#01-02: 相対する運命の人

 ヴェーラ・グリエール、そしてレベッカ・アーメリング。艦隊司令官にして国家的アイドル。その二人の歌姫ディーヴァたちのステージを、最前列中央センターで見ることになってしまった。


 一生こんな機会はないに違いない。そう思うと、私はうっかり気が遠くなりそうになる。だけど、そんな勿体ないことこそしていられない。私は一瞬さえも見逃さず、僅かなノイズさえ聞き漏らさないように、全神経を集中させていた。隣のアルマは私の右手を握りながら、周囲の喧騒とはまるで孤立して立っていた。私もきっと似たようなものだっただろう。


「マリー、あのさ」


 ヴェーラたちがステージから姿を消したその瞬間、アルマが私の耳に向けて大きな声で言った。怒鳴った、というのが正しいのだろうけど、今の私たちは、通常の音量では会話ができない。私は頷く。



 私はアルマの言葉の意味を悟ってそう応えた。


「だよな」


 アルマは少し暗い表情で言った。


 そう、のだ。ガラスの破片が皮膚を突き破り、焼けた石がぶつかってきたかのように。燦然と輝く歌たちではあったものの、どれもこれも、私の心に突き刺さった。知っている曲なのに、本物のヴェーラとレベッカから弾き出される生の声に、私たちは完全にやられていた。


 周りの人たちはその事に気がついているのか、いないのか。とにかくこの会場は今、興奮の坩堝るつぼだった。対する私とアルマは、得体の知れない感情に突き動かされて泣いている。感動とは違う。明らかに、何かもっと違うものの作用だった。無理やり頭の中を弄られて、心を壊されてしまったかのような、回路が異常をきたしているかのような、そんな違和感があった。


 どっと湧き起こる大歓声――ヴェーラたちがステージに戻ってきたのだ。


 白金プラチナの髪を揺らめかせるヴェーラ。灰色の髪に手をやってから愛用の眼鏡の位置を直すレベッカ。どちらも最高の娯楽提供者エンターティナーにして。どちらも戦争の切り札、勝利の女神だった。ヤーグベルテの人々は、この二人が作り出す絶対的防衛圏のおかげでそれなりに平和に暮らせるようになったわけだ。二人がいる限り、六年前の――私が孤児になった時のような――悲劇が繰り返されることはない。二人の歌姫ディーヴァは、私たちにとって偶像アイドルなんかじゃない。本物の女神だった。


 二人の女神は同時に目を閉じ、歌い始める。変幻自在な衣装、目まぐるしく遷移するステージエフェクト。そしてあらゆるものを征圧する歌唱力と……のエネルギー。


 失望か。


 絶望か。


 それとも、虚無――?


 はっきりとはわからないけど、とにかく胸の奥をゾワゾワとさせる何か。脳の内側を這い回り、ジリジリと締め付けてくる何か。


 だけど周囲の大人たちは一様に興奮していた。ひたすらに興奮していた。私とアルマだけが、この空間の熱量に取り残されているような、そんな感じがした。


 寂しい。


 寒い。


 ――痛い。


「やめちゃダメだ」


 アルマが言った。その声は何故か酷く鮮明に聞き取れた。


「ダメなんだ、やめたら」

「アルマ、何を?」

「歌うのをやめたら、ダメだ」


 アルマは首を振った。私も何となくその言いたいことを悟る。私たちに打ち付けられる強烈なマイナスのエネルギー。その意味が何となく私の中に流れ込んできたのだ。痛み――歌うことで紛らわせている苦痛。もし歌うのをやめたら、その時は――。


「歌って!」


 私は叫んでいた。記憶にある限り、一番大きな声を出した気がする。


 ヴェーラは。私は息を飲む。呼吸を忘れる。その空色の瞳が私を射抜いている。女神の虹彩が、私の心臓を止める。あまりにも透明な矢に射抜かれて、私は足を震わせた。私が感じるのは痛みと、右手に伝わるアルマの体温だけ。そこには音も空気もない。


『きみたちに何がわかる?』


 私の中に、ヴェーラの落ち着いた声が響く。


『何がわかっている?』


 畳み掛けられる。気のせいかもしれない。けど――。


 ヴェーラはもう私を見ていない。ステージの上をレベッカと共にアグレッシヴに動き回っている。ヴェーラは目を細めていた。笑顔をはいた。しかし、ヴェーラは怒っていた。


 女神が、


『わたしのこの想いが、わかるというのか?』


 ヴェーラの声が胸の中を跳ね回る。私の心臓は止まったままだ。


「どんなことがあったって!」


 叫んでいた。アルマと同時に。私たちは顔を見合わせた。アルマは頷いた。アルマは喉を枯らして叫んだ。


「あなたたちの歌に救われる人はいるんだ! だから!」

『なるほど』


 今度はレベッカの声が頭の中にリンと響いた。透き通った声だった。レベッカの口の端がキュッと上がる。


『だそうよ、ヴェーラ』

『ははは、そうかもしれないね』


 私とアルマと、ヴェーラとレベッカ――四人の世界ができていた。私は身動きできず、アルマも小さく震えていた。


『わたしは歌うのをやめないだろう。人々のために、歌い続けるだろう』


 ヴェーラは、ふふ、と笑いながら言った。


 私は胸を撫で下ろしかけたが、そこでふと得体の知れない不安に襲われる。人々のために――引っかかった。なんでもないその言葉が、私の喉に刺さった。


「さぁ!」


 ステージ上のヴェーラが両手を広げて宙を見上げて叫んだ。


準備運動チューン・アップはここまでだ!」


 否応なしに上がる空間熱量。私もアルマも、あらゆる方向から叩きつけられてくる人の気の奔流に弄ばれる。ステージ上の二人は黒い投影衣装ドレスを身にまとっていた。


「本物のわたしたちの歌を聴かせてあげる! いざ、恍惚に酔えゲット・イントゥ・ア・トランス!」


 剥がれる偶像の仮面アイドライズド。浮かび上がる


 私は陶然としながらも、膨れ上がってきた不吉な予感を、ついに打ち払うことはできなかった。

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