Act.6-32 ラピスラズリ王国正妃暗殺事件〜血塗れ公爵葬送曲 scene.1 下

<三人称全知視点>


 黒い手袋に、黒いハット、黒いコート――漆黒に身を包んだ中年紳士は、地下迷宮で彼を待っていた。


 彼は魔法学園時代からの古い友人だ。その頃は中年紳士――カノープスが【ブライトネス王家の裏の剣】と呼ばれる暗殺者達の頂点に君臨する【血塗れ公爵】ということも知りもしなかった。

 決して積極的に関わっていく訳ではない。周囲から浮いている訳でもないが、どこか周囲との間に溝がある――そんなカノープスと周囲の関係を読み取ったらしい彼は、どうやら空気を読まないタイプだったようで、無邪気な笑顔で積極的にカノープスに関わってきた。


 彼は貴族が圧倒的に多いが魔法学園で数少ない平民出身だった。マルゲッタ商会を経営するマルゲッタ家という商家の生まれで、血を尊ぶ貴族達は彼らの存在を疎ましがった。イジメも頻繁に行われていたが、彼は「こんなことなんでもないよ」と笑って耐えているような子供だった。

 カノープスは彼らのことが理解できなかった。「王族一族のみが尊ばれるべきで、それ以外は皆平等に命を奪う対象になる」という考えのラピスラズリ公爵家の人間であったカノープスにとって、平民・貴族といった括りはどうでも良かったのだ。こうして尊ばれる貴族もまた、王家の敵に回れば命を奪うのだから。


 カノープスは彼を邪険にすることは無かった。興味が無かったから彼が側に寄ってきても特に何も言わなかった。

 こうして、カノープスと彼の奇妙な関係が生まれる。貴族達はカノープスに「平民といると品位を落とすぞ」と忠告・・を受けていたが、カノープスは興味のない彼に対して大きなアクションを起こすことは無かった。それを友達になってくれた、と勝手に解釈したらしい彼は魔法学園で学んだ期間、ずっとカノープスに関わり続けた。そんな彼との時間をカノープスは不快には感じなかった。



「カノープスさんって【ブライトネス王家の裏の剣】の当主なんだって? 私も国を守るのに協力したいんだけど、いいかな?」


 そう彼が提案をした時には、既に彼は壊れていたのだろう。昔のような無邪気な明るさはなく、裏の人間が持つ特有の空気感を既に纏っていた。

 彼はマルゲッタ商会が持つ貴族との取引によって生まれた情報網を更に拡張させ、【ブライトネス王家の裏の剣】が構築した情報網以上のものを構築していた。特にマルゲッタ商会は隣国との取引にも力を入れていたため、ブライトネス王国国外の情報に関しては彼を頼ることに旨味があった。


 彼は姉の死後、今日この日までブライトネス王国に尽くしてきた。今考えれば、それは大きな矛盾を孕んだ不自然なものだった。

 彼から姉を奪ったのはブライトネス王国だ。彼はその国を恨むことはあっても、積極的に力を貸すことはあり得ないことだった。

 カノープスが王家のために手を汚してきたように、彼は彼の守るべきもののためにその手を汚してきたのだろう。これまではそれが一致していた……が、完全に一致していない以上、いつか必ずズレる瞬間が来る。それが、今夜だったのだろう。


「……カノープス、やっぱり君か、君が私を殺してくれる死神か」


 焦点の合わない眼で、カルロスは自分を殺してくれる終わらせてくれる死神カノープスに声を掛けた。

 ここにカノープスが来たのは偶然ではない。ラインヴェルドから事情を聞き、ここでカルロスを待っていた。


 つまり、ラインヴェルドの意思がカノープスをここに運んだということである。そして、それはカルロスの意思とも重なっていた。


「我らは国王陛下とその一族のための毒剣、全ての業を背負う『裏』の黒い影。正義ではできないことを行うのが私達の使命だ。王妃殺しの下手人をここで逃すことはできない……例え、王妃がこの国を揺るがしかねない大きな罪を過去に犯していたとしても」


