#04-05: レイニー・セメタリー

 カワセ大佐が車を停めたのは、軍人墓地の屋外駐車場だった。その頃には雨の降りも、傘を使わずとも何とか我慢できる程度には収まっていた。カワセ大佐は私たちの先頭に立ち、ふと空を見上げた。私もつられて黒雲に覆われた空を見る。辺りはくらく、時計を見なければ時間の見当もつかなかっただろう。今はいわば黄昏の頃合いだ。黄昏、かれ――。人の顔が見分けにくくなる、少し憂鬱になる時間。


 しとしとと雨の降る中、目の前の広大な敷地には無数の墓標が並んでいる。綺麗に整備された芝生の中を、清掃用の半球形のロボットが数機、ウロウロと移動と停止を繰り返している。熱心に働き続けるこれらもジークフリートによって制御されているのだと思うと、なんだか少し可笑しい。


 カワセ大佐はその緩やかな上り坂を迷わずに歩いていく。私たち三人は横に並んで歩く。こんな日のこんな時間だ。私たちの他には誰も見当たらない。陰鬱な空の下、決して愉快とは言えない場所。私たちは無言でしばらく歩き続けた。


「あの――」


 十分近く歩いた頃になってようやく、レオンが遠慮がちにカワセ大佐に呼びかける。


「誰のお墓に?」

「ここよ」


 カワセ大佐はひときわ立派な墓碑の前に立った。そこには「エディット・ルフェーブル」の名前が刻まれていた。アルマが姿勢を正してカワセ大佐の左隣に立つ。私は慌ててその隣に立ち、レオンは私たちの後ろに移動した。


「ルフェーブル少将……の……?」

「そうよ、アルマ」


 カワセ大佐は雨に濡れた前髪をうるさげに払いのける。私も髪の毛が重たい。


「参謀部第六課、前統括。歌姫計画セイレネス・シーケンスの責任者の一人。伝説の戦略家でもあったわ」


 アルマは「ああ」と頷いた。


「ルフェーブル大佐……いえ、少将の伝説なら幾つもありますね」

「どのくらい知っているかしら」

「あの――」


 私が口を挟む。


「確か、ヴェーラとレベッカが未成年の時期は、保護者でもありましたよね」

「肯定。二人の後見人だったわ。ついでに言うと、カティ・メラルティンもまた、ルフェーブル少将の庇護下にあったわ」

「同じ家に住んでいたというのは本当なんですか?」


 レオンが後ろから訊いてくる。


「ええ。そうよ」


 カワセ大佐は頷いた。


「ヴェーラが焼いたのは、その思い出の家」

「思い出の……」


 私たちの声が揃う。微妙に周波数の違う音が綺麗に混じり合う。


「ルフェーブル少将が暗殺されてからも、ヴェーラとレベッカはその家に住み続けたし、カティの帰ってくる家でもあり続けたわ。でも、ヴェーラはその全てを燃やしてしまった」


 抑揚のないカワセ大佐の言葉。そこには怒りとか哀しみとか、そういった言葉では表現しきれないほどの重さがあった。その重さが、声の震えを失わせているのだと、私にはわかった。


「私の思い出もたくさんあったんだけどね」


 まったくあの子は……そんな言葉が続いたような気もする。


「ヴェーラが何故あんなことをしたのか。メディアは好きなことを書き立てたけれど、あなたたちは何故だと思う?」

「それは……」


 私たちは揃って言葉に詰まる。今度の私たちの声は、不協和音を形成した。カワセ大佐は少し困ったような表情を浮かべて、短く言った。


「暗殺からよ」

「暗殺……あの冬の……」


 ルフェーブル少将の暗殺事件は、私でも知っている。雪の降る最中行われた狙撃。犯人は見つかっておらず、事件についての捜査情報の公開は一切行われなかった。そのことについては、どのニュースサイトも週刊誌も、ほんのちらっとしか触れていなかった。もちろん、士官学校でも誰も語らない。


 私は湿気を多分に含んだ空気を吸い込む。


歌姫計画セイレネス・シーケンスの責任者の一人、とおっしゃいましたが……」

「そうね、言ったわ」

「それは反歌姫による……?」

「どうかしらね」


 カワセ大佐は寂しげに微笑む。


「ただ、あの事件によって、ヴェーラの危うかった精神状態は、回復不可能なダメージを受けてしまった。いえ、あの事件も含めて、ヴェーラを取り巻くすべてのことが、ヴェーラを仕組まれていたと言ってもいいわ」

