#05 実戦配備に至りて――

#05-01: レネ・グリーグの実戦配備

 カワセ大佐とハーディ中佐の一触即発の状態は、それからもずっと続いていた。参謀部第六課統括がハーディ中佐であることは変わらなかったが、歌姫セイレーンたちに直接的に関与する機会はほぼなくなった。第一・第二艦隊――通称、歌姫艦隊ディーヴァ・アルマダ――の作戦参謀としてのカワセ大佐は、確実に権威を高めていった。


 兵器開発は着実に進み、私たちが三年になる頃、つまりレニーが卒業する頃には三隻目の戦艦、ヒュペルノルが実戦配備されることとなった。レニーは卒業と同時に、D級ディーヴァたちと戦艦で並ぶことになった。セイレーンEM-AZやウラニアほどの巨大さはないものの、それでも正規空母よりも遥かに巨大なその流線型の艦体は見るものを魅了した。艦を守る半透明な装甲の色は光の加減によって青とも緑とも、白とも黄色とも感じることができた。とにかく美しい、さながらモルフォ蝶のような輝きを持った戦艦だった。


 レニーはあっという間に艦隊の中枢に駆け上がる。唯一にして、事実上最大の戦力であるS級ソリストの実力は圧倒的で、津波のように押し寄せてくる超兵器オーパーツたちを、その初撃で一網打尽にするほどの活躍ぶりだった。巡洋艦を与えられている、第一期のエディタ、クララ、テレサ、第二期のハンナ、レニーの同期である第三期のロラ、パトリシアたちV級ヴォーカリストたちも変わらぬ戦果を上げ続けていた。しかし、レニー一人でその全員をあわせた以上の戦果を上げるものだから、マスコミやネットではレニーに対する絶賛ばかりが溢れるようになった。


「おつかれさま、レニー」


 私は夜中に部屋に帰ってきたレニーにココアを手渡した。レニーは軍に正式配備されたにも関わらず、部屋は私たちと同室のままだった。軍としてはいかがなものかと思わないではなかったけれど、兵站や戦闘ログを追う仕事をしている私たちにとってみれば、とても都合が良かった。レニーもまた、私たちとの議論には嫌な顔ひとつせずに応じてくれた。


「ありがとう、マリー。落ち着くわ」


 レニーは疲れた表情を浮かべていた。それはそうだ、二週間に渡る迎撃任務から帰ってきたばかりだからだ。ソファに沈み込んでいるレニーは、薄暗い室内をゆっくりと見回した。


「ここは変わらないわね」

「帰る場所って、大事じゃないですか」


 私はもう一つのソファに座って、うつらうつらしているアルマを見つつ言った。レニーもそのアルマの方を見て、小さく笑う。アルマの膝の上のタブレット端末には、兵站部の調達ログが浮かんでいた。


「帰る場所、か――」


 レニーは息を吐く。ココアの湯気が少し流れる。私はレニーの向かいのソファに腰を下ろして、少しだけ伸びをした。


「そんな大切な場所を、ヴェーラは自ら焼いてしまった。どんな気持ちだったんでしょうね」

「それは……」


 私は指を組み合わせて視線を落とす。レニーは一呼吸置いて、呟いた。


「ヴェーラは命がけで、仮面ペルソナを脱ぎ捨てた。そのためには、過去も、現在も邪魔だった」

「でも、それじゃ」

「そうね」


 レニーは私を見ていた。薄暗い部屋の中で、間接照明を弾き返すその瞳は、強烈な光を宿していた。


「ヴェーラには、自分の未来すら、邪魔だったのよ」

「だから、イザベラとして、生まれ変わった?」

「それがヴェーラの本意だったかどうかはわからない」


 レニーは私から目を逸らさない。私も視線を動かせない。レニーは最前線に立つようになってから、時々こういう怖い目をする。


「だけど、イザベラは、ネーミア提督は、その全てを振り切って今、立っている。だから、恐ろしいほど冷たくて鋭い。時々、あの方がたまらなく怖くなる」


 それは少し意外だった。私にしてみれば、レベッカの方が怖い。イザベラはまだ私たち歌姫セイレーンに近い場所にいるように思えていた。けれど、レベッカはとても遠い所に立っている。レベッカには感情が見えず、イザベラが見せている感情は作り物――今回の出撃前にレニーはそう言っていた。


