#03-07: 深い淵に隠した歌

 セルフィッシュ・スタンド――今やヤーグベルテ国民なら誰もが知っている、ヴェーラのにして代表作の一つだ。


 当然ながら、私たちの頭の中には、その歌詞も曲も、ヴェーラの声も、その全ての要素エレメントが正確に刻み込まれている。


「舞い散る雪の華のように――」


 私はその子守唄のように穏やかな歌を、小さく歌い始めた。


 舞い散る雪の華のように 立ち止まったら 消えるもの

 まるで溶け行くためだけに わたしの前に現れて

 その時がやって来てしまったら 辿り着いたら 消えてしまう 

 まるで落ち行く羽根のように わたしを迷い惑わせて


 微笑わらうだけなら お気に召すまま

 声をあげたら 叫んでしまうよ

 だから今 笑いながら手を振るよりも

 みっともないほど 泣きわめきたい


 永遠に あなたにすがって 泣いていたい


 そうさせてって今、誰に言えばいい?

 あの時 何も言えなかった わたしの心は乾いていて

 二人して微笑みあって 握った手のぬくもりさえ忘れて

 最後は そうして手を振って 全て忘れたい、そう口にした


 また会える? けずじまいで

 覚悟の意味も 最後の希望も

 見ずに 聞かずに ただ逃がさないように

 永久とわ別離わかれなんてない そう言って閉じ込めて


 誰に伝えよう? 誰に伝えればいい?

 誰が聞いてくれる? 誰がわかってくれるというの?

 わたしが たたずむ 深い淵に

 わたしが かくした ただひとつの歌


 ――レニーもアルマも、じっと黙って聴いていた。不思議と落ち着くそのメロディに、私自身が一番癒やされたかもしれない。


「深い淵に、隠した歌、か」


 私は息を吐く。


「私は今の今までこの歌の真意を理解していなかった」

「あたしたち、だ」


 アルマが私の言葉を補った。しかし、私の目の前に座っているレニーは首を振った。


「私たちは理解できたかもしれない。けど、ヤーグベルテ国民の大多数は……仮に事実を示されたとしても理解しようとはしないでしょうね」

「都合が悪い……から?」


 私が問う。レニーはまた首を振った。


「理解できないから、よ」


 その時、私はレニーの顔に深淵のような影を見た。それは酷く不吉な影だった。


「あっ」


 レニーは声を上げて、傍らに置いてあった携帯端末モバイルをテーブルの上に置いた。そして通話のアイコンを押す。その時の表情はいつも以上に引き締まっていた。


 ブンと音を立ててテーブルの上に三次元映像として姿を表したのは、見覚えのある上級将校の女性の上半身だった。確か――今は第二艦隊旗艦に搭乗しているはずの作戦参謀長、カワセ大佐だ。ヴェーラやレベッカとは、プライベートでも親しい仲と聞く。外見的には二十代半ば――私たちよりもずっとだ。艶のある黒髪と、同性の私でも籠絡されてしまいそうなくらいに妖しい美貌の持ち主だった。容姿も、纏っているオーラも、私なんかでは到底足元にも及ばない。


『レニー、疲れているところごめんなさいね』

「いえ、大丈夫です、大佐」

『あなたの支援は見事でした。何も気に病む必要はないわ』


 私とアルマがレニーのソファの後ろに移動する。この場にいて話が聞こえている以上、隠れているわけにはいかなかった。そもそもわざわざ三次元投影通話をしてきているということは、私たちが同室にいるということを知っての上だろう。だったらなおさら、姿を見せないのは不自然だ。


