Act.8-50 幕間 魔物と魔族の物語集

<三人称全知視点>


 その魔物も元々はただのコボルトであった。

 薄暗い森の中で生を受け、すぐに魔物同士、或いは動物を交えた生存闘争の渦中に放り込まれたそのコボルトは本能に従って生きるために戦い抜き、魔物の肉を喰らって糧とし、八年もの歳月をかけて犬狼牙帝コボルトエンペラーへと進化した。

 新たに獲得した能力により配下を召喚する力も得て、間違いなく森の生態系の頂点に立ったその魔物にはいつしか思考が芽生え、戦いに明け暮れる日々に疑問を持つようになった。


 いつまでも肉を食い、戦いに明け暮れる日々を送っていていいのだろうか? 自分には成すべきことがあるのではないか?


 安定を手に入れた者は、次第に哲学や思想、生きる意味――より良い生活、充実した人生について考えていくものだ。

 そのコボルトだった魔物もまた、かつての思想者達のなぞるように、自らが何者であるかを、そして何者としてあるべきかを模索するようになった。

 無論、その魔物はかなりイレギュラーな部類に入る者であったといえよう。ほとんどの魔物は明確な自我を獲得することも無く、仮に獲得しても生きることに必死でそのような活動を行うことはない。その犬狼牙帝コボルトエンペラーは様々な面で恵まれていたのだろう。


 そんな犬狼牙帝コボルトエンペラーに転機が訪れたのは、生まれた地を離れて旅をすること五年、辿り着いたとある国の森の中にある小屋を見つけた時のことだった。


 菫色の長い髪を白いリボンでツインテールにした紫紺の瞳のお人形のような少女に見える人間の雌。帯刀したその人間はその小屋で日向ぼっこをしている時に、犬狼牙帝コボルトエンペラーの姿を認めた。

 剣の柄に手を伸ばす少女だったが、犬狼牙帝コボルトエンペラーが襲ってこないところを見ると小屋の中に招き入れた。


 その犬狼牙帝コボルトエンペラーが少女を襲わなかった理由はいくつかある。


 一つは人間というものの恐ろしさを犬狼牙帝コボルトエンペラーは身をもって知っていたから。コボルトの時代から人間の冒険者に襲われ、命からがら逃げ出したという経験が幾度となくあった。この少女はまだ幼いが侮れば痛い目を見ることになりかねない。


 一つは仮に襲ったとして得られるものが少ないこと。確かに若い者の肉というものは柔らかく美味しいかもしれないが、犬狼牙帝コボルトエンペラーは食に困っていないからここで襲ってわざわざ少女の肉を得る必要がない。


 一つは好奇心から。これまで人間と関わったことはほとんどなかったが、もしこの少女と繋がりを持てば自分の成すべきことというものを見つける手がかりを見つけられるかもしれない。


 そして、最後の一つ。そもそも、戦ったところで勝ち目がなかったからだ。

 肉として食う? そもそも、犬狼牙帝コボルトエンペラーに果たしてそのようなことができるだろうか? 纏う圧倒的な強者の覇気――小さな身体に宿したその大きな力に犬狼牙帝コボルトエンペラーは到底太刀打ちできないと悟ったのだ。


 かくして、少女と犬狼牙帝コボルトエンペラーの奇妙な生活が始まる。

 「意思疎通ができぬというのは難儀じゃな」と考えた少女から言葉や文字を習い、犬狼牙帝コボルトエンペラーは人間の文化というものを約一年の間に学ぶこととなった。



 犬狼牙帝コボルトエンペラーがその少女の正体がミリアム・ササラ・ヒルデガルト・ヴォン・ジュワイユーズなる人物で、実年齢は八十歳を超え、ブライトネス王国国王のラインヴェルドやフォルトナ王国国王のオルパタータダの師匠でもある今代の『剣聖』であることを知ったのは少女と出会ってから半年後のことだった。

 十三歳の時に聖人の領域に自力で到達し、その頃から姿は変わっていないとのこと。聖霊剣ネフェルタリの保有者でかつては『勇者』の称号を持っていたが、魔族との戦いに疑問を持ち、世捨て人のような生活を送るようになったそうだ。


 森を訪れたラインヴェルドやオルパタータダ、ブライトネス王国の近衛騎士に就任したアルベルト、シェールグレンド王国の大臣の息子で騎士のギルデロイ=ヴァルドーナに戯れに剣を教え、このうちアルベルトは次期剣聖と噂されているという。

