#04-04: 絶対的な正義となるもの

 参謀部ナンバーの付いた黒いセダンの後部座席には、なぜかレオンが座っていた。レオンの存在を予想していなかった私とアルマは、ドアを開けたまま思わず固まった。昼下がりの雨が私たちの髪と背中をしとしとと濡らしていく。


「マリーは助手席」


 私の背中に、カワセ大佐の手がぽんと当てられる。私は雨に濡れたアスファルトに視線を落としつつ、反対側に回る。アルマはそのまま後部座席に乗り込んだ。カワセ大佐も先に乗り込み、私は助手席――レオンの前に乗る。


「なんでレオンがいるの?」

「レオナだ」

「別にいいじゃん?」

「よくない!」


 レオンの声はこの密閉空間ではもはや兵器だ。窓ガラスがビリビリと震えたほどだ。


「はいはい、レオナ、私の鼓膜を破るつもりかしら?」

「す、すみません……」


 レオンの謝罪を笑顔で受け付けたカワセ大佐は、ハンドルに手を乗せてエンジンをスタートさせた。静かな駆動音と共に、フロントガラスに数行のシステム起動ログが流れた。異常なし、と、私はもうクセのようにそれを確認する。セイレネス・シミュレータで嫌というほど行う手順だ。最初の頃はこの瞬間的に流れるログを追って、その意味を把握するところから始まったものだ。


「あれ? 手動運転マニュアルなんですか?」

「ええ」


 カワセ大佐は正面を見たまま肯定する。ハンドル自体がついてない車が、民間では今やスタンダードだったりもするのだけど、軍の場合は臨機応変な対応が必要になることが多いためにハンドルは標準装備だ。だけど、有事でもないのにハンドルを握って運転する人はあまりいない。軍では、運転手一名の搭乗が義務付けられているけれど。


 そうこうしている内に、車はどんどんと加速していく。時速八十キロを超えた辺りで、私たちはみんな、無言になった。自動運転ならともかく、人間がコントロールする車両でこんなスピードを出すなんて、信じられなかった。


「怖い?」


 カワセ大佐は誰にともなくそう尋ねた。


 ――うん、間違いなく怖いと思っている。でも、そう素直に言えない程度には、私は大人だった。


 雨粒がフロントガラスに当たっては弾け飛んでいく。雨や雪に視界を妨げられることはないし、周囲の車両の進行予測、歩行者の位置情報、そういったものは余さずフロントガラスに投影されている。通常、自動運転時にはオフになっている機能だ。ここまで騒がしいフロントガラスは、初めて見た。


 車両がゆっくりとスピードを落として、停止線のところで止まる。信号が赤。目の前を母親と小さな男の子が通っていく。男の子は母親の周りをくるくると回りながら、のんびりと道路を渡る。たとえ信号が変わったとしても、自動運転の車は走り出さない。間違えてもかれることはない――全ての車両が自動運転であったならば、だ。


「私は自動運転オートマの方がよほど怖いわ。アナクロニズムなのかもしれないけれどね」

「し、しかし、大佐。市街地は自動運転の方が安全なのでは?」

「どうして?」

「えと」


 私はシートベルトを指でなぞりつつ、にぎやかなフロントガラスを見る。


「その、人が飛び出してきたって止まるし、車同士でぶつかることもないし……」

「目的地を入力したら勝手に届けてくれるしって?」

「はい」


 私は頷いた。車自体、所有している人はそれほど多くはない。人々の移動手段のほとんどは乗り合い車両タクシーだったし、免許なんていうファッションアイテムを持ってる人には軍の人以外にはついぞお目にかかったことはなかった。施設の人たちだって持っていなかったと思う、たぶん。


