#04 明かされて、そして、隠されて――

#04-01: セルフィッシュ・スタンド回収事件

 桜の舞い散る五月の上旬。ピンクの絨毯が士官学校の敷地を埋め尽くす。ヤーグベルテ統合首都は遅い春を満喫していた。……のだが、事件はその時に起きた。


 後に「セルフィッシュ・スタンド回収事件」と呼ばれることになる、政府と軍による焚書ふんしょ行為だ。政府が主体となって検閲行為を白昼堂々実施したことは、少なくともこの一世紀の間にはなかったはずだ。表現の自由というものが、多くの先人たちによって守られていたからだ。だが、今、それが公共の福祉という錦の御旗の下で踏みにじられた――少なくとも私たち歌姫セイレーン候補生たちはそう思った。


 私とレニー、そしてまた部屋に来ていたレオンは、その報道を怒りをもって見つめていた。いささか胸を張ってそのニュースを読み上げるそのキャスターによると、サミュエル・ディケンズというアエネアス社に属する記者が上梓した「セルフィッシュ・スタンド~国家主義と代理戦争~」という本が、そこまで問題になるような作品だったということだ。なお、アエネアス社曰く、当社は本件には絡んでおらず、出版は完全にディケンズ記者一人によるだとのことだった。


 その時、アルマが部屋に戻ってきた。手にはお菓子でも入っていそうな紙袋を提げている。


「おかえり」


 私は出迎えて、その紙袋を覗いて絶句した。そこに見えたのは、今まさに軍と政府が躍起になって回収している問題の書籍だったからだ。


「あ、あのー、アルマ?」

「ふふん。手に入れてやった」


 アルマはドヤ顔をして私たちが集まっているソファのところにやってきて、テーブルの上にそのディケンズ記者の書いた書籍を置いた。レニーとレオンの目が丸くなる。


「電子書籍の方は先に手に入れていたんだけど、閲覧不可になってたんだよ」

「アルマ、これ、大丈夫なの?」


 私は書籍を指差して尋ねる。表情は少し引きつっていたかもしれない。


「私たちなら一度読めば頭に入る。記憶は消せない。電書の拡散は足が付くけど、紙媒体なら誰が読んだかまでは追跡トレースできない」


 アルマが一人用のソファに腰を下ろしている内に、レニーがその書籍を開いていた。


「アルマは読んだの?」

「電書の方でね。さっき、先輩たちと一緒にデータのロックを解除するプログラムを組んだんだ」

「ええっ」


 めちゃくちゃ怒られるヤツじゃん……私はそんなことを考えながら、件の書籍を読むレニーを見た。レニーの表情は終始険しい。


「さすがにこのソースを開示したら、あたしでも捕まると思うからやらないけど。でも、暗号化はほとんど解除できたよ」

「アルマ、いつの間に」

「発売と同時に。絶対発禁処分来るなと思っていたから、先に手を打っておいたのが良かった。この本も、買ってから一週間、隠してあったんだ」

「どこに?」

「ひみつ」


 アルマは猫のような表情を見せて伸びをした。私は携帯端末モバイルで、この回収事件についての記事を探しつつ訊いた。


「確か、ディケンズってネーミア提督初出撃の際に、ハーディ中佐に対してバリバリ質問してた人だよね」

「そうそう。怖いものなんてない人だと思う」

「へぇ」


 私とレオンは顔を見合わせる。あまり知らなかったけど、よくよく思い出してみれば、ヴェーラやレベッカのインタビュアーとして、しばしば名前があったような気もする。アルマが手のひらで顔の辺りを扇ぎながら言う。


「このディケンズって人は、ヴェーラやレベッカとはもう十年以上の付き合いになるんだそうだよ。デビューの頃から取材しているとか」

「サミュエル・ディケンズ。サミュエル……サム……」


 レニーは書籍を読む手を止めて宙を見た。


「ああ、レベッカがサムと読んでいる方と同じ人だとするなら、かなり親しいようにも思うわ。レベッカは取材とかは苦手だと言っているけど、サムのなら大丈夫だとも」

「へぇ」


 歌姫セイレーンに近い人間が本気で書いた書籍ということか。


「当書籍は、数日の内に公より存在を抹消されると思う」


 アルマがその冒頭部らしき所を自分の携帯端末モバイルで読み上げた。……なるほど。


「当書籍への弾圧行為は、すなわち国家による文化の監視および統御の成果として記憶に残る事になるだろう。されど、それと同時に、語るべきことは如何なる手段を以てしても語られるのであるという、普遍的事実をも残すことになるだろう――とのことだ」

