#02-03: 初雪の溶けゆく空に、暗澹たる気持ちを雪ぐ

 私が士官学校に入学して二ヶ月と少し。十二月になりたての空から、今まさに初雪が落ちてきていた。湿気で曇ったガラス張りの天井越しにも、巨大な雪の欠片が落ち注いできているのを見ることができた。


 私は寮に備え付けられている浴場で巨大な湯船にかっていた。五十人近くが同時に入浴できるんじゃないかってくらいの巨大なお風呂場である。寮の最上階にお風呂というのは、昔からの伝統らしい。施設のお風呂は寒くてとても嫌いだったけど、この大浴場はとても快適だし、基本的にいつでも使うことができる。休日に至っては、一日中入り浸っている子もいるようだ。


 士官学校に来て何が良かったかとレニーに問われて、思わず「お風呂」と答えてしまうくらいには、このお風呂は快適だった。まさに生き返る。訓練で多少凹んでしまっても、このお風呂に辿り着けさえすればその日の戦果は上々だ。


 周囲には先輩や同期の子たちが、思い思いに湯船や洗い場を使っている。ここでは上下関係は無し、というのは不文律のようで、誰もがリラックスしているように見えた。常に職員さんや他の子たちの視線や言動に怯えていた私にしてみれば、この士官学校は天国みたいな場所だった。つらいことがあれば助けてくれる友人アルマがいるし、嬉しいことがあればそれを聞いてくれる先輩レニーがいる。それに他にも――。


「どうしたの、シケた面しちゃってさ!」


 びっくりした!


 態勢を崩した私は盛大にお湯に沈んだ。そんな私をぐいっと引き上げてくれる栗色の髪と瞳の長身の女の子。同期のレオン――レオノール・ヴェガだ。


「いきなり大きい声出さないでよ! びっくりするでしょ!」

「あっはっは! 悪い悪い!」


 謝るその声も大きい。周囲の同期や先輩たちが笑いを噛み殺している。レオンの声の大きさは入学から二ヶ月目にしてもはや有名だった。激昂した際には部屋のガラスがビリビリ震えたとかコップが割れたとか、そういう伝説を作っていたりするからだ。


 レオンが有名なのはその声ばかりではない。彼女は、私たち四期生の中では唯一のV級ヴォーカリストだ。つまり、私とアルマに次ぐ歌姫セイレーンであることは、周知の事実だった。歌姫候補生の殆どがC級クワイアであることを考えれば、C級の上位であるV級はとても貴重なのだ。それ以上――私には実感なんてないけれど――のクラスは規格外ということになる。


S級歌姫ソリストさんがお一人様で何を感傷に浸ってるのかなって」


 レオンは少しだけ音量を絞りつつ、私の肩を抱いた。必然密着することになるわけだが、これにも私は慣れた。レオンのスキンシップ好きはアルマを上回る。特にお風呂では。慣れたというよりも、私はスキンシップを求めていたのかも知れないな、なんてことを今ふと思った。


「私で良ければお相手致しますよ、お嬢さん」


 アルトの最低音域で囁きかけてくるレオン。その精悍とも言える容姿とのあわせ技で、そこらへんの男性の声よりも性的に聴こえるのが罪だ。だからこそ私は彼女のことを男性形の「レオン」と呼んでいたりする。その度にレオンは「レオナと呼べ!」と指摘するのだけど、私は構わず「レオン」と呼び続けている。そっちのほうがしっくりくるから。


「私と裸のお付き合いなんていかがですか、お嬢さん」

「間に合ってるから良いよ」


 私はレオンの言葉に首を振る。レオンは私を更に抱き寄せて私の頭を強引に自分の肩に乗せさせた。私は苦笑しつつ、「はいはい」などと答えている。周囲の先輩たちは「ラブラブだねー」などと声を掛けてきたが、まぁ、いいか。実際にレオンが男性だったら、私にとっては間違いなく恋愛対象だ。豪放磊落ごうほうらいらくな性格と強烈なリーダーシップは、本当に分けて欲しいと思っている。


「どしたの、マリー。センチメンタルな顔しちゃってさ」

「そりゃ、センチメンタルにもなるよ」


 私はレオナのすべすべの手のひらを左肩に感じながら、息を吐く。湯気がふわりと軌道を変える。私は言った。


「テレビもネットも連日ヴェーラ特集ばっかり。しかも有ること無いこと、無責任にわぁわぁ騒ぎ立ててる」

「真実を語れる人が沈黙しているからなぁ」


 レオンは「よしよし」と私の頭を撫でてくれる。


「マリーはヴェーラ派だったっけ」

「どっちも好きだけど、えらばなきゃ死ぬって言うならヴェーラを択ぶ」

「なら、なおさら辛いね」

「でしょ」


 レオンはどさくさに紛れて私の頭にキスをしてきた。こういうところがレオンのずるい所だ。レオンはまた私を抱き寄せる。


「マスコミはヴェーラ・グリエールを見ていないもんね。偶像アイドルとしてのヴェーラ、ヴェーラの仮面ペルソナだけを見て、好き勝手言ってるだけだ」

「うん」


 誰もヴェーラの決意を、気持ちを理解しようとしていない。いや、分かった上で目をそらしているのかも知れない。だけど、どちらにしても、それはずるい大人の論法だ。金の卵くらいにしか思ってないのではないかと私は思って、そう思ってしまうたびに沈鬱な気持ちになる。そんな私の顔を覗き込んで、レオンは皮肉な微笑を見せる。


