#05-03: 優しい毒

 パーティ会場から出るとすぐに、大柄な男の人が待っていた。二の腕周りは多分私のウエストくらいはあるし、身長も二メートルに迫るような大男だ。浅黒い顔に人懐っこい笑みを浮かべて私たちに敬礼してくる。


 イザベラは右手を振って笑う。


「やめてよ、ジョンソンさん。畏まって」

「イズー、あのね、今のはこの子たちに対する敬礼よ」

「あ、そうか」


 言われてはたと気がつく。私は今日付けで上級少尉になったのだった。となると、曹長、准尉、少尉と、二つ階級が違うことになる。とはついているが、軍務規律的には少尉と同列だ。


 私とアルマは慌てて礼を返す。考えてみれば士官学校では歌姫セイレーンや将校とばかり接していたから、下士官たちとの接し方がよくわからない。


「カワセ大佐よりも連絡を頂いております。道中で参謀部にバトンタッチすることになりますね」

「あら、そうなんですね」


 レベッカが「それもそうか」と付け加えつつ言った。


「玄関口でタガートが待機してます」

「じゃ、さっそく行こうか」


 マントをひるがえしたイザベラの案内で、私たちは出口へと向かう。ジョンソンさんは会場内であるにも関わらず、油断なく周囲を見回している。まったく油断はない。それにこのような場で拳銃の携行が許されているのは、提督方からの信頼の証だ。


「お待ちしてました」


 玄関から出るとすぐそこに巨大な車が停まっていた。その運転席側に、これまた大柄な兵士が立っている。彼がタガートさんだろう。


「思い出した」


 アルマが車に乗り込みながら言った。


「ジョンソンさんとタガートさんって、あの伝説の警護官ですよね」

「伝説とは大袈裟な」


 ジョンソンさんは助手席に乗り込みつつ苦笑する。私はアルマの隣に座り、イザベラとレベッカはそれぞれアルマと私に向かい合うように腰を下ろした。私たちは車の進行方向とは逆を向いている。