「仕組まれていた……? それは、いったい誰が……?」

「そうね」


 カワセ大佐は静かに息を吐いた。


よ」

「う、運命、ですか?」


 き返したのは私だった。私たちの周囲に浮かんでいるライトが、ふわりと発光し始めた。決して眩しくなく、しかし暗くもなく。確かに私たちがここにいるぞということを示すかのように、それらの光は灯っている。


「カティ・メラルティンが幼少期に遭った事件については?」

「アイギス村の襲撃事件のことですか?」


 何故かふとそのキーワードが頭に浮かんだ。私が生まれるよりも前の事件だけど、アーシュオンの兵士による凄惨な事件だということは施設にいた時に教えられた。そしてその話は、あの「空の女帝」カティ・メラルティンの伝説に花を添えてもいる。アーシュオンによって引き起こされた事件での唯一の生き残りが、今やアーシュオンの全兵士をおびやかす存在になっている――と。


「あの事件が、喧伝工作プロパガンダのための自作自演だとしたら?」

「でもそんなことは……」

「ないと言い切れる?」


 カワセ大佐は目を細める。浮かぶ明かりを反射するその瞳に、感情の色はない。私は苦労して唾を飲む。


「ルフェーブル少将は、そのアイギス村の救援部隊の一人だった。そこでカティと出会った。そしてその約十年後、カティはルフェーブル少将と再会したの。あの士官学校襲撃事件の後でね」

「士官学校の……」


 士官学校の統合首都校が何者かによって襲撃され、生徒や教官など、関係者の半数近くが殺害された大事件。それは私たちがまだ幼い頃に起きた事件だった。その時に空の女帝こと、メラルティン大佐は、候補生の身でありながらジークフリート登場以前に作られた旧型戦闘機イクシオンを駆って戦ったのだ。その逸話は誰だって知っている。


「ヴェーラ、レベッカ、カティ。その三人はルフェーブル少将の保護下に入ることになった。それは軍の命令という形式ではあったけれど、結局の所ジークフリートによって構築されたAIが、と後押しした結果に過ぎない」

「でもそれは、そうなるべくしてそうなったというのが――」

「そう、大衆マジョリティの意見ね」


 カワセ大佐はフフ、と笑う。少し掠れた笑声だった。


「ジークフリートの歴史への登壇は、運命という言葉の定義さえ変えてしまった。ジークフリートによって作られたAIものの判断。それをして、運命と――各々の行為おこないへの免罪符インダルジェンスとしたの。だから、偶然なんかじゃないのよ。この世界の全ての構造アーキテクチャは」


 何を言いたいのか……私には正直掴みきれていない。そんな私たちを振り返り、カワセ大佐はその赤い唇をツイと歪めた。


「セイレネスはね、同調するの。その波が合えば高まる。音の波と同じ。だからね、あなたたち歌姫セイレーンを集めているのよ。そうすることで、セイレネス活性がより高まることは、ヴェーラとレベッカが証明してくれたから」

「あ、そうか」


 アルマが私の隣で手を打った。


「そのためにレニーもあたしたちと同じ部屋に?」

「そう。そのためよ」


 隠すわけでもなく、カワセ大佐はあっさりと首肯した。そして私たちの向こう、つまり私たちの背後に視線を送る。その表情は友好的とは言い難いものだった。あからさまな敵意、嫌悪感。そういったものを敢えて滲ませている、というような表情だ。カワセ大佐は体温を感じさせない声で、ささやかに降る雨の空気を切り裂いた。


「ハーディ中佐、来たんですね」

「ええ」


 私たちは一斉に振り返る。私たちの背後にいたのは、参謀部第六課統括、アレキサンドラ・ハーディ中佐だ。つまり、私たち歌姫セイレーンにとっての司令官だ。私たちは反射的に敬礼した。ハーディ中佐は眼鏡のフレームを右手で押し上げながら、私たちを見回した。いつもながら、射すくめられるような鋭い眼光だ。私は無意味に心拍を速めさせる。


 ハーディ中佐は、カワセ大佐の方へと焦点を合わせたようだ。


「単刀直入にお訊きいたします、大佐」

「なんでしょう、中佐」


 温度感のないやり取りが始まる。私たちは呼吸を止めて、カワセ大佐を左に、ハーディ中佐を右に見るような位置に移動した。二人の視線の間に挟まって平気でいられるほど、私たちは鈍感ではなかったわけだ。


