちらのほうがリラックスできるかなと思いまして」

「そう?」


 しまった、この部屋には座る場所がない。ここにきて私は慌てる。ベッドくらいしか座れる場所がない。この部屋にはデスクもないのだ。


「ベッドに座れということね?」

「あ、えっと、あの」


 私が口ごもっている内にレベッカはベッドに腰を下ろしていた。そしてその隣をポンポンと示す。拒否できる権利など私にあるはずもなく、私は数秒後にはレベッカの左隣に座っていた。


「ところであの、提督。こんな時間にどうされたのですか? 訓練は?」

「今ちょっと休憩させたところ。脱落組と再合流して、明日から再開する予定」

「そうなのですね」


 ちょっと気が抜けた。レベッカは私の右手に手を重ねる。


「最初の訓練を終えると、全員表情が変わるのよ」

「……でしょうね」


 もうすでに私もだいぶやつれてる気がする。


「そういう意味じゃないわ」


 レベッカは笑う。


 ……あれ? なんで分かったんだろう?


「わかるのよ、マリー。あなたもまた強い歌姫セイレーンだから」

「わ、私には提督のお考えは見えませんが……」


 一方的に心を読まれているのか? そう思うと少し不安になる。

 

「理解が先に立つの。概念コンセプトの後に文脈コンテクストが追いついてくるという感じかしら」

「は、はぁ……」


 よくわからないが、レベッカの手のひらが暖かい事は伝わってくる。


「実はね、さっきイズーに叱られたのよ」

「ネーミア提督に?」

「ええ。ついでにマリアにも小言を言われたわ」

「訓練について、ですか?」

「イエス」


 レベッカは難しい顔をして頷いた。


「厳しすぎるっていう苦情クレームが参謀部にかなり来ていて大変なんですって。生き残る可能性を高めるために、この訓練をしてるのに」

「提督のお考えは理解できます」


 私は図らずもレベッカと見つめ合う。レベッカの深緑の瞳に、灰色の髪がかかっている。


「ですが、正直、私もヘトヘトです……」

「ごめんなさい」


 レベッカは小さく頭を下げた。


「でも、実戦はもっともっと厳しいの。今日までの訓練の成果は、すぐに実感できるはずなのよ」

「私は戦闘ログを二年くらい追っていましたから、状況がどのように動くかは予測できます。でも、C級クワイアの子たちやレオンは、何が何やらさっぱりだったかもしれません」


 私の言葉に、レベッカはなるほど、と頷く。


「そうね、そういうことか」

「提督?」

「ええ、いえ、あのね、さっきイズーに言われたのよ。『きみは言葉が足りない』って」


 そうかも。私はその指摘に同意する。レベッカは露骨に溜息をついた。


「でも、敵だって説明なんてしてくれないじゃない」

「それはそうですが」


 私は自分の爪先を睨む。レベッカの言っていることは圧倒的に正しいと思う。でも、脱落者が数多く出ているのも事実だし、泣いてる子たちも少なくはないだろうし。それは、でも――。


「エディタにもね、毎日言われているのよ。訓練が厳しすぎないかって」

「えっ、あのレスコ中佐が?」


 艦隊で最も恐れられているのは、レベッカではない。実質的な第二艦隊の指揮官、エディタ・レスコ中佐だ。


「あの子には鬼教官役を押し付けちゃってるけど、本当は優しい子なのよ、エディタは」

「そ、そうなのですか」

「ええ。でも、あの子は私の考えを理解した上で、あのような言動をしているんです。あなたたち新人からしてみれば、エディタはさぞ鬼か悪魔のようでしょうね。あぁ、私もか」


 その通りですとは言えない。けど、その通りだった。レベッカは小さく笑う。


「セイレネスでは嘘はつけない――知っていますね?」

「は、はい」

「迷いも苦悩も、全てが見える世界。一度ひとたび戦端が開けば、たちまちのうちに情報量は膨れ上がる。あなたが体験したことのないほどの情報にさらされる。決して愉快とは言えない、辛苦と罪咎ざいきゅうにまみれた情報に」

「辛苦と罪咎……ですか」

「ええ」


 レベッカは私の手を握った。温かいなぁと感じる。


「私たちはね、この存在そのものがなのよ」

「え……」

を経験すれば、その意味も真に理解できるようになるでしょう。望もうが望むまいが、私たちは石と棍棒で武装した程度の人々を、戦車で踏み潰すようなことをしているのですからね」


 レベッカは小さく息を吐き、そしていきなり私を抱きしめた。


 え? なに?


 私、今、レベッカに抱きつかれた?


 混乱する私をよそに、レベッカは私の耳元で囁いた。


「私たちは、何百万人もの非武装市民を殺したこともあるわ。アーシュオンに核を落として」

「それは、でも――」

「命令だった。そう、確かにそういう命令でした」


 レベッカの鼓動が伝わってくる。それはすごく速くて、私まで息苦しくなってくる。


「でもね、マリー。その過程が、理由が、どんなものであったとしても。避けられないものであったとしても。私たちが人を殺したのは事実なのよ。私のこの手が返り血で真っ赤に染まっているのは事実なの」


 レベッカは二呼吸置いた。


「私たちの力、セイレネスが人を殺す時、私たちの内側には彼ら彼女らの全てが入り込んでくる。顔も、その過去も、描いていた未来も、絶望も、恐怖も、哀しみも、怨嗟えんさも、何もかもが。それは生半可な精神力で耐えられるものなんかでは、ないのです」

「それを、提督とヴェーラは……」

「そう、二人で」


 それは……私には想像もできない話だった。


「私はね、あなたたちにはこんな思いは味あわせたくないと思っていた。他の誰にも、こんな思いはさせまいとね。けれど、エディタが現れ、そしてあなたたちも現れてしまった。そもそもあの日、あのライブ会場の最前列中央センターにいたあなたたちを見た時、私とヴェーラは確かに希望を持ってしまった」

「あの時の……気付いておられたのですか」

「ええ。忘れられるはずもないわ。あなたとアルマの情報を得た時、あの時の子たちだってことはすぐにわかった。だからこそ、今があるのよ」


 レベッカの呼気が、私の鼓膜を直接震わせる。


「私は思ってしまった。これで私たちは少しは楽になれるかもしれない――」

「それでいいんです、提督」


 私は反射的に応じた。今、感じた。レベッカ・アーメリングという一人の人間が抱えてきた苦しみを。


「私たちは同じ歌姫セイレーンでしょう? いつまでも憧れの歌姫ディーヴァの手を汚させ続けたいなんて、絶対に思えない。もちろん、私だって人を殺したくなんてないです。でも、誰かがをしなくちゃいけないというのなら、私は後ろに隠れていたくはないんです」

「あなたはヴェーラに似ているわ」

「えっ……?」

「ヴェーラはその思いが強すぎて、だから結果として自滅してしまった。それはイズー……イザベラとなった今もまだ変わらない。あの子の本質は、常に正義の人だから」


 正義の人……。


 私はその意味を、少しぼんやりした頭で考える。


「私は……正義の人なんかではないです」


 そこまでの強さはないと思う。ただ、卑怯者ではいたくない。それだけ。


「それでいいの。強すぎる正義は、人をくわ」


 その言葉を聞き終えたか否かのタイミングで、私の頭の中で何かが。リン、とも、キン、とも言えない音が。レベッカが勢いよく立ち上がる。


「今、のは……?」

が来ます」


 レベッカは静かに宣告した。

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