「イザベラは、自分の全てを偽物でした。レベッカは自分という殻で自分を守っている。普通に考えれば、イザベラの方が優しいわ。そういう自分を作っているのだから」

「優しい自分を?」

「そうよ」


 レニーはマグカップをテーブルの上に置いた。まだ少し残っている。


「見せかけの優しさを作り続ける強さと、本来の優しさを殺す強さ。二人はどちらも強いのよ」


 レニーは腕を組んで目を閉じた。


「私にはまだ心の強さがない。つらい」

「それは……レニーが優しいから」

「この手は返り血で真っ赤に染まっている」


 レニーの静かな言葉に、私は何も言えなくなる。


「私はこの手で何百人も殺した、今回も。セイレネスではね、殺した人の顔が見える。声が聴こえる。過去も現在も未来も、全て流れ込んでくる」

「そ、そうなんですか……!?」

「ええ」


 それは初耳だった。セイレネス自体よくわからないシステムだったけど、そんなことが起きるなんて聴いたことがなかった。


「そう感じるのはきっと、私がS級ソリストだからよ」

「ああ……」


 V級ヴォーカリストの先輩たちはそこまで明確に感じていない、ということか。しかしだとすると、D級ディーヴァの二人は……。


「それもつらいわ。でも、それだけじゃない」

「……?」

「戦いに慣れていく自分がいる」


 レニーは目をきつく閉じている。その下唇が噛み締められている。


「心が動かなくなっていく自分がいる」

「心が……?」

「ええ」


 レニーは静かに、しかし、苦い表情を見せた。薄く開かれた瞳が、私を捉えている。開いた瞳孔に、私は吸い込まれそうになる。


「ヴェーラとレベッカ。ほんの数年前まで、二人が、二人で、全てを背負ってきた。数ヶ月でここまで凹んでいる私を振り返ると、二人のD級ディーヴァたちがどれほどのものを背負わされてきたのか、わかる気がする。でも、慣れていく。私は、変わっていってしまっている。それが、怖い」


 なんとなくだけど、その意味することはわかる。私だって、戦闘ログを見る度に最初は胸が痛んだりした。けれど、今はただの文字列だ。淡々と脳内で戦闘ロジックを組み直し、最適化していく作業のための入力文字列。セイレネス・システムに対するフィードバックを行うための作業のための要素。そこには血も涙もない――最初の頃にはあったはずなのに。


「私たちは変わっていくんだね」

「そうよ」


 レニーは肯く。


「みんな、つらい。誰もかれも、つらい。私も、レベッカも、イザベラも、そしてV級ヴォーカリストのみんなも」

「相対論じゃないよ、レニー」


 私はようやくレニーの顔から視線を外した。ほの暗い天井を見上げる。


「他人のつらさをおもんぱかったって、自分のつらさが変わるわけじゃない。いっそうの重さを背負ってしまうだけだよ」

「そうね」


 レニーはため息を吐く。その憂いを秘めた表情もまた、重たい。


「わかってる。わかってるのよ。でもね、戦場でたった一人、戦艦のコア連結室に入っていると、闇と音に押しつぶされそうになってしまう」

「一人……」

「もちろん、周囲には仲間や先輩が大勢いる。だけど、私はS級ソリスト。たった一人のS級。戦場を蹂躙するための、巨大な戦力として、私は最先いやさきに立つの。味方を守り、敵を殺す。守りきれなかった味方はのこし、殺された敵は慚愧ざんきの念を私に向ける」

「背負いすぎたらダメだよ、レニー。一年も経たないうちに、私たちも戦場に出るから」

「だめよ」


 レニーは首を振る。


「あなたたちには、こんな思いはさせない」

「でも、そんなの――」

「アーシュオンを倒せば終わる。だから」

「無理だよ。ヴェーラにも、レベッカにもできなかったことだから」

「だからといって、はいそうですかと言うわけにはいかない」


 レニーの昏い瞳が物騒な光を宿している。戦場に出るようになって、レニーは確かに変わってきた。以前の優しい表情を見せることは減り、こんなふうに尖った雰囲気をまとうようになってきた。


「たったの数ヶ月で、私はもううんざりしているの。私は何をしているのだろう。何をさせられているのだろうって。味方が死ねば人々はを手にして喜ぶ。敵が死ねば人々はその意味も考えずに喜ぶ。ヴェーラ・グリエールが自ら命を絶とうとした、その絶望が、セイレネスの内側では渦を巻いているの。ヴェーラの遺したもの、その残滓ざんしが、否応なしに囁くのよ、私の心の内側で」

「レニー、それは」


 遺物でも残滓でもない。その声は、ただの死神の声だ。私はそう言おうとして、結局、言えなかった。レニーはギラついた瞳で私を見て、言った。


「一年で片を付ける。私は完全なる抑止力になってみせる」


 それは呪文だ。呪いの言葉だ。人々と自らの運命を縛り付ける鋼の鎖だ。私は首を振る。その時、レニーの隣のソファに座っていたアルマと目があった。いつの間にか完全に目を覚ましていたのだ。


「レニー」


 アルマはそっとレニーの右手に自分の両手を重ねた。


「あたしたちだってもう十八になるんだ、レニー」


 もっと頼ってよ、と、アルマは言った。レニーは俯いた。


「あたしとマリーもいる。一人で背負しょい込む道理はないんだよ、レニー。時間を稼いでくれたら、あたしたち三人で同じ重さを分かち合えるようになる。一人で背負わなくていいんだ。そんなことをしたら、ヴェーラと同じてつを踏むことになる。ヴェーラとレベッカの二人でさえ、完全なる抑止力なんかにはならなかった。なれなかった」

「そうだよ、レニー」


 私はアルマに同意する。あのD級歌姫ディーヴァの登場によって、確かにパラダイムシフトは起きた。軍事バランスは一変した。しかし、それで世界の何が変わったのか。何も変わってはいない。むしろ、以前のほうがまだだったのではないかとさえ思えてしまう。


 今やセイレネスだけじゃない、アーシュオンの超兵器オーパーツが次から次へと生産されて、世界はますます混迷を極めている。今やセイレネスと超兵器オーパーツ以外は戦場に立つことも許されない世界だ。ヤーグベルテとアーシュオンの二つの勢力だけが世界の軍事を握っている。そしてその当事者たる私たちは、歴史上最も大規模で凄惨な殺戮劇の主人公だ。


「あたしは思うんだ、レニー。あたしたち歌姫セイレーンの時代は多分まだまだ続く。その中でどこか平和な期間はやってくると思う。平和な時代は来ると思う。けど、それは今じゃない。今じゃないんだ」

「アルマに同意」


 私は言った。


「レニー。私たちだって覚悟はできて――」

「覚悟が本物だっていう証明はできる?」

「……いえ。でも」

「その覚悟という単語は、ただのよ」


 戒め……?


 私はテーブルに視線を落とす。


「いえ、戒めでも良い」


 私は言い返す。レニーは目を見開いた。それは、自分の正義を疑わなかった人の顔だった。


「私たちは戦場で戦う。そしてレニーと同じことを思うと思う。次の子たちは戦場に立たせはしないって。もう、戦争が終わりますようにって。だけど、それしかできないんです、私たちには」

「諦めるの!?」

「いいえ!」


 私は首を振った。アルマは腰を浮かせたレニーの背後に回って、その首にゆるりと腕を回していた。レニーはその事に少し驚いた様子だったが、やがてまたソファに腰を落ち着けた。


「私たちにできるのは、守ること。そして、祈ること。この命を賭けて、国と未来を守ること。それしかできないんです。絶対的な、完全なる抑止力なんてなりえない。そんなものはあり得ない。数十年前までは、究極的抑止力アルティメット・デタラントなんてもてはやされていた核兵器は、今や通常兵器みたいなものです」


 私は膝の上で拳を握りしめる。


「確かにかつてヴェーラとレベッカがやったように、アーシュオンの本土に核ミサイルを撃ち込むという手段だって戦略的選択肢には有るでしょう。けれど、それで無辜の人々を何百何千万と殺して、完膚なきまでにアーシュオンに穴を開けて、敵になり得る人が誰もいなくなって――それで得られた空白の時間は、平和と言えるんですか。それが平和なんですか?」

「ヤーグベルテを脅かす者がいなくなれば――」

「いいえ、レニー。冷静になってください」


 私はもう一度首を振る。


「今や全ての国がアーシュオンとヤーグベルテを取り囲んでいます。セイレネスの、そして超兵器オーパーツの技術を狙っています。次なる時代の、完全なる新兵器。パラダイムシフトをあっさりと引き起こしたセイレネス。欲しがらない国があるでしょうか?」

「それは……」

「アーシュオンが滅んだとします」


 私は声のトーンを落とした。


「けれど、そうしたら今度は、同盟国であるはずのエル・マークヴェリアが私たちに矛先を向ける可能性だってなくはないんです。きっと私たちのが変わるだけ。暴力で手に入れる平和――それはね、悪魔の囁きなんです。世界が滅びるまで生贄を、代償を求め続ける、悪魔の契約なんです」

「でも、それでも! 私はあなたたたちをふねには乗せたくなんてない。あんな思いはしないで済むというのならしないほうがいいのよ」

「いいえ」


 私は言う。レニーの背後にいるアルマは私を見て頷いた。


「私たちはみんな歌姫セイレーンです。歌い続けて、踊り続けて、そこでやっと意味が生まれる存在に過ぎないんです、レニー。私たちはただ歌って踊って生きていきたい。なんて決して、どんな手段を使ってでも、人々の退屈凌ぎエンターテインメントになんてさせてはいけなかった。だけど、そんなゴミみたいな現実を変えられるのもまた、私たちしかいないんです。だから、一緒にやりましょう、レニー。私たちになら、できる。できるはずです。ヴェーラやレベッカが歩いてきた道を知ることのできる私たちなら」


 その道は険しいだろう。厳しいだろう。


 私の覚悟は――言ってしまえばその程度のものだった。

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