 レベッカがちらりとイザベラに視線を送りつつ、言った。


「士官学校時代からのお付き合いよ」

「最初からってことですか?」


 私が問うと、レベッカは肯く。


「そうね、最初から。二十四時間三百六十五日、それを十何年も続けてくれているわ」

「わたしは名目上はまだ三年だけどね」


 イザベラが言うと、レベッカは肩を竦める。ジョンソンさんとタガートさんは周囲の安全確認を十分に行った末に車を発進させた。タガートさんの手動運転マニュアルらしい。


「こっちのほうが有事の際にワンステップ省略して動けますからね」


 タガートさんは気さくに言う。計算的には年齢はどちらも三十代後半だろうか。だけど、とても若々しい。


「きみたちは知らないかもしれないけど、V級ヴォーカリスト以上の歌姫セイレーンには、必ず一人以上の警護官がついているんだよ。ひっそり見守ってる感じかな」

「え、そうだったんですか」

「うん。でも、保安上、その警護官の情報は当人たちには明かされない。、ね」

「イズー、話し過ぎよ」

「いいじゃん、別に」

「あの、それって」


 アルマが口を挟んだ。中将間のやり取りの間に割り込めるアルマを少し尊敬した。


「あたしたちは常に監視されてるっていうことですか?」

「そ」


 イザベラによって短く肯定される。


「もっとも、きみたちに関してはマリアが絡んでいるからね。参謀部も情報部も保安部も、おいそれと手を出せないはずさ」

「あたしたちは別に、やましいことはありませんけど」

「ふぅん」


 イザベラは唇だけで微笑む。


「たとえば、――あの時、きみたちが何をしていたかまで、わたしは知っているよ」

「え……」


 私とアルマは顔を見合わせる。アルマは少し青めている。そんな私たちを見て、イザベラは笑う。


「別にそれを責めてるわけじゃない。むしろ逆さ。そういう子たちの出現を待っていたんだ、わたしは」

「イズー、話し過ぎに気をつけてよ」

「きみは相変わらず説教臭いな。大丈夫、一杯しか飲んでないのは見てるだろ」

「ウィスキーを一気にあおったところは見たわ」


 レベッカは露骨な溜息をついてみせた。そして思い出したように助手席の方に声を掛ける。


「そうそう、ジョンソンさん」

「なんです?」

「これは明日お話ししようと思っていたのですが、その、参謀部から通達があったんです」

「嫌な話ですか?」

「どうでしょう?」


 レベッカは携帯端末モバイルを取り出して何やら操作をし、端末を私経由でジョンソンさんに渡した。


「どういうことです?」


 再び端末が私を経由してレベッカに戻る。


「見ての通り。ジョンソンさんとタガートさんの、私たちの警護官としての任務は今日で終了」

「突然過ぎやしませんか」

「そうね。私もそう思う。今朝私たちに通達された人事なのよ」


 レベッカはいささか憤然とした表情を見せている。


「でも、見ての通り選択肢はあるの。このまま士官学校の教官として新しいキャリアに進むか、それとも、この子たちの警護官として着任するか。私たちの力では、その選択肢を作るのが精一杯だったわ。ごめんなさい」


 レベッカの言葉に、運転席と助手席の二人は沈黙してしまう。しばらくして、二人は何か早口で、いささか下品なスラング混じりの会話をして、笑い始めた。


「ヴェーラやレベッカに比べたら、この子たちはおとなしそうだ。もうおっさんな俺たちには丁度いい」

「ちょっと、それどういう意味」


 イザベラが唇を尖らせる。少し子供じみた表情に、私は思わず噴き出した。運転席のタガートさんがサラッと言う。


「別に何しても構いやしませんけど、家に火をつけるのは勘弁して欲しいですね」

「ちょっと、それブラックジョークじゃん」


 イザベラがサレットのこめかみをコツコツと叩く。そうか、この人たちはヴェーラとイザベラの関係を知っているんだ。


「じゃぁ、マリーとアルマの警護官に着任するということで良いですか?」


 レベッカは携帯端末モバイルを操作しながら確認する。二人の屈強な兵士は共に野太い声で「イエス、マム」と応じてきた。レベッカは「わかった」と呟きつつ、端末をしまう。


「この二人は、もしかすると軍で一番信用していい人かもしれないから。私たちの十代の頃からの付き合いだし、歌姫セイレーンに関しても誰よりも理解しているわ」

「何度もプライベートで愚痴らせてもらってるからね。いい迷惑だったと思うけど」

「そんな事はありませんよ」


 ジョンソンさんが後ろを振り返りつつ白い歯を見せる。


「下士官とは思えないほどの給料はもらえてますからね」

「それはよかった」


 イザベラは笑って言った。


「わたしたちの愚痴聞き代だよ」

「そうか……」


 ジョンソンさんはまた運転席のタガートさんと何か言葉を交わす。やはりスラングが多すぎて、私には暗号文のようにしか聞こえない。


「愚痴聞き代にしちゃ、ちょっと安いか」

「もう、ジョンソンさんたら」


 レベッカは笑った。それは見たことがないくらいに、陰のない笑顔だった。それだけ心を許している相手なのだろう。


「ま、おかげさまで引退しても困りやしませんから。もう趣味ですよ、この仕事は。なぁ、タガート」

「もちろん、手は抜きませんけどね」


 運転を続けながらタガートさんが言う。フロントガラスには目まぐるしく情報が表示されている。見た所、道路近傍には人影もない。


「見えないからって安心はできないんだけど、この車に乗ってる限りはまず安全だよ」


 イザベラは悠々と腕を組んでいる。


「光学迷彩も最新式のものを解析できるし。対戦車砲でも持ってこない限り装甲は撃ち抜けないしね」

「そうなんですか」


 私とアルマは顔を見合わせる。でもそれはそうだ。反歌姫計画連盟が暗躍している以上、いついかなる時も警戒は怠るべきではない。そして今、この二人のD級ディーヴァが失われたら、ヤーグベルテという国は終わる。


