#03-02: 私たちは十字架を引き継ぐことを決めた

 その衝撃的な戦闘から数週間後――二〇九六年は、衝撃的なニュースで幕を開けた。


 ヴェーラ・グリエールのである。


 重度の全身火傷により、何ヶ月も意識不明の状態が続いていたことは、全国民――いや、ほとんど全人類――が知っていた。だが、少なくともヤーグベルテの全国民は、色々な思惑はあるにしても、ヴェーラの復帰を願っていたに違いない。私だってそうだった。


 その無情な訃報が私たちの携帯端末モバイルに届いたのは、午前五時。私とアルマ、そしてレニーは、何故かその直前に目を覚ましていた。「正月早々なのにね」とベッドでゴロゴロしながら話をしていた直後に、携帯端末モバイルがけたたましく、無機的な電子音を奏でたのだ。その第一報を目にした時、私は思わず涙を流してしまった。アルマは呆然自失、レニーは無表情にリビングの方へと行ってしまった。


 私は薄暗い部屋の中、私は思わずレニーの金茶の髪を追いかけた。アルマがベッドの上段から降りてくる気配を感じながら。


 レニーは真っ直ぐにキッチンへと向かい、インスタントのコーヒーを作り始めた。レニーだけはいつもならドリップコーヒーなのに。レニーは手慣れた様子でコーヒーを入れると、私を振り返る。その褐色の瞳は、薄暗い室内でもナイフのように輝いていた。普段は柔和な笑顔を絶やさないレニーだ。こんな表情は初めて見た。


 私は自分のとアルマのカップを取り、レニーにくっつくようにしてソファの方へと戻った。アルマはすでにソファに沈み込み、携帯端末モバイルに映し出されている情報をぼんやりと追っていた。画面の光を反射するその瞳は、間違いなく潤んでいる。私だって同じような表情をしているに違いない。


 どうしよう。どうしたらいい。どんな顔をすればいい。何を話せばいい。


 私は両手にカップを持ったまま、レニーの背中を睨んでいる。手際よくその髪をいつものポニーテールに纏めたレニーは、指定席のソファにそろそろと腰を下ろした。愛用の赤いマグカップが薄闇の中でやけに鮮明に見えた。


 私たちは誰も明かりをつけようとしなかった。室内の所々にある暖色の間接照明が、ぼんやりと私たちを映して揺らしている。


「マリー」


 レニーに静かに名を呼ばれて、私はようやくソファに腰を下ろした。私と二人を隔てるテーブルの上に、アルマの青いマグカップを置く。私はそのまま自分の黒いマグカップに口を付けた。コーヒーの苦味が、今の私にはちょうどよかった。いつもより二割増しの濃さだった。アルマはカップにちらりと視線をはしらせたが、手を伸ばすのも億劫そうな表情を浮かべ、また携帯端末モバイルの二次元画面を眺める作業に戻ってしまった。


 私はカップを置いて、ソファに全身を預けた。力が抜けてしまった。今日は何もすることがない。年末年始の休暇期間だから、訓練もない。どころか、身寄りの有る大多数は帰るべき場所に帰ってしまっている。レオンもいない。


「ヴェーラは……本当に死んだのか」


 アルマがぼんやりと言った。レニーの肩が小さく動いたのが、何故か目に入った。


「レニー、ねぇ」


 私の声はとてもかすれていて、自分でも笑えてくる。


「ヴェーラは、どんな人だったの?」


 ルームメイトになって三ヶ月、このことをあまり深く訊いたことはなかった。レニーは私の一年先輩。ということは、ヴェーラが健在だった頃を間近で見ているはずなのだ。


 私の問いかけに、レニーはすぐには応えなかった。


「レニー――」

「ヴェーラ・グリエールは……曇りのない鏡のような人だった」

「鏡のような?」

「そう」


 レニーはまた一呼吸置いた。


「私たちの姿や想いをそのまま映し出す人。恐ろしく純粋で、傷付きやすいのに、そういうものから決して逃げようとしない人」

「全部受け止めてしまう?」

「そう。全部。良いことも、悪いことも。人々の仕打ち、軍の命令、戦場。レベッカがいなければ――いえ、いてもなお、この現実がやって来てしまった」


 レニーはカップを置くと、右手で目の辺りを押さえ、囁いた。


「あの大空襲の後みたいな気分」


 あの大空襲――言うまでもない。今から約十二年前に起きた、超兵器オーパーツインスマウスによる八都市蒸発事件である。私もアルマも、そしてレニーも、その時に故郷も家族も全て失ったのだ。レニーは一番被害の大きかったセプテントリオ市の生き残りだ。当時のレニーは五歳。私たちよりも記憶はよりはっきり残っているに違いない。


 ヴェーラたちが歴史の表舞台に現れたのはそれから少ししてからだった。何百万という市民を犠牲にしてもなお、無策のままであったヤーグベルテ政府に対する不満を少しでも軽減する措置として打ち出してきたのが、歌姫のとしての活動だった。思えばその時すでに、政府と軍の中で、ヴェーラとレベッカのの持つについては知られていたに違いなかった。彼らは物理的に、かつ、穏便に国民をしたのだ。


「ヴェーラは二度と助けてくれないのに」


 レニーは勝手に点いたテレビの画面を見ながら呻く。当然のように臨時ニュースである。同時に、追悼の特集が組まれていることもわかる。と言わんばかりに、その動画データが公共の電波に乗ってくるのだ。


「忌々しい……!」


 アルマはそう呟くと、テーブルの上のカップを取り、コーヒーを一気に呷った。白い喉が小さく震えている。私はレニーに視線を向ける。


「その一方で、レベッカは連日の査問会だよね」

「ええ」


 レニーはゆっくりと頷いた。


「先日の戦闘の大損害を受けて。何故なぜそうなったのか、何故いつものようにしなかったのか、何故何故何故何故……」

「反歌姫連盟の連中もすごいな」


 アルマが携帯端末モバイルの画面をスワイプした。すると私の携帯端末にその情報が移ってくる。ぼわんと三次元的に映し出された映像の中で、見知らぬ男女が口々にがなりたてている。


「レベッカを処罰しろ……?」


 彼らはつまりそういうことを言っていた。な指揮を執った責任を問えとか何とか言っている。彼ら半歌姫連盟は、度々処罰の対象になっている。だが、いくら叩いても潰しても、どこからでも顔を出す。彼らは「連盟」を名乗ってはいるが、組織としての体裁は為していない。ネットの中から自然発生的に生まれ、やがて個々人がリアルな活動にシフトしていくのだ――と、社会学に関する講義で説明されたことがある。それは今世紀初頭にはすでにあった現象で、今はたまたま「歌姫」が俎上そじょうに上がっているに過ぎないのだとも。


 私はその動画を消して、携帯端末モバイルをテーブルの上に裏返しに置いた。


「好きなこと言ってくれて」

「悔しいな」


 アルマは腕を組み、目を閉じた。


「マリー、アルマ」

 

 レニーが私たちを呼ぶ。その声はいつものものよりも一音半低くて、威圧感のようなものがあった。


「これは終わりじゃないわ」


 その言葉に、私は反射的に「どういうこと?」と聞き返していた。レニーはすごく切ない表情を見せる。微笑んだのか、泣いたのか――綯い交ぜになった感情がいっときに噴き出した、そんな表情だった。


「ディーヴァの時代はまだ続くのよ、あと、数年は」

「数年?」


 さっぱりわからない。私はアルマを見る。アルマも首を振っていた。


 レニーはカップを置いて、静かに立ち上がる。


「私たちが時代を終わらせるのよ」

「時代を終わらせる……?」

「そう。私たちS級ソリストが、D級ディーヴァに依存した時代を終わらせるの。ヴェーラとレベッカの、ディーヴァたちの十字架を引き受けるのよ」


 その吐き捨てるような口調は、レニーに全く似つかわしくない。その佇まいに、私は言葉を失ってしまう。アルマもレニーを見上げるばかりで何も言おうとしなかった。


「レニー」


 私はようやく声を絞り出す。


「何か、知ってるの?」

「……いいえ」


 そのが答えだった。レニーは、私たちの知らない何かを知っている。


「年末にレベッカから呼び出されたことがあったよね」

「ええ」

「あの時に、何か?」

「……いいえ」


 つまり、イエス。言えないが、知っている――レニーはそう教えてくれたのだ。だが、そうされてしまうと私たちはそれ以上何も訊けない。レニーの策略にまんまとはまってしまった格好だった。


 レニーは少し困ったような表情を見せて、しかし決然と言った。


「一刻も早く、あの方たちの十字架を引き受けなければならないのよ。私たちが」

「でも、あたしたちには、まだその力がない」


 アルマは飢えた山猫のような視線でレニーを見ていた。


「だからこそ」


 レニーは首を振る。


「私たちはディーヴァを理解し、未来を――」

「それじゃ、繰り返すだけじゃない?」


 思わず私は口を挟んだ。レニーは悲しげに眉根を寄せ、小さく息を吐く。


「そう。私には先延ばしに、先送りにすることしか、そんな未来しか描けない。でも、マリー。あなたがそれを超える未来を創れると言うのなら、どんな未来であったとしても、私は喜んで最先いやさきになるわ」

「レニー、なんか変」


 アルマもまた、いつもより一音低い声で言った。レニーは首を振る。


「……そうよ、変よ。変にならずには、いられないもの」


 レニーはそういうと、寝室に戻ってしまった。しばらくぶりに、寝室とリビングを隔てる扉が閉められた。


 思えばこの時すでに、レニーは知っていたのだろう。


 歌姫計画セイレネス・シーケンスの次の段階ステージを。


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