「君達には、姉が殺される前にブライトネス王国の裏切り者を暗殺してもらいたかったよ。君達は王族の奥深くに入り込んだ毒に対処することはできないようだね。……まあ、それも仕方ないことだ。既に暗殺は済ませた、シャルロッテは殺したよ。そして、君が私を殺せばブライトネス王国にとっての憂いは消える。それが、陛下のご意向なのだろう? だが、私もただで死ぬつもりはない。殺せよ、カノープス。全身全霊を賭して、私を殺せ!」


 カルロスが蝙蝠傘を閉じていた紐を外したのと、カノープスが『黒刃天目刀-喰鴉-ダーインスレイヴ』を抜き払ったのは同時だった。


「九蓮宝燈」


「闇魔法/闇纏暗殺剣ヤミマトウアンサツケン黒一文字クロイチモンジ


 カルロスの手から九つの透明な球が放たれ、カノープスに殺到する。

 カノープスの剣に闇の魔力が宿り、放たれた闇の斬撃が放たれたばかりの九つの透明な球の内の七つを真っ二つに両断した。二つの球がカノープスに命中するが、カノープスが纏っていた武装闘気をカルロスの魔力弾では撃ち抜くことはできなかったようだ。


 ところで、魔法の属性というものは極めて遺伝しやすい。風属性の魔力を持つことが前提とされる「ジェルエスネ流槍術」を思い浮かべれるのが分かりやすいだろうか?

 悪役令嬢ローザが何故闇属性と微弱な光属性を持って生まれたかというと、父親であるカノープスが闇属性を、母親であるカトレヤが微弱な光属性をそれぞれ持っているからなのである。


 カノープスは強力な闇属性と火、水、風、土の四属性をもって生まれた。その四属性も人並みに使いこなせるが、彼が最も適性を持っていたのは闇属性だった。それが強く遺伝し、ローザ=ラピスラズリは裏ボス令嬢に相応しい魔王すら上回る強力な闇属性魔法適性を得ることとなったのであろう。


「空歪小窓」


 空間魔法を発動し、生み出した小窓をカノープスの背後に顕現すると、左手を思いっきり突き出して背中から内臓を穿つ攻撃を仕掛ける……が、カノープスの武装闘気はカルロスの強化された片手の貫通力を上回った。


「……刻時貪食」


 時間魔法でカノープスの速度を遅くし、自らの速度を加速させ、突き出した手を斬り捨てようと背後を向くカノープスを魔力で強化した蝙蝠傘で殴りつけた。

 しかし、全くダメージが通らず減速した中でも背後を向き直ったカノープスが斬撃を放つ。


 加速させた時間で手を引っ込め、辛うじて腕を切り落とされる危機から脱したカルロスだが、依然としてカルロスが不利な状況は変わらない。


「四凶魔法/地割角皇スカルミリオーネ。四凶魔法/波撃海竜ドラギニャッツォ。四凶魔法/旋暴風女リビコッコ。四凶魔法/灼熱赫降ルビカンテ


 カノープスの土魔法、水魔法、風魔法、火魔法が同時に発動された。二つの角を持つ土の怪物が産み落とされ、巨大な水竜が生まれると同時に溶け出して大津波を引き起こし、長い髪を持つ女のような暴風が顕現され、髪を回転させて巨大な竜巻と化し、マントを翻す炎の魔人が無数の炎と化して上空に昇り、そこから流星のように降り注ぎ落下地点で火柱を生み出した。


「九蓮宝燈――暴爆」


 カルロスは九つの透明な球を爆発させ、その衝撃で突進する土の怪物を砕き、暴風を吹き飛ばし、炎の流星を吹き飛ばした……が、大津波を防ぐ手立てはなく壁にまで押し流された。


「闇魔法/闇牙黒竜撃コクリュウノキバ


「チッ……九蓮宝燈――暴爆」


 追い討ちを掛けるようにカノープスの手から放たれた漆黒の竜を九つの透明な球を全て爆発させて防いだ。


「闇魔法/闇纏暗殺剣ヤミマトウアンサツケン黒一文字クロイチモンジ


 その爆発が生じることで生まれた一瞬の隙を突き、カノープスが放った漆黒の斬撃が空中に残る透明な爆発を切り裂き、カルロスを両断した。

 上半身と下半身が斬撃を受けたところからズレ、ゴトンとカルロスが壁にもