#03-04: イザベラ・ネーミアの処女戦

 四月、桜はまだ咲かない。ヤーグベルテ統合首都の春は遅い。今はもう失われてしまった私の故郷では、三月には桜が咲き、四月には散っていた。そして今、ちょうど正午の頃、イザベラ・ネーミア提督の処女戦が始まろうとしている。


 私とアルマは強制的に点けられたテレビを眺めつつ、自分たちの携帯端末モバイルで人々の発する様々な情報を受け取っていく。そこにあるのは、熱狂、高揚、期待……。それ以外のものはないのか、それともネット管理AIによって検閲されているのか。いずれにせよ見当たらなかった。


 現地時間は十七時を回ったところだ。黄昏に凪いだ海は、橙の陽光を受けて輝いていた。海を引き裂いて進むのは、昨年までヴェーラが扱っていた戦艦、セイレーンEM-AZを駆るイザベラ・ネーミア提督率いる新生第一艦隊と、レベッカ・アーメリング提督率いる第二艦隊だ。演出はいつもながらに仰々しい。まるで野球の中継でも見るかのように、私たちはそのオープニングセレモニーからフィナーレまでを生中継で見届けるわけだ。


 歌姫たちの戦闘状況を中継することは、解説者にとっては一つの夢らしい。私も、ヴェーラやレベッカの活躍をこうしてずっと見てきた。もっとも、昔はただ「すごい!」としか思わなかったのだけど。だけど今、この立場に立って眺めていると、大袈裟なキャプションや解説が、とても白々しいもののように思えてしまってならない。テレビの中にいるコメンテーターの面々は、戦いが始まるのを今や遅しと待ち構えている面持ちだった。


 イザベラの指揮の下、おもむろにが響き渡る。テレビのスピーカーを通してもなお力を持つそのこそ、人々の求めてやまないものだ。このの持つ中毒性は、誰が何を言わなくてもわかる。物理的にのだから。歌姫たる私たちにはさほど影響はないのだが、それ以外の人々には麻薬的な飢餓感を与えるものらしい。本当であれば恐ろしい薬物中毒に匹敵するような、使ってはならないものであるはずのだったが、ネットのどこを探しても科学的根拠の類は落ちていない。


 の拡がりと共に、艦隊全体がオーロラのような薄緑色の輝きで彩られていく。海と空が呼応するかのような――それは何度も見てきた光景だった。


「……なんだ?」


 アルマは夕焼け色に染まっているテレビの画面を凝視し始める。その一方で、私はこめかみの辺りをツンと突かれたような軽い衝撃を覚える。


「どうしたの?」

「違和感。聞いたことのないノイズが入っている」

「ノイズ?」


 私は耳を澄ませる。物理的にではなく、聞こえてくるイザベラや四天王たちのサウンドに身を任せて、その異物を探る――という感じだ。私の感覚の中にもチクチクと刺さってくるような不快感が紛れ込んでくる。その殆どは今までも何度も感じてきたアーシュオンの超兵器オーパーツ潜水艦、ナイアーラトテップM量産型のそれだったが、たしかに中に一つ、明らかに異質なものが混ざり込んでいた。


M量産型が十五隻」


 アルマが呟くのとほぼ同時に、ニュースキャスターが同じことを口にした。私にもおよその数は把握できたが、アルマほど正確に当てられる自信はない。


「あとの一隻は……新型か?」


 潜水艦が一隻、急速に接近中――。


 私にも


 敵艦隊のはるか後方から、まるでミサイルのような速度で海中を進んでくる。クラゲが傘を前にして超高速で動くとこうなるであろう形。それは従来のナイアーラトテップとはまるで違う――。