『アルマ、マリオン、一緒にいたのね。良かった』


 カワセ大佐は目を細めた。その表情には一つの陰りもない。


『本当はきちんと顔を合わせてお話したいところですが。アルマとマリオンとはまだ物理的に会ったことはありませんしね』

「入学式でお見かけしたきりです」


 アルマが緊張の面持ちで答えた。私はうなずくにとどめておく。


「カワセ大佐、その」

『ええ、そうね、レニー』


 カワセ大佐は手元の端末に目を落とした。


『トリーネの戦死も然りですが、その原因となったものが、インスマウスと聞いて心穏やかではいられなかったでしょう。あなたがたの故郷はアレにやられたのですから』

「はい」


 レニーが代表して肯定した。私たちの想いは同じだ。


『アレが特攻兵器である……その事に気付いたかしら』

「アルマが……」


 私が言う。アルマは頷き、「が聴こえました」と補った。カワセ大佐は「さすがね」と少し硬い声で評価した。


『ナイアーラトテップ自体が歌姫セイレーン――アーシュオンでは素質者ショゴスと呼びますが――搭載潜水艦であることは、すでに知っている通りです。が、あのような自爆兵器までそうだとは、私たち参謀部も承知はしていませんでした』

「歌姫は貴重なのではないのですか」

 

 私の問いに、カワセ大佐は「肯定です」と応じる。


「なら何故……」

『彼らには素質者ショゴスを、使にできる理由があるのです』


 私たちはめいめいに顔を見合わせた。


あの国アーシュオンは、我々の言うC級クワイアにも満たない力の者をも素質者ショゴスとして動員しています』

「そんな――」


 レニーが乾いた声で言う。


「しかし、セイレネスは、C級クワイア以上の力がなければ起動させることすら出来ないはず」

なら。しかし、アーシュオンの戦略は、倫理よりも優先されるのです』

「それはつまり……」

『人体改造』


 その言葉。アルマの鋭い声が私の鼓膜を揺らす。


「改造って……!」

『その言葉の通りです。脳を外科的に改造する――確かな情報です』

「そんなこと……」

『無論、本人の意志など確認されるはずもないでしょう』


 カワセ大佐の黒い瞳が私を奈落へと誘う。まるで引き寄せられるようにその星の見えない暗黒の瞳を見つめてしまう。妖しく寂しげな微笑みに、私は語彙を喪失ロストする。


『現在の廃棄率は九割』


 その情報の精度まではわからない。けど、無理矢理改造手術をしておいて、九割が失敗……廃棄処理される。そんなこと、私たちの国では考えられない。そんなこと、人としてあり得ない。私はそう思う。


『廃棄と言っても、そのデータや組織の一部はあのロイガーやナイトゴーント、つまりUAV無人航空機と呼ばれるものたちに転用されています。彼らアーシュオンは徹底的に人権を蹂躙した施策でもって、我々ヤーグベルテ歌姫計画セイレネス・シーケンスへの妨害を実施してきています』


 カワセ大佐の声には抑揚はない。だけど、それだけに私の感情は大いに揺さぶられた。アルマを見るとその横顔から表情は完全に消えていた。レニーの顔はここからでは見えない。


『何年と経たぬうちに、あなたたちもまた前線に立つこととなるでしょう。その時のために、私は今、イザベラ・ネーミア提督の思想をあなたたちと共有しておきたいと思います』

「それは……アーメリング提督も?」

『無論です。としても、あの方たちの絆は変わりません』


 さらりと重大なことを告げてくるカワセ大佐。私とアルマは顔を見合わせる。


『どうせ気付かれているでしょう、あんな茶番劇の背景は。ならばあなたたちにだけは確信を持っていてもらった方が、作戦参謀としてもやり易いということです』

「でも、声は別人では……」

『ヴェーラを見くびられては困りますよ』


 カワセ大佐は静かにそう言った。伏せた目が一瞬だけ揺れる。私は唾を飲み、拳を握り直してから、言った。


「しかし、私たちはまだ一年です」

歌姫セイレーンを辞める?』

「いえ」

『ならば、良いでしょう』


 カワセ大佐は目を細める。柔和に見えるが、その奥の輝きは鋭い。まるで喉元に刃物を突きつけられているかのような威圧感がある。私は苦労して唾を飲む。


『彼らの非人道的行為は、剣でもって裁かれなければなりません。私たちもまたその当事者の一端である以上、彼らのその行為おこないをなんとしてでも止めなければならないのです。何十人かの特攻部隊の陰にある、何百何千もの犠牲者を救うためにも』

「しかし」


 レニーが苦しげに言葉を吐く。


「そうするためには――」

『戦争を集結させる以外に手段はありません。そして、そのためにいるのですよ、あなたたちは』


 一瞬だけ、声が揺れた。その理由はわからなかったけれど、ほんの僅か、1Hzにも満たない程度の不自然な揺れを私は感じた。


「それは」


 アルマがぼそっと音を放つ。


「あたしたちも同じじゃないのですか」

「アルマ……!?」


 私はびっくりして親友の横顔を凝視した。


歌姫セイレーンを辞めるわけにはいかない。確かに名目上は士官学校を辞めれば、同時に歌姫セイレーンたる資格も失います。でも、出来ないじゃないですか、カワセ大佐。敵がいて、その敵を防げるのがあたしたち歌姫セイレーンだけだという現実がある以上は。国民が、あたしたちに守られるのを当然だと思っている以上。そして現実問題、あたしたちの存在で国民の平和が作られている以上」

『――そうですね』


 カワセ大佐はことさらにゆっくりと肯定した。私は声には出せなかったが、アルマとまるきり同じことを考えていた。アルマもそうと知っていて、敢えて口にしたのかもしれない。


『国民は今や、歌姫セイレーンによる庇護と、復讐を、共に自らの持つ権利だと信じています。保証された現在いま未来あすだと信じていますね』

「でもそれは」


 口を挟んだのは私だった。カワセ大佐は私の方を見て右手を軽く上げた。


『面白くないですよね、マリオン・シン・ブラック』

「……はい」

『でも、そうしなければならない。そうせざるを得ない。あなたが国民に真実を見せつけるだけのを持たない以上、そうせざるを得ないのです』


 カワセ大佐の言葉――エゴと武器。私たちみたいな境遇の人をもう二度と生み出させたくない。確かに歌姫養成科に入ったのは運命的な流れに従っただけだけど、今はもうこうしてはっきりと動機がある。力があると知った以上、数年後の初陣に向けての準備も着々と進んでいるのだ。だけど。


 歌姫セイレーンたちの血を吐くような歌を麻薬の代わりに使ってたのしんでいる人々が大勢いる。そもそも彼らは戦争の終結を望むのだろうか? 絶対的防衛圏内で日々の安寧と享楽に耽り、日常を当たり前と思って過ごしている彼らが、一方的に与えてもらえる娯楽をある日突然――終戦とともに――絶たれることを望むのだろうか。


 ヴェーラはそれに気付いてしまったのかも知れない。そこに思い悩んだのかも知れない。アーシュオンの飛行士との件だってある。それで心を壊し――ヴェーラとしてのあの方は死んだのだ。


 そうだ、国民におもねる必要はない。私たちのすべきことは一つだ。


「私は戦争を終わらせたい」


 私は当たり前のことを当たり前のように口にした。しかし、カワセ大佐は少し困ったような表情を見せた。


 残念ね――カワセ大佐は死刑宣告のように厳かにそう言った。


『あなたたちが国のは、まだまだ来ないでしょう。でも、その日が来るのを私は本当に祈っています』

「私たちに何ができるかはわかりません」


 私はレニーの左肩に右手を乗せた。レニーの右手が私の手に重なる。


「でも、私たちが戦争を終わらせるんです」

『そうね』


 カワセ大佐は眉尻を下げた。笑ったのか、泣いたのか。三次元映像の画質では判然としない。


『ヴェーラ・グリエールには出来なかったことを、あなたたちに託すわ』


 カワセ大佐はそう言い、流れるような敬礼の後に通信を切った。


「なぁ、マリー」


 アルマが私の方へ身体を向ける。私はアルマを見て、レニーを見て、またアルマを見た。アルマはおよそ体温の欠落した声で言った。


「あたしたちに、何ができる?」


 私はその問いかけにフリーズする。


「何ができるんだ……?」


 アルマは問いだけ残して、寝室へと行ってしまった。


 私はレニーと視線を合わせる。レニーは小さく首を振った。私は宙に向けて息を吐く。


 私たちに何ができるだろう――。


 私は奥歯を噛み締めた。

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