「マリア・カワセ大佐。あなたは、何者なのですか」

「それはどういう意味でしょうか」

「あなたがホメロス社の社員であることは周知の通り。大佐待遇の派遣であることもまた同様です。しかし」


 ハーディ中佐は一度言葉を切る。カワセ大佐はというと、悠然として腕を組んで立っている。ハーディ中佐の、まったく隠そうともしていない殺気も凄まじかったが、カワセ大佐の極限の冷たさもまた恐ろしかった。


「しかし、軍のデータベースのどこにも、そんな情報は見当たらない。いえ、それどころか、あなたという存在が、ネットのどこにも見当たらない」

「それで?」

「AIを使った検索でも、あなたに該当する情報は一つも見当たらない。ありとあらゆるメディアに、あなたという存在の痕跡がない」

「……それが?」


 そんなはずはない。私はアルマ、そしてレオンと顔を見合わせる。この世界でオンラインに情報のない個人なんて存在するはずがない。もちろん、一般人では探せない、見られない情報はある。しかし、ハーディ中佐は軍の要人の一人。まして今や、歌姫計画セイレネス・シーケンスの責任者の一人にして、歌姫セイレーンたちの司令官だ。まずもって関係者の情報を探せないなんてことがあるとは考え難かった。


「つまり、ハーディ中佐。あなたは私がこの組織、つまり軍に所属するには相応ふさわしい立場ではないと、そう言いたいわけですか」

「そうなります。あなたがここにいて良い合理的な理由が見当たらない」

「合理的な理由、と来ましたか」


 カワセ大佐の声が鋭さを増した。


「アレキサンドラ・ハーディ中佐」


 毅然とその名前を呼ぶカワセ大佐。ハーディ中佐は右手を真下に垂らしている。やる気になればコンマ数秒の世界で額に穴を開けられるに違いない。ハーディ中佐が射撃の名手だということは軍では有名だった。しかし、カワセ大佐は微動だにしない。拳銃を抜くようなことはしないだろうけど、私たちは全員凍結させられたかのように身動きができない。息をするのもはばかられる。私は手にも足の裏にもじっとりと嫌な汗をかいていたし、髪の毛は濡れて重たかった。つまり、不快指数がうなぎのぼりという状態だった。


「あなたの主張は一部は正しいかもしれない。けれど、軍という組織は私という存在を認めている。私は非公式に――あなたの観念に照らして言えばだけど、この立場にいる。それは事実ね。だけど、それは公にしてはいけない理由があるからなのよ」

「答えになっていませんよ、カワセ大佐。その理由とは何ですか」


 明白な殺気。この場で殺害しても構わないという、そんな身のすくむような殺気だ。しかし、それだけの圧力を受けてもなお、カワセ大佐には動揺の片鱗すら見られない。


「――いいでしょう」


 カワセ大佐はたっぷり十は数えた後で言った。


「この子たちに伝えるでよければ、お話ししましょう」


 私たちを見ながら、カワセ大佐は腕を組み替えた。


「私、マリア・カワセは、ヴェーラ・グリエール、および、レベッカ・アーメリングをとするために、歌姫計画セイレネス・シーケンスの中枢へと送り込まれました。いわば、人間兵器を完成させるための手助けをするために」

「しかし、それは失敗しましたね」

「どうかしら?」


 ハーディ中佐の横槍を緩やかに受け流すカワセ大佐。しかし、その深淵な瞳は微塵も揺れていない。薄暗い墓地の中で、カワセ大佐のその佇まいは、まるで精巧な人形のようにも見えた。


歌姫計画セイレネス・シーケンスはいまなお進行中。中止されることはありえません。テラブレイク計画との統合も視野にあります」

「ありえません。テラブレイク計画は第三課の、アダムスの管轄です」

「くだらない」


 一刀両断。カワセ大佐は目を細める。私はいつの間にかアルマの右手を握っていた。


「今やヤーグベルテは挙国一致の体制でなければならない。アーシュオンとの兵器開発競争に打ち勝つためには、ね」


 まるで狙ったかのようなタイミングで空が光った。その直後に雷鳴が地面を叩き、空気を揺らす。弱い霧雨に湿っていた墓地は、たちまちの内に豪雨に見舞われた。身を守るものを持ってきていなかった私たちは、制服にたっぷりと水を吸わせる破目になった。


 しかし、二人の佐官は微動だにせずに睨み合っている。


「いいでしょう」


 やがて折れたのはハーディ中佐の方だ。眼鏡を外して右足を引いた。


「あなたもまた、当事者というわけですね、大佐」

「そうと言うのなら――」


 カワセ大佐は冷たい声で応じる。


「そうなのでしょう」


 雷光に照らされたカワセ大佐の表情には、恐ろしいほど色がなかった。

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