「この音!」


 アルマがソファから立ち上がった。私も気が付いた。私は。私たちは顔を見合わせる。


ISMTインスマウス――!」


 喉が乾く。額が湿気る。全身に鳥肌が立った。目が痛む。手のひらに爪が食い込んだが痛くない。


 十二年前、私たちの何もかもを奪った超兵器オーパーツISMTインスマウス。ヤーグベルテに八個もの大穴を穿ち、何百万もの命を奪った超兵器。あれインスマウスは超大型爆撃機に偽装した自爆兵器だったが。


「あれの潜水艦型もあるのか」

「でもこれ、常識じゃ考えられない速度」


 ニュースキャスターたちのセリフに先んじて私たちはかすれた声で言い合う。落ち着いてなどいられなかった。あそこにいるのは、そして歌姫四天王たちの操る巡洋艦に迫ってきているのは、間違いなくISMTインスマウスなのだ。


「危ない……!」


 だが、前線の四天王たちは十五隻ものM量産型ナイアーラトテップに相対することになってしまっていて、手が空かない。C級クワイアたちは、突撃してきた他の通常艦隊艦船を防ぐので精一杯。旗艦は……。


「どうしてディーヴァは沈黙しているんだ」

「わかんないよ……!」


 イザベラの展開するは艦隊全体を守っている。レベッカの旗艦エリニュスは、ずっと後方に下がっていた。当初の予定通りに督戦とくせんに徹するようだった。いくらセイレネスが凄まじいシステムであったとしても、D級ディーヴァが圧倒的であったとしても、到底フォローに間に合う距離ではない。いや、あの潜水艦型インスマウスが常識外れのスピードなのだ。


 ドン――爆音と共に、旗艦セイレーンEM-AZ前方からの白い光が背明の海を照らし上げる。その閃光はあらゆる中継カメラを無効化するに足るだけのものだった。画面が完全に白くなり、歌姫セイレーンたちのだけが響いている状態だ。


「どうなったの……」


 私はガサガサの声でアルマに問いかけた。アルマは首を振っている。私にも聞こえていたのだ――が。九十二年四天王と呼ばれるV級ヴォーカリストの一人、トリーネの最期の叫びが。


 テレビの中は騒がしくなっていた。ニュースキャスターが「信じられません」を連呼している。他人事ひとごとのように。信じられないのは私も同じだった。一期生の中でとりわけ優れていた四人――四天王――の一人が、いともあっさりと失われたのだ。しかもトリーネといえば、主席のエディタに次ぐ実力者。二隻の重巡洋艦のうちの一隻、レグルスを与えられていた歌姫だった。私は軍人としてのトリーネよりも、歌手アイドルとしてのトリーネをよく知っていた。


『敵の新兵器の自爆により、トリーネ・ヴィーケネス中尉の重巡レグルスが轟沈』


 キャスターの声も上ずっている。それはそうだ。無敵であるはずの歌姫の上位者が新兵器によって刺し違えられたからだ。戦場には二人のD級ディーヴァ、四人のV級ヴォーカリスト、百人近いC級クワイアがいるという万全の布陣であったにも関わらずだ。


 そのダメージによる混乱も収まらない中に、敵の艦載機たちがイナゴの群れのように押し寄せてくる。歌姫の艦隊に航空戦力はない。D級ディーヴァが前に出ていれば、航空戦力など物の数ではない事は、ヴェーラとレベッカがその初陣で証明済みだ。だが、今は旗艦は後ろに下がっている。このままではC級クワイアたちへの大きな損害が避けられない。


『こちらエウロス、エンプレス隊――』


 何の高揚感も激情も感じさせない、アルトの低音域の声が凛と響く。


 ヤーグベルテの守り神・四風飛行隊のうちの一つ、世界最強の呼び名の高い航空戦力であるエウロス飛行隊。その指揮官であるカティ・メラルティン大佐が直々に率いるエンプレス隊。それが艦隊の更に後方に控えていたのだ。そしてこのタイミングでの到着だ。私はアルマを見る。