「あ、でも、ジョンソンさんとタガートさんが警護官を外れてしまったら、閣下は……」

「心配には及ばないよ、マリー」


 イザベラはフフンと鼻を鳴らす。


「今やわたしたちの周りには国の有象無象どもが張り付いてるから。どこの部署も、どの団体もわたしたちには手を出せやしないのさ」

「足を引っ張り合っている結果、私たちは守られているってことね」


 皮肉を込めてレベッカが言う。イザベラはレベッカの太ももを軽く叩く。


「ま、わたしたちにはマリアがいるしね。彼女の目が黒いうちは、誰も下手を打てやしないさ」

「あの、カワセ大佐は、どういう立場の方なんですか?」

「え?」


 私の問いに、レベッカが訊き返す。


歌姫艦隊ディーヴァ・アルマダの作戦参謀長ということは存じていますが――」

「立場的にはね。同時に彼女は、ホメロス社――つまり、セイレネスの開発元の幹部社員でもあるんだ。軍への出向ってやつだね」


 その事は、あの時、軍人墓地で知った。でも、私が訊きたいのはそういうことじゃなくて……。


「まぁ、そうじゃないだろうね」


 まるで私の心を見通したようにイザベラが笑う。


「マリアはね、歌姫計画セイレネス・シーケンスだよ」

「お、親玉……?」

「そ」


 さらりと重要すぎることを開陳された気がする。カワセ大佐は、その構造すら見えていなかった歌姫計画セイレネス・シーケンスの、その頂点にいるというのか。


「ま、推測なんだけどさ。わたしたちにだって確証なんてないけど、だからこそ、わたしたちはあの子が、マリアが親玉だと踏んでいるっていう寸法さ」


 その論理に合理性があるとは言い難かったが、長い付き合いのある提督方だ。何が起きていても、どういう仕組みになっていても驚くにはあたらないということだろう。レベッカも何も言わない所を見ると、彼女もまた同意見だということだ。


「その、仮にその推測が正しかったとして――」


 アルマがおずおずと口を開く。が、イザベラが右手を挙げてその言葉を制する。


「わたしは、わたしたちは、マリアを恨むことはない」

「しかし」

「この世界は善悪二元論でできているわけじゃない。そして、マリアはわたしたちサイドの人だ。彼女の真の思惑がどこにあろうと、彼女が何に動かされていようと、そんなことはどうだっていい。彼女のわたしたちへの献身に、嘘偽りはない。それが唯一にして絶対の真実なんだ」

「では、このままで構わないと」

「いや」


 このままで構わないなんて言わないさと、イザベラは首を振る。


「マリアによって、わたしたちは守られている。彼女と、彼女の背後にある何か大きな力の思惑によって、わたしたちは有象無象のてんでばらばらな連中の言葉から守られているんだ」

「そうよ。事実、そう。そのとおり」


 レベッカが補う。私はアルマの横顔を伺う。アルマの表情は固い。


「毒をもって毒を制する、ように聞こえました」

「はは、それならば、マリアは優しい毒だ」


 イザベラは少し寂しそうな声音でそう言い、私、そしてアルマを見回した。


「忘れるなよ、二人とも。きみたちもまた、その甘い毒に守られているんだ。今は良い。けれど、いずれその全ての、きみたちを犯すありとあらゆるものを跳ね返せるようになれ」

「それは、いったいどういう――」

「わかるべき時に、わかるさ」


 イザベラは私の言葉をそっと遮った。


「わたしたちは、きみたちにはんだ」


 サレットのバイザー越しに感じたイザベラの視線は、ぞっとするほどの奈落だった。

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