「数字でしか判断できない人たちだからね、そこらへんの大人ってやつは」

「大人は、か」

「全部じゃないけど、このヤーグベルテは民主国家だからね。多数決が全てだよ」

「哀しいな」


 私は首を振る。レオンはそんな私の頭をまた撫で回す。私はふぅと細く息を吐く。温かい水面が波紋を生む。


「本当は皆で幸せになっていくのが理想なのに、人の不幸を願う人がたくさんいる。人の不幸を利用する人がたくさんいる。足を引っ張り合っている」

「足を引っ張ることが目的になってるような奴が、大多数だからね」

「なんかみたいだね」

「そそ。しかもぷつんと切れちまうような、質の悪い糸さ」


 レオンはまた荒んだ笑みを見せる。彼女のこの振り幅の大きさには、時々驚かされる。


「振り落とさなきゃ自分も地獄に真っ逆さま。振り落とそうとすれば、偉そうに糸を垂らしてるやつの気持ち次第で糸が切れる。つまるところ、に目を付けられたらおしまいってことさ」

「哀しいね」


 私は初雪たちが音もなく消えていく様を見上げながら溜め息を吐く。


「でも、レオン。コソコソ生きるのが正解ってことになるよ、それじゃさ」

「そうだよ」


 レオンは私の髪に指を滑らせる。


「だから、私たちはもうってことだ」

歌姫セイレーン、だから?」

「そ」


 ……と言われたって、私たちには何の罪もない、と思う。ある日突然やってきた軍の人に「適正があるから士官学校に入るように」と言われただけだ。まさか私に歌姫セイレーンの才能があるなんて思わなかったし、まして上から二番目、S級ソリストの能力があるなんて、本当に聞いていなかった。アルマと再会できたのは嬉しかったけど。


「そこはかとなく理不尽だなぁ」

「しょーがないさ」


 レオンはニッと笑い、私のおでこにキスをした。周囲の子たちが「ひゅー」と囃し立てる。


「ちょっ、レオン、やめてよ」

「いいじゃん。減るもんじゃないし」

「増えもしないし!」

「増やしていいの?」

「やめて」


 私の明確な拒絶に、レオンはわざとらしく唇を尖らせる。


「ヴェーラ・グリエールは」


 あれ、突然真面目な声になったな。


「あの人はどこまでいってもヴェーラ・グリエールだよ。私たちの憧れ。目指すべき人。私はあの事件で、やっと目が醒めたと思っているよ」

「うん……」


 私はレオンの栗色の瞳を見つめる。レオンは眉根を寄せていた。厳しい表情だった。私は少しのぼせてきたのを自覚しつつ、極力小さな声で尋ねてみる。


「ヴェーラは、寂しかったのかな?」

「どうだろうね? レベッカだっていたわけだし」

「でも」

「別人だからね、あの二人だって。分かり合えないことだってあっただろうさ。どれだけ近くにいたって、たとえあの二人のように十数年をかけて愛し合っていたとしても、所詮は別人なんだ」


 愛し合っていたとしても――その言葉の意味は私にはまだわからない。けど、どれほど仲が良くても分かり合えないことがあることくらいは、もう知っている。アルマとなんてしょっちゅうすれ違ってるし、口論だって三日に一回はしているし。

 

「そういうものかな」

「そういうもんさ」


 レオンは息を吐くとザバッと立ち上がった。私もつられて立ち上がる。


「マリー。この後さ、部屋行っていい?」

「部屋? 私を襲うつもり?」

「いいねぇ!」

「よくない!」

「えー? お風呂入ったしいいじゃん?」

「よくないし!」


 私は肩を竦めて脱衣場へと向かう。レオンは私の隣を悠々と歩いている。背も高いし足も長いレオンは、一歩が大きい。私は小走りにならざるを得ない。


「ねぇ、レオン」

「レオナ」

「今更でしょ、レオン」

「レオナだってば」


 突然こだわり始めるレオン。私なりの敬意の現れなんだけど、人の想いってのはなかなか伝わらないものだなぁ。


「で、何さ、マリー」

「つまり歌姫セイレーンってなんなの?」

「ふぇ?」


 変な声を出すレオン。


「いや、なんなのって訊かれても。を使える能力者のことだろ」

「そこんとこが、よくわかんないんだよね」

についてはレニー先輩から聞いてないの?」

「レニーはあんまり部屋にいないしなぁ」

「そうかぁ」


 レオンはふむと腕を組む。バスタオルで身体を隠そうという気もないらしい。その間に私はさっさとパジャマを着ていた。そんな私に気が付いて、レオンも慌てて服を着始める。


「分かってるのは、というシステムは、軍事バランスを一変させるほどの強大な戦闘力を発揮することくらいだね。しかるべき時に教官や先輩が教えてくれるさ」

「戦闘力……」


 私はレオンの豊かな胸をなんとなしに見遣りながら呟く。


「それってつまり、殺す力、だよね」

「殺すための力じゃない。守るための力だよ」


 レオンはまた荒んだ微笑を見せる。それが私をたまらなく不安にさせる。私はレオンのパジャマの袖を掴み、その顔を見上げた。


「で、でも、私たちヤーグベルテは……アーシュオンに核を使った」

でね」


 苦い表情を見せるレオン。専守防衛の思想を放棄したと同時に使われた、幾つもの非人道的兵器。思えばあの時からヴェーラのは少しずつ変わっていっていたような気もする。


って、なんなんだろう……」 


 私はレオンに抱きすくめられながら、そう呟いた。

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