 この犬狼牙帝コボルトエンペラーも期せずして剣聖の弟子の一人になった訳だが、剣に興味を持てなかった犬狼牙帝コボルトエンペラーは彼女の元で剣を学ぶことはなかった。


「しかし、自分の成すべきことを探すか。成すべきものというものは探すことでは無く、自分の足跡を振り返って成したことはどのようなものであったかを知るものだと思うのじゃが」


『それは、師匠のような選ばれし者だけが言えることですぜ? 俺みたいな奴は目標を探して、それを目指さないと人生に意味を持てないまま死んじまうことになりかねないと思うぜ』


「人生に意味なんて必要あるとは儂は思わぬがのお」


 このやりとりは犬狼牙帝コボルトエンペラーが言葉を覚えてから既に何回もされたものだ。

 他者に理解される客観的な成果というものがなくとも自分が満足のいく人生を送れたと思えればそれでいいと考えるミリアムと、自分が満足のいく生きる意味というものを見つけたいと願う犬狼牙帝コボルトエンペラー

 両者の考えは互いの半生に裏打ちされ、全く異なる理由からもたらされたものだが、幾度となく議論が交わされ、平行線を辿っている。とはいえ、互いに言葉の意味のズレが生じていることは承知の上なのだから、単なる日常会話的なものであるという程度の認識だ。この議論で何かしらのものを得たいという気持ちは二人にはない。


「ところで、もう行くのか?」


『俺は師匠のおかげで色々なことを学ぶことができた。でも、このまま甘え続けていては自分の為すべきことを見つけることができないからな。……恩はきっといつか必ず返す』


「恩なんて別に気にしなくていいさ。儂は何もしたつもりはないからのぉ。せいぜい狩られぬように、達者で暮らせ」


 そして、犬狼牙帝コボルトエンペラーはミリアムと別れ、再び旅を始めることとなる。

 それから一年後、犬狼牙帝コボルトエンペラーは辿り着いたライヘンの森で二人目の自分の運命を大きく変える人物と運命的な出会いをすることとなる。



 オルゴーゥン魔族王国はシャマシュ教国と国境が接し、フォトロズ大山脈地帯を挟んでド=ワンド大洞窟王国に面する位置にある。


 かつて、吸血鬼達が治めていたノスフェラトゥ王国とは敵対関係にあったが、シャマシュによって姫を奪われ、国が半壊すると生き残った吸血鬼達の多くはオルゴーゥン魔族王国に鞍替えし、他の魔族との友好関係を結ぶに至ったが、現在でも多くの吸血鬼達は吸血鬼王国の再興とオルゴーゥン魔族王国からの独立を目指している。また、魔族の中でも吸血鬼こそ至上と考える物も多くおり、小競り合いが絶えることはない、そんなイマイチ纏まり切っていない魔族の王国――それが、オルゴーゥン魔族王国である。


 今代の魔王はオルレオス・ゼルフェイ・オルゴーゥン。魔族の中でも純魔族の生まれで、代々魔王を務めているオルゴーゥン家の当主でオルゴーゥン魔族王国の国王の地位にある。

 実は『スターチス・レコード』に登場した魔王と同一人物であり、『スターチス・レコード』のラスボスとは彼のことを指すのだが、『唯一神』に選ばれることはなく、この地で魔族を率いて魔国の領土の拡充や、各種族の調整、人間との戦いに関することなど様々な業務を行っている。


 ところで、魔王はオルゴーゥン魔族王国の君主であると同時に国が保有する唯一軍隊――魔王軍の最高元帥の立ち位置にもある。

 各種族から選りすぐりの者達が集められた魔王軍には最高幹部である魔王軍幹部と呼ばれる者達が存在し、実際の戦争や侵攻などでは彼らが指揮権を振るうことになる。


 魔王軍幹部は全部で七人。


 首無しの騎士デュラハンのヴァイツァール=ダヴェッル。


 淫魔の女騎士のエイレィーン=サキュメア。


 雪女族の女王の雪野ゆきの=アヴァランチ=六花りっか


 不死の大魔術師エルダー・リッチのハイゲイン=ゼルフェルスト。


 魔妖粘性体デモン・スライム劇毒粘性体デッドリーポイズン・スライムの種族を有するランギルド=フォルジァール。


 魔蜘蛛の女王クイーン・アラクネのレイチェル=アラーネア。


 竜人族のエドヴァルト=オークァス。


 人間の世界では魔族と一括りにされる様々な種族がいるこのオルゴーゥン魔族王国は、魔族の統一を行ったオルゴーゥンの血、古い盟約で固く結ばれた親魔王派魔族同盟、そして魔王軍という連合軍隊の存在によって少なくとも表向きは守られていた。