「でも、私が運転しても、目的地には勝手に着くし、事故を起こすこともまず考えられないでしょうね」

「そ、そうとは思いますが」

「猛吹雪の日とかは別だけど、基本的には人間が運転しようが、システムが制御していようが、安全性というのは変わらないのよ」

「そうなんですか?」

「ええ」


 カワセ大佐は再び前を見て車両を発進させる。緩やかな加速と共に、周囲の自動運転と思しき車両たちが後ろに流されていく。


「しかし大佐」


 アルマが後部座席から声を発する。


「安全性がだというのなら、自動運転の方が楽なのではないですか? なぜわざわざ手動運転マニュアルを?」

「そうね。……私、なのよ」


 カワセ大佐の横顔を見ると、その艶めいた赤い唇の端が少し上がっていた。


「ど、どうしてですか?」


 この世界に存在するありとあらゆるものは、ジークフリートの下にある。プログラムやネットワークといったシステマティックなものだけじゃなくて、いまや社会の仕組みそのものがジークフリートの隷下れいかにあると言っても過言じゃない。脱・ジークフリートを訴える人々や学者もいることはいる。だけど、その主張そのものがこの社会に於いてはタブーだ。そもそも私にしたって、ジークフリートのない社会なんて想像できない。もしいきなりジークフリートがなくなってしまったとしたら、情報インフラのみならず、生活インフラまでもが完全に崩壊してしまう。もっとも、一つのシステム基盤に頼る社会の危うさくらいは少し考えればわかる。だから、私のジークフリートへの立場は、だ。第一に、携帯端末モバイルが使えなくなるだけでもゾッとする。


 だけど、カワセ大佐の答えは少し斜め上だった。


「システムの運転だと、酔うのよ、私」

「酔わないようにシステム制御されてると思うのですが」

「そうね」


 カワセ大佐は流れるような動作で車線を変更して、前の車を追い越した。自動運転の車両は自然とスピードを落として、手動運転の車両が安全に走行できるようにと


 ありとあらゆるものが人間を安全にする――ジークフリートによってそんなふうに社会は造られている。


「マリーの言うシステムというのは、つまり、ジークフリートでしょう?」

「はい、そのカテゴリのものかと」

「そのが気持ち悪いわ。誰が作ったのかもわからない現在の社会のインフラストラクチャ。いつの間にかそれに隷従している人間。その姿は共依存でもなんでもない。人間は、ジークフリートの作った箱庭に寄生しているだけに過ぎないわ」


 そう言われるとそんな気もしてくる。腕を組んだ私の斜め後方からアルマの声が上がる。


「でも、それをおっしゃるなら、ジョルジュ・ベルリオーズは?」

「ベルリオーズがジークフリートを創造したのは事実よ」


 雨音が強くなってくる。カワセ大佐がアクセルを踏み込んだ。あっという間に時速百キロを超える。雨粒が真横に流れていく。


「ジークフリートは完璧だからこそ、社会に受け入れられたのだと思っている?」

「いえ」


 アルマは短く否定する。カワセ大佐はゆっくりと言った。


「ジークフリートは、姿がなかったのよ」

「姿が?」


 私たち三人の声が揃う。カワセ大佐は頷いた。


「そう。ソースコードも物理媒体もない。なのよ、あのシステムは」

「そんなはずは――」


 アルマが言葉に詰まる。


「世界は今や、全てジークフリートによって動いている……」


 それは事実だ。コンピュータのOSオペレーティングシステムの全てがジークフリートだ。だからこそ、ありとあらゆるシステムが極めて柔軟に連結し、補い合う。


「OSのジークフリートなんて、ただの看板よ。概念に名前をつけるためだけに存在させられた実体に過ぎないわ。とはいえ、あれ自体が相当に優れた代物であることは否定し得ないけれどね」

「カワセ大佐のその情報の出所ソースはどこなんですか?」

「良い質問ね、アルマ」


 カワセ大佐はそういうと微笑んだ。陶器のように艶やかな頬が少し緩んだ。


「でも、その答えは秘密よ」

「秘密……」


 私は小さく繰り返した。カワセ大佐はその黒い瞳で一瞬だけ私を見た。ふわりとした寒気が私を包んだ気がしたが、それはほんの一秒程度の間の出来事だった。


「完璧なシステムなんて存在しない」


 カワセ大佐は言う。それはなんとなく分かっている。だけど、現在存在しているシステムは、およそ欠陥はない。アプリケーションレベルでなら不具合も起きているらしいのだけど、それもほとんどまたたく間にジークフリート傘下のAIによって検知、修正される。人間社会のインフラにおいてもそうだ。バージョンアップとメンテナンスをも全て自律的にこなすジークフリート。人々はそのジークフリートがように役割を果たす。それが人々の主な仕事だった。


