#03-03: イザベラ――その傷は深く、されど。

 ヴェーラ・グリエールが死去してから二ヶ月半。それは、私たちの喪失感が埋められるには、あまりにも短い期間だった。まだ春は来ない三月に、軍から突然発表があった。


 新たなるD級ディーヴァが出現した――そんな突拍子もない発表だった。ヴェーラとレベッカ、未だかつて二人しか出現していなかったD級ディーヴァの才能の持ち主が、こうも都合よく現れるはずがない。そんなことは、私にだって分かった。だから発表があった時は、ヴェーラの復活に違いない、ヴェーラの死去は何かの考えがあっての発表だったのだろう――そう確信した。


 だけど、違った。


 私たちが集められた巨大な講堂のステージに立っていたのは、ヴェーラではなかった。その立ち姿を見た時は、或いはヴェーラかも知れないとは思った。髪の色も栗色で、ヴェーラの白金の髪プラチナブロンドとは全然違ったけど。顔の上半分はサレットと呼ばれる兜のようなもので隠されていて見えなかった。瞳の色もよく見えない。口元に関して言えばヴェーラに似ていなくもなかった。


 しかし、喋った瞬間に、この人は違う――そう思った。


 だって、声の高さがちょうど二音も低かったし、声の質からしてまるで違っていたからだ。完全に別人の声、というやつだ。一時的にならともかく、長い艦隊司令官就任演説の間中それをキープするのは不可能だ。だから私は、かなりの失望を覚え、同時に喪失感をより深くした。


 ヴェーラ・グリエールがしなやかな鞭だというのなら、この新たなるD級ディーヴァの印象は、鋼鉄の剣だった。あの時のライヴで感じた虚無感、たとえようもなく深い闇のようなもの――常にそれを纏っている。この新たなるD級歌姫ディーヴァ、イザベラ・ネーミア少将とは、そんな女性だった。


「イザベラ・ネーミア……か」


 部屋に戻るなり、私はベッドに倒れ込んだ。枕を顔に押し付けながら、その名前を読んでみる。しかし、今ひとつふわっとしていて、もやもやが残る。携帯端末モバイルで色々なメディアやSNSを漁ってみたけれど、誰もを口にしていない。どのメディアも「救世主の到来」的な見出しで囃し立て、イザベラ・ネーミアを持ち上げる風潮だった。軍に対して懐疑的な見出しは見る限り一つもないし、SNSにもまるで見当たらない。これは恣意的な流れによるものだというくらい、私だってすぐに確信できた。誰も疑問を口にしないのではなく、口にした瞬間に削除デリートされていっているのだ。


「冬が来たというのならば――」


 そう言いながら、アルマが私のベッドに侵入してきた。一人用のベッドに二人が入れば、当然ながら密着することになる。アルマの少し汗ばんだ身体をシャツ越しに感じて、私は少しドキドキした。何故か顔を上げられない。


「春がそう遠くにいるだなんてことが、あるのだろうか」

「シェリー?」


 枕に顔を押し当てたまま、私は確認する。


「そ」


 アルマは短く応えると、私の背中に抱きついてきた。首と胸に手が回されて、私はますます顔を上げられない。


「西風に寄せて、の一節さ」

「うん」


 ヴェーラやレベッカが講演やインタビューで、度々口にしていたことでも有名なフレーズだ。二人のD級歌姫ディーヴァは、「冬来たりなば春遠からじ」という表現の方を好んでいたようにも思う。


「ねぇ、アルマ」

「ん?」


 私の後頭部に顔をうずめていたと思しきアルマが顔を上げたのが分かった。私はうつ伏せの姿勢のまま――というより身動きできなかっただけだが――アルマに訊いた。


「イザベラ・ネーミア提督。どう思った?」

「内面が全く見えない人だった。全ての感情をあのサレットの内側に隠してしまっているみたいな。強いて言えば、黄昏時のような人」

がれ時のような人って、ずいぶん詩的ポエティックな表現をするね、アルマは」

「その解釈のほうが詩的じゃないか?」


 アルマはようやく私の上からどけてくれた。私はアルマと向き合った。アルマの三色の髪の毛から覗く瞳が、少し不安げな色を見せていた。アルマは私の胸に頭を当てる。私からはアルマの表情が見えなくなった。


「なぁ、マリー。あたしたちはどうなってしまうんだろう? 今やレベッカも……いや、アーメリング提督も変わってしまった。鋭すぎる刃のような、そんな印象しか受けないんだ」

「うん」


 確かにヴェーラの焼身自殺……事が起きたのはもう半年も前だが、それ以前とそれ以後のレベッカはまるで雰囲気が違っていた。特に年が明けてからは。


 もっとも、十数年を友にした親友の死に遭遇したのだ。それも無理からぬことであるとは理解できる。だけど、だからこそ不安なのだ、私たちは。


 学生の身分でありながら、もうすでにレベッカの指揮下の一人として、遠隔で作戦支援を行っているレニーは、それをより強く感じているだろうと思う。かれこれ三日くらい、日中には顔を合わせていない。私たちが寝てから戻ってきて、起きる前に出ていっているような形跡はあるのだけど。


「イザベラ・ネーミア提督……か」


 私は呟いた。アルマが顔を上げる。私は何故か無意識にその顔を胸に抱きしめた。抱き枕的な安心感が欲しかった……だけだと思う。


「マリー。あのさ」

「うん?」

「しばらくこうしていて良い?」

「うん……」


 私はアルマを強く抱きしめた。アルマもそれに応えてくる。


 アルマの体温を全身に感じて、少しうつらうつらし始めた頃だった。私のお腹が盛大になった。腕の中でアルマがビクッとして、そしてケラケラと笑い始めた。


「すっごい音! 腹ペコさんか!」

「し、仕方ないでしょ!」


 正直に言うと、空腹感なんてこの数日感じていなかった。だけど、お腹の虫がこうして鳴いたことによって、私は突然猛烈な飢餓感に襲われた。また、アルマの止まらない笑い声を聞いているうちに、不安とか……そういったものがどうでも良くなってきた。この空腹感を満たしたい――それしか感じなくなった。


「空腹時には知力が下がるんだよ、マリー」

「ぽいね。今ならアルマも食べちゃえそう」

「召し上がってもよろしくてよ?」


 アルマはノリノリで腕を広げた。制服のシャツの襟元が大きく開いていて、胸の谷間がちらりと見えている。


「アルマじゃ、空腹は満たせそうにないなぁ」

「え、それどういう意味さ」


 アルマは唇を尖らせる。そしてまた笑い始めた。


「なんか、あたし変。腹筋が痛いのに、わ、笑いがとまらない」

「笑ってるアルマ、久しぶりに見たかも」


 私はアルマの三色頭をぽんぽんと撫でて、そしてぎゅっと抱きしめた。アルマは私の腕の中で痙攣するようにして笑い続けている。また私のお腹が鳴り、アルマは噴き出した。


 私はやれやれと心の中で肩を竦め、提案する。


「晩御飯には少し早いけど。何か作ろうかな? アルマ、何がいい?」

「食事に行かない?」

「食堂に?」

「いやいや」


 アルマはようやく笑いをおさめて、床に落ちていた自分の携帯端末モバイルを拾い上げた。


「これこれ。先週、割引クーポンが当たったのさ」


 どれどれ。


 端末から投影された三次元広告には、見覚えのある景色が映し出されていて、青い矢印が、高層ビルの一つを指して「二階」と表示していた。この士官学校から徒歩でも十分かからない場所だ。


「ここって、ピザ屋さん?」

「うん。ヴェーラ御用達だったってテレビでやってた」

「混んでるんじゃ?」

「ギリセーフ、かな? 予約できた」


 アルマは私の了解を得ずにぱっぱと手続きを済ませてしまう。ピザは嫌いじゃないし、いいかなとは思ったけど。


「よし、じゃぁ、マリーの食いしん坊さんを満足させるために行きますか」

「私、食いしん坊じゃないし……」

「あたしの奢り」

「なら食べる」

「よろしい」


 アルマはうんうんと頷いて、手早く制服を脱ぎ始めた。私もそれを眺めつつ、私服へと着替えるのだった。

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