「発禁前提の出版かぁ」


 私はレオンを見る。レオンはネットの情報を探していたが、首を振った。


「すごいねぇ、検閲。見出しまでは隠しきれてないけど、内容はどれも見ることが出来ないよ」

「ここまであからさまだと、ディケンズさんの思惑通りって感じがするね」

「どうかな」


 レオンは腕を組む。


「案外、こんな結果になることを望んだ軍や政府の人がいるのかも」

「事件の存在を明るみにしつつ?」

「本当は全容を明かしたかったのかも知れないけど」


 ふむ。考える私に、レニーが呟いた。


「政治的妥協案」

「政治的?」

「そう。政府の偉い人たちが、このあたりで手を打ったんでしょうね」

「その人たちは私たちセイレーンの味方?」


 私は、書籍から視線を外さないレニーの額の辺りを見ている。


「いいえ」


 レニーは明確に否定した。


歌姫計画セイレネス・シーケンスそのものが邪魔な人たちよ」

「それと――」


 アルマが食い気味に入ってくる。


「私たちの退路を塞ぎたい人たち」


 どういうことだろう?


 私はレオンと顔を見合わせる。レオンは眉間に皺を寄せつつ、サマライズする。


「ディケンズ記者……サムは自分の義侠心でこの本を出版した。発禁までは想定していたが、この中途半端な規制状態は予想外。そしてこの事件だけが独り歩きするように、政府と軍は工作した?」

「……ということね」


 肯定したレニーは、書籍から全く視線を外さない。レオンは腕を組む。


は仕方ないとして、この先、どう状況を動かすかのゲームが始まるっていうわけか」

「情報統制は始まっている」


 アルマは携帯端末モバイルの情報を確認しながら口の端を上げた。すさんだ笑みだ。


「諸勢力がお互いに都合のいい情報を発信しつつ、そうじゃないのを削除する。AI同士の戦争が起きているよ」


 アルマは「うんざりだね」と言い残し、寝室へと向かってしまった。昼寝でもするつもりだろうか。私はレオンを見ながら――何故かレオンは右手で私の左手を握っているのだけど――至極ありきたりな感想を述べる。


「アルマの情報源って謎だね」

「ブルクハルト教官じゃないの?」

「まさか」


 ブルクハルト教官といえば、今やヤーグベルテに無くてはならない人材だ。セイレネスシステムの管理責任者にして、システムの開発者アーキテクチャで、ヴェーラやレベッカとは士官学校入学以来の付き合いだというから、もう十五年以上――誰がどう見ても昵懇じっこんの間柄ということになる。


 ブルクハルト教官は私たちからもとても人気がある。気さくな性格や優しげな容姿にももちろん魅力はあるのだけれど、なにより歌姫セイレーンについて極めてよく理解してくれているからだ。だから、安心感がすごくある。レベッカたちも頼りにしていると聞く。


 レオンは「ふむ」と一呼吸置いて、それからまくしたてるように言った。


「直接関与はしてなくても、プログラムと言えば、教官でしょ。それにブルクハルト教官だけは何があっても私たち側の人間だし」

「まぁ、それはそうだけど。でも、そんなことが明るみに出たら――」

「出ても教官を処分できる人はいないわ」


 レニーは書籍のページをめくりながら無感情に言う。


「ブルクハルト教官は、自分がいなくなったって誰かがどうにかするさ……そんなことを度々仰っているけど、今、うちの国ヤーグベルテにはそんな余裕なんてどこにもない。時間さえあればどうにでもなるんでしょうけど、今々教官が過労死してないだけでも驚嘆に値するわ」


 確かになぁ。レニーから聞く限り、ブルクハルト教官は不眠不休の鉄人だ。今のヤーグベルテがあるのは、教官の実績によるところがであるというところは、軍としても渋々ながら認めざるを得ないに違いない。


 レオンが「ああ、やだねぇ」と囁きつつ、私の左手を少し強く握った。


μῆνινメーニン ἄειδεアエイデ, θεάテアー

「女神よ、怒りを歌い給え――」


 私はその言葉を反射的に訳す。ヴェーラたちが出陣する時に、いつしかネットのそこここで書き込まれるようになった言葉だ。元はと言えば「イリアス」という古の物語の一節だ。少なくとも私たち歌姫セイレーンであれば、誰でも瞬間的に訳すことができるフレーズなのだ。