 そんなある意味平和なこの魔国でたった一人、退屈な日々を送っている少女がいた。

 褐色の肌に碧眼と金色の瞳のオッドアイ、黒いツノの生えた深紅のドレス姿のこの少女の名はアスカリッド・ブラッドリリィ・オルゴーゥン――魔王オルレオスの一人娘であり、次期魔王と噂される魔王の娘である。


 しかし、彼女は父や他の魔族とは違う。

 彼女は幼い頃から聞かされてきた人間と魔族の戦いの歴史や人間がどれほど悪いかという教育に疑問を持ち、人知れず人間の世界に憧れを抱いてきた。

 それは、窮屈な魔王城という世界だけで過ごし、次期魔王という重い立場と過度な期待に悩まされ、外で楽しそうに遊ぶ魔族の子供達の姿を見て「籠の鳥」であることを思い知らされてきた自身の逃避願望とも重なった。


 いつしか、人間世界を見てみたい、自分の知る世界を広げたい。

 幼い頃に母が死に、公務で忙しい父から愛情を掛けられることもなく、縋る縁のなかった彼女にとって、その願いだけが生きる支えとなっていたと言っても過言ではない。


 そんなある日、アスカリッドにチャンスが訪れた。


「おいおい、聞いたか? フォトロズ大山脈の近くに謎の迷宮が出現したみたいだぜ? 近隣の腕に自信のある冒険者が挑戦したみたいだが、戻ってこなかったらしい」


「ああ、そうらしいな。近々魔王軍も本腰を入れて調査するつもりらしいが……これで何件目だ? まだ攻略された迷宮は一個もない筈だろ? ……魔物の被害も多いみたいだしな。このままだとまずいよな?」


 近年、各地で迷宮なるものが出現し始めた。

 人間にとって脅威であるように、魔族にとっても魔物は脅威だ。魔族の中には魔物から進化した者もいるが、彼らとは意思疎通の手段がある。しかし、本能のままに動く魔物は魔族にとっても危険でしかない。

 古い部族には魔物を使役する者達もいたそうだ、が彼らはその能力を恐れられ、他ならぬ魔族達によって滅ぼされた。


 現在、魔族の中にはその力を持つ者はいない。


「……フォトロズ大山脈か」


 フォトロズ大山脈の先にはドワーフの国がある。

 魔族と対立するシャマシュ教国を避けるとすれば、ドワーフの国経由で動くという方がまだ現実的である。


 当時のアスカリッドには自分も気付かないほどの無意識の亜人族差別意識があった。自分の力でも亜人族を制することができる、とそう考えたアスカリッドはその日の夜、長い時間をかけて入念に調べ上げた魔王城の警備体制の情報を駆使して少しずつ集めてきた食糧を持って魔王城を抜け出し、フォトロズ大山脈の迷宮への挑戦を始めることになる。


 魔王軍の捜索の手が着々と伸びる中、後に【イストワーリ真大迷宮】と呼ばれる複合式高難度大迷宮コンポジット・レイドダンジョン(大迷宮ダンジョンの中に高難易度大迷宮レイドダンジョンの入り口がある複合タイプ)の大迷宮ダンジョンへの挑戦を開始し、負けて撤退し、また挑戦と続けること数週間――食糧が尽きかけてきた頃、アスカリッドは遂に大迷宮ダンジョンを突破し、フォトロズ大山脈の中央フォトロズの一座の麓に辿り着くも、そこで意識を失う。


「あらら? この娘、魔族よね〜? どこからきたのかしら〜? とりあえず、私ではどうにもできないし、お兄様に報告しないといけないよね?」


 意識を失ったアスカリッドを運良く発見したのはエリーザベト=グロリアカンザス――ヴェルナルドの妹で天上の薔薇聖女神教団の天上の薔薇騎士修道会副騎士団長である。

 彼女はその後、アスカリッドを山小屋に運び、介抱しながら天上の薔薇聖女神教団の総本山に連絡を取った。

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