#03-06: フィジカル・ディスタンス

 レニーはそのままヨロヨロとソファのところへやってきて、その在処ありかを確かめるようにしてそっと腰を下ろした。私は代わりに立ち上がり、キッチンへと向かった。レニーのために、コーヒーを淹れよう。アルマの声が背中側から聞こえてきた。


「今回も戦闘補助を?」

「……トリーネ先輩が、死んだわ」


 その声が聞こえてくるのと同時に、蒸されたコーヒーの香りが鼻腔を刺激した。いつもなら心地よく感じる香りなのに、今は目にみた。アルマの淡々とした問いかけが続く。


「レニーは、見た?」

「海中型ISMTインスマウス――あれに一番最初に気がついたのは、たぶん私だったと思う」


 レニーは学校のシミュレータルームで、いつもどおりに遠隔的に戦闘支援をしていたはずだ。私は背中でレニーとアルマの呼吸音を聞きながら、無心に努めてコーヒーを淹れた。


「レニー、コーヒーできたよ」

「ありがとう」


 私はテーブルにカップを置くと、三人掛けのソファの右隅に座った。レニーと向かい合える位置関係だ。早朝から戦闘準備のために出掛けていたレニーの顔には、疲労の色が濃く浮かび上がっていた。三期目にして現れた貴重なS級歌姫ソリストは、二年次になったと同時に卒業した一期生と共に戦力として計上されるようになった。セイレネスは物理的なフィジカル距離ディスタンスを無視して影響する。索敵、計測、敵戦闘システムへのクラッキングなど、できることは無数にある。


「私が前線にいたら――」


 貴重な四天王の一角を失うことはなかったかも知れない。


 レニーは本当に小さな声でそう言った。そこでアルマが「いや」と首を振る。


「レニーにできることは限られていたんだよ。だから」

「でも」


 レニーはテーブルに置かれたままのコーヒーの静謐な水面を見ながら言う。


「私はネーミア提督にあれは危険だと進言したの。だけど」

「提督はトリーネとエディタに対処させた」

「そうなの?」


 私は首をかしげる。トリーネとエディタがあれの対処に回っていたなんて、映像からじゃ分からなかった。アルマは確信を持って頷いた。


「あの時M量産型のナイアーラトテップを広域でカバーしたのはクララとテレサだった。軽巡洋艦の二人にあの大量のM量産型を対処させた」

「ネーミア提督も、あの新型の危険性には気付いていたのよ」


 レニーは今まで、私たちに作戦情報を話したことはなかった。だから、作戦支援活動と言っても何をしているのかは、私たちにはわからなかった。だけど――。


「だから、力ある二人に対処させようとした。けど、あれがまさかISMTインスマウスだっただなんて……」

「仕方ないよ」


 私は声を絞り出した。何か言わなきゃならないと思った。でもレニーは首を大きく振る。


「レニー、その時ネーミア提督は?」

「直前まであれがISMTインスマウスだってことに確信を抱いた様子はなかった。だから……間に合わなかった」

「トリーネを助けようとはしたのか」

「したわ」


 レニーから返ってくる、迷いのない答え。


 助けようとはした。だけど敵がそれ以上だった、ということか。


 アルマはいつもよりも低い声で、静かに確認した。


「今回は、戦艦はほとんど動かなかった。あれはハーディ中佐の発表の通り?」

「ええ。ネーミア提督は、特定少数の歌姫セイレーン頼みの戦略セオリーを強引に変えようとしているのよ。そのために、犠牲も必要だと。生贄サクリファイスもまた必要なんだって」

生贄サクリファイス……」


 私とアルマが同時に繰り返す。レニーは頷く。


「イザベラ・ネーミア提督は仰った。ヴェーラ・グリエール提督では為し得なかったことを為すって。だから、戦線の全てをエディタたちに任せた。私は……何もできなかった。させてもらえなかった」

「自分を責める必要はないよ、レニー」


 私はレニーの瞳を見つめる。レニーは悲しげな表情で私と視線を合わせ、ゆっくりとポニーテールをほどいた。そして小さく頭を振る。私は少し身体を前に出して、再びレニーを見る。


「こういう時、誰かを責めたくなる気持ちはわかるんだ。けど、そうじゃないし、そうするべきでもないと思う」

「マリー……」

「だって、これ、戦争だもん」


 戦争だから――私が一番嫌いなフレーズ。だけど私は今、敢えてそれを口にした。言った私自身が一番動揺しているのは少し滑稽だけど。


「私たちも前線の様子は感じてました。が、伝わってきた。だから、これは……その、戦争なんだから」


 うまく言葉にまとまらない。レニーは視線を落とし、「でも」と自分の指先を睨んでいる。


「それともレニー、提督を責めるの?」

「いえ」


 即答。これはレニーの中では、何度も行われた問答だったに違いない。


「だったらレニーだって、自分を責めちゃだめだよね? どうにもならなかった。仕方なかった――」

「仕方なかったで、大切な人を失ったことを納得しろって言うの、マリーは」

「それは」


 納得しろなんて言ってない。納得できるとも思っていない。だけど、今は。


「……ごめん、マリー。八つ当たりだね」


 レニーはコーヒーを飲む。アルマは静かに天井を見上げていた。私はレニーとアルマを視界に捉えてぼんやりする。意識がチラチラとぶれてしまって、何にも集中できなかった。


「わかってるのよ、私にも。あれだけの物理的距離がある中で、攻撃能力も持たない私がアレを、I型を、どうにかできたわけがないってことくらいは。すぐそばにいたD級ディーヴァが実際のところ何も対処出来なかった以上、私がどうにか出来たはずなんてないってことくらい……わかってる」

「うん……」


 できなかったんだ。何も。レニーにも、私にも、アルマにも。そして、ネーミア提督にも、アーメリング提督にも。


「だけど、私は聴いてしまった。セイレネスを通じて、で」

「すぐそばで……」

「ええ」


 レニーは深く頷く。何を聴いたのか。それは――。


「トリーネの、……ッ!」


 レニーの唇が噛み締められていた。切れてしまいそうなほど、強く。私は弾かれたように立ち上がる。そしてレニーの前に膝をついてその手を取った。


「レニー。これはなんです。憎むべきは、敵です。あんな兵器を繰り出してくるような敵をこそ、憎むべきなんです」

「特攻兵器――」


 アルマが私を睥睨している。私は言葉を失う。


「マリーは感じなかったのか? レニーは?」

「感じるって……」

「あの新型、を歌っていただろ」


 その言葉に、私とレニーが顔を見合わせる。


「歌……?」


 レニーがアルマに顔を向けた。私も遅れてアルマを見る。アルマは昏く険しい表情をしていた。


「聴こえなかったのか……」

「まさか」


 レニーの掠れた声が私の上を飛んでいく。私は声も出せなかった。


「あれに、歌姫セイレーンが……?」


 M量産型に歌姫セイレーンのような者が乗っているというのは随分前に明らかになっていた。だけど、あのI型は……。


 レニーの声が続く。


「アルマ、それって……搭乗者が死ぬことを前提にして作られた兵器ってこと?」

「十二年前に落ちてきた、あのISMTインスマウスもそうだったんじゃないかって今にして思う」


 アルマが嘘をつくとは思えないし、今ここで作り話をするメリットもない。アルマのほうが私よりも歌姫としての適性は高いというのなら、私やレニーに聴こえなかったI型のが聴こえたというのは納得もできる。


 納得できないのは、D級ディーヴァにさえ防げないレベルの歌姫セイレーンを消耗品扱いする敵――アーシュオンのやり方だ。今回は確かにI型の奇襲攻撃で効果はあがった。けど、それも今回限りだろう。二度目はD級ディーヴァの二人が全力で止めに動く。そうなったら無力化されて無駄に人材と兵器を喪失するだけだ。そんな事は私にだって予想できる。


 あいつらアーシュオンは、何を考えているのか。それが不気味だった。


うちらヤーグベルテの方がいくらかマシなのかもな」


 アルマが吐き捨てるように言って立ち上がる。その動きを目で追っていると、「マリーもコーヒー飲む?」と訊かれたので肯定しておく。インスタントの方だろう。


「レベッカから、ヴェーラと白皙の猟犬の話を聞いていなければ、私は未だ憎しみの力で戦争をしていたかもしれない」


 レニーがすっかり冷めてしまったコーヒーを見ながら呟く。白皙の猟犬――私は記憶の中の人名録を検索する。

 

「白皙の猟犬……あのマーナガルム飛行隊の隊長の?」

「ええ。ヴァルター・フォイエルバッハという人。捕虜交換で本国に戻った後に反逆罪で処刑されたけれど」

「その人……もしかして、ヴェーラの恋人という噂があった……?」

「そう」


 レニーは迷わず頷いた。


「これはあなた達にだけ伝えるわ。意味はわかるわね」

「ええ」


 私とアルマはそれぞれに肯定の言葉を返す。


「レベッカからも時を見て伝えるようにって言われているから」

「……その飛行士とヴェーラは」

「そうね。ヴェーラは彼が処刑された時から、何かが変わってしまった――レベッカはそう言っていたわ」


 アルマがカップを二つ持って戻ってくる。私は元の場所に戻って、インスタントコーヒーの香りを吸い込んだ。少しは落ち着くかなという期待は、一瞬で崩れたけど。


私たちヤーグベルテが、アーシュオン本土に核を撃ち込んだ話は知っているわね」

「ヴェーラとレベッカのセイレネスによる補助で……」


 今度は私の隣に腰掛けたアルマが言う。レニーは頷いた。


「その時に落ちた弾道ミサイルが、彼の婚約者を焼いた」


 初耳だった。つまり、ヴェーラは彼の、ヴァルター・フォイエルバッハの仇だったということか。それを二人は――。


「お互いに知っていた。というより、知ることになった」

「そんな……」

「でも二人はお互いを憎まなかったのよ。憎しみ合う要素は十分にあったけど、二人の……少なくともヴェーラから彼への想いは本物だったって、レベッカは言ったわ」


 セイレネスでは嘘をつけない――それは先輩の歌姫セイレーンたちがこぞって口にする言葉だ。心を丸裸にされてしまうのだという。私たちはまだシミュレーション教程の初歩だからそこまでは実感が無いのだけれど。


「セルフィッシュ・スタンド……」


 アルマが呟いた。私もすぐにピンときた。それはヴェーラ・グリエールが最期に創った、あまりにも寂しい、惜別せきべつの歌だった。


 それは、その敵国アーシュオンの飛行士を想って創られた歌だったんだ……。


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