「私は、怒りなんかで戦いたくない」

「私もだよ、マリー」


 レオンはいつの間にか私に密着していた。隙あらばにじり寄ってくるその性質だけは、なんとかして欲しい。今は許すけど。レニーは未だ書籍に齧りついている。だが、もう終盤だ。終わったら読ませてもらおう。


 私は携帯端末モバイルで、サミュエル・ディケンズという人物を検索する。しかし、探しても探しても、核心に迫る情報は見つけられない。事実だけが淡々と並んでいるように見えるが、その情報すら正しいのかどうか……。

 

 個々人の発する情報だけが頼みになるのだけど、それすらあっという間に電子の海の彼方へと引き去られてしまう。いくら探しても残滓ざんししか見つからない。彼の所属するアエネアス社にもアクセスしてみたが、「弊社社員が発行した自費出版書籍回収の件について」というニュースリリースがあるだけで、特にそれ以上の情報はない。どこのサイトにもその件について深堀りされているような形跡はないし……。そもそも、を管理AIが見逃すはずもないのだけれど。


 不必要な情報――。


 私は自分の考えに背筋が冷たくなった。


「レオン、レニー。ヴェーラやレベッカの情報も、もしかして」

「そうよ」


 レニーは書籍をテーブルに置き、私の方へと押しやった。私はそれを無意識に手に取り、表紙をめくる。


D級ディーヴァたちの思いも、ネットにはない。だから私たちは直接聴くの。誰にも邪魔されない、でね」

「セイレネスでは嘘をつけない……」

「そう」


 レニーが頷く気配がある。私の手元をレオンが覗き込んでいる。


「あの空間では誰もが平等。誰もが対等に話をすることができる」

「でもだとしたら、イザベラは……」

「ネーミア提督は……いえ、ヴェーラは、あるべき姿に戻っただけ」


 レニーは静かにそう言った。


「あ」


 私たちの携帯端末モバイルが通知音を奏でる。


「第七艦隊……」


 第七艦隊は、名将リチャード・クロフォード提督率いる通常艦隊だ。


「奇襲攻撃成功せり、か」


 クロフォード提督からの報告が早速ネットのニュースに流れている。歌姫たちによる戦闘以外は特に理由がない限り生中継はされない。のない戦闘など、誰も望んでいないからだ。


 第七艦隊は、敵国アーシュオンが唯一警戒対象としている通常艦隊だ。最新鋭航空母艦ヘスティアは、歌姫セイレーンの能力をもってしても発見出来ないほどの隠蔽能力を持っている。その性能は、ヴェーラやレベッカの力であっても、目と鼻の先になるまで発見できないという代物だという。味方にでさえどこにいるのかわからない艦隊、それが第七艦隊だった。その能力と「潜水艦キラー」と渾名されるクロフォード提督の戦術・戦略能力も相俟って、アーシュオンの中核を担う潜水艦艦隊からは極めて恐れられている――と軍事系情報を扱うサイトにはあった。


 私の横で自分の携帯端末モバイルをいじっていたレオンが言う。


「今回はエウロスも参加していたらしい。ヘスティアにエウロスが載っているとは誰も思わないだろうね」

「それは災難」


 私は再び書籍に目を落とした。


 エウロス飛行隊は、ヤーグベルテの持つ最強最大の航空戦力だ。隊長のカティ・メラルティン大佐――空の女帝――を撃墜できる飛行士など存在していない。


「あれ? そういえば今夜の特別講演って、メラルティン大佐じゃなかったっけ?」

「それも偽情報フェイクよ」


 レニーが立ち上がる。コーヒーでも淹れに行くのだろう。


「今回の奇襲作戦を完全に成功させるための偽情報フェイク。エウロスの帯同を知っていたのは、参謀部の一部以外では、レベッカとイザベラ、そして私とエディタ先輩たちだけ」


 そして味方を欺きつつ展開されたこの作戦によって、哀れ敵の奇襲艦隊は、逆に奇襲・殲滅されたという話だ。


「ヘスティアみたいな空母を全艦隊に配備すればいいのに」

「どこから予算が出るのかって話」


 レオンが肩を竦めた。その吐息が私の首筋にかかった。


「でも」

「第一、第二艦隊の配備艦すらまだ十分じゃないのに、他に予算が割けるかっていう話だよ、マリー」

「今年中のヒュペルノル建造着手のために、新型空母の建造が三隻見送りになったわ」


 レニーがコーヒーをドリップしつつ言った。


「ヒュペルノル?」

「戦艦よ」

「レニーの?」

「そう」


 レニーは憂鬱そうにそう応えた。

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