「だから、その0.1パーセントの欠陥を埋めるために、人間という都合のいいパーツが存在する」

「欠陥……?」

「そう。ジークフリートは完璧よ。完璧だけど、その完璧さの所以ゆえんでもあるには、同時に欠陥としての側面もある」

「ゆらぎ……量子論的な話でしょうか?」

「そうとも言える。その全ては蓋を開けてみるまでわからない。そして私たちは常に蓋が開けられていると思って……思わされている。ジークフリートの出したことを前提にして生きるように、人間はもはやコンパイルされてしまったのよ」


 カワセ大佐の言葉を頭の中で反芻する。確かに、私はジークフリート、いや、社会システム自体を疑ったことはなかった気がする。不安定で不確定なのは人間たちの方で、インフラやプラットフォームに誤謬ごびゅうはない……。


「し、しかし大佐。もし、ジークフリートが間違った答えなんかを出してしまったら、社会が動かなくなっちゃいませんか?」

「ふふ」


 カワセ大佐は少し笑った。


「そうね。そう思うのは仕方がないわ。あなたたちが生まれた時にはすでに、世界はジークフリートの支配下にあったのだから。でもね、違うわ。人間たちはジークフリートを中心にして動いているの。ジークフリートの出した答え、選んだ選択肢、示した方向性、それらは全て正しいと、絶対的なになっている。だから、ジークフリートの意に沿わないものは見えないし、聞こえない」

「しかし――」

「あなたは」


 私の言葉に被せてくる。


「この社会がと、な世界なんだと、そう思っているの?」

「それは……」

「戦争が何十年も続いているこの世界が、正しいと思っている? あるいは正しいのだとしたら、人々それぞれの幸不幸はどこで決まっているの? 誰が決めているの?」

「戦争は……それは、利害もあるし、政治的主張もあるし……」

「ジークフリートは完璧なのだとしたら、それすら正義ということになるわ」

「でも、その、戦争はジークフリート出現以前から続いて――」

「ジークフリートが正義であるというのなら、戦争を止めることができるわ」


 カワセ大佐はそういうとハンドルから手を離した。いつの間にか自動運転にしていたらしい。そして減速し始めた風景に目を細め、ゆったりと腕を組む。そして私を見た。


「戦争が正義?」

「いえ、それは」

「じゃぁ、どうしてジークフリートはそれを続けさせるのかしら。あなたたち歌姫セイレーンさえ、人々の享楽娯楽エンターテインメントとして提供してまで」

「それって」


 ずっと黙っていたレオンが声を発した。カワセ大佐は身体を真横に向けてレオンを見た。


とジークフリートが判断したから、ですか?」

「正解よ」


 カワセ大佐は妖艶に目を細める。


「未来への投資。ジークフリートはそのように判断したのでしょう」

「未来への……そのために、私たちは」

「そうよ、レオナ。悉皆しっかい、人々の役割は未来のためのいしずえとなること。ジークフリートは漠然と存在していたその概念や諦念を、具象化してみせたのよ。という形でね」

「でもそれは」


 レオンの声は少し掠れている。


「不公平ではないのでしょうか」

「不公平?」

「そうです、大佐。私たちや、軍の方、敵も味方も問わず、戦っている当事者たちがあまりにも不幸です。ヴェーラとその、アーシュオンの飛行士の話もそうです」

「そうね、レオナ。不公平よ。あなたたちは剣闘士、そして国民の大半はただの消費者コンシューマ。あなたたちが血を流し、流させ、殺し、殺されるのを見て倒錯的興奮に耽溺たんできする。残念だけど、それが現実なのよ」


 重苦しい沈黙と、かすかな振動が私たちを包む。私は少し唸ってから呟いた。


「そのために、私たちは……セイレネスに?」

「ヴェーラとレベッカ」


 カワセ大佐は二人の偉大なるディーヴァの名前を挙げた。


「二人は世界を良き方向へ変えようとしてきた。しかし、それさえジークフリートの手の内。セイレネスを使っている以上はね」

「そんな……それじゃ、ヴェーラは。あの想いは」

「それさえも、よ。ジークフリートはのだから」


 カワセ大佐の声は、憐憫に満ちていた。

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