「まさか、提督は」

「予測していたのかもね」


 アルマは厳しい表情で頷いた。メラルティン大佐とヴェーラ、レベッカは一つ屋根の下で暮らしていたこともある士官学校の同期生だ。


『敵編隊に、マーナガルム飛行隊を確認。エンプレス隊、エンゲージ! 殲滅戦を開始する!』


 真っ赤に塗られた戦闘機F108Pパエトーンプラス。それがことカティ・メラルティンの愛機だ。撃墜数では伝説の超エースパイロット、初代シベリウスを超えたとか。戦闘機には疎かった私でも、暗黒空域や空の女帝の挙げている目覚ましい戦果についてはよく知っていた。というより、ヤーグベルテで知らぬ者はいないに違いない。


「それより見なよ、マリー」


 アルマがテレビを顎でしゃくった。そこには戦域地図が表示されている。敵は、三個艦隊の大戦力に加えて、更にその後方からの膨大な数の航空支援。超兵器オーパーツナイアーラトテップM量産型十五隻に加えて、ナイアーラトテップ型のISMTインスマウス


 対するこちらは、歌姫を擁するとはいえ、二個艦隊弱の戦力に、航空戦力はエウロス飛行隊エンプレス隊の十二機のみ。


 通常なら尻尾を巻いて逃げるレベルの戦力差だ。だが、歌姫の艦隊に撤退の二文字は無い。常勝不敗でなければならない戦力なのだ。まして今回が、イザベラ・ネーミアによる処女戦。決して失敗で終わってはならない作戦だったはずだ。


『参謀本部によると、トリーネ・ヴィーケネス中尉の戦死が正式に確認されたとのことです』


 キャスターが読み上げる間にも状況は進んでいる。エンプレス隊はたったの十二機で敵の航空戦力をまたたく間に駆逐してしまったし、敵の三個艦隊はそれを見て退却を開始したのだが、ネーミア提督はみすみす逃がそうとはしなかった。


 ネーミア提督は、ヴェーラ・グリエールか、それ以上の破壊力を持つ攻撃を繰り出していた。私にも未だ、何が起きているのかはわからない。ただ言えるのは、そこで展開されているのはではないということだ。艦砲も撃つ、ミサイルも放つ。しかし、敵に向けて飛んでいくのはエネルギーだ。それ以外に表現することの叶わない何か。ありとあらゆる物理的手段を乗り越え、光へと変換されたエネルギーが敵を撃つ。破壊する。S級歌姫ソリストと呼ばれる私たちにさえ、いや、レニーにさえ説明不可能な現象。それがセイレネスという戦闘システムの引き起こす事象だ。


「大戦果……ってことになるのかな」


 アルマが唇を歪める。そしてその派手な頭に手をやった。イライラしているのは私も一緒だった。イザベラ・ネーミアは、トリーネをのだ。


 四天王――エディタ、トリーネ、クララ、テレサの四人は、今や押しも押されぬトップアイドルでもある。人気という点では、レベッカに勝るとも劣らない。


『――C級歌姫クワイアの死傷者数は十数名と見られております。敵艦隊は潰滅し、本土絶対防空圏内には立ち入らせませんでしたが、それにしてもV級歌姫ヴォーカリストの戦死というのは……』


 キャスターがテレビの中でコメントに詰まっている。彼らにしてみたらC級クワイアの損害は起きても仕方がないが、V級ヴォーカリストへのダメージは全くの予想外だったのだろう。カメラを向けられた軍事アナリストやジャーナリストの面々も視線を宙に彷徨わせてコメントを避けた。


「大戦果、なんだろうね……」


 私は努めてゆっくり息を吐いて、ソファに座った。戦闘自体の所要時間はわずか数十分。その一時間にも満たぬ間に、かけがえのない歌姫の一人であるトリーネと、たったの二隻しか保有していない歌姫専用重巡洋艦のうちの一隻を喪失した。そして数千にも上る、敵味方の命も。


 イザベラ・ネーミア――私にはあなたの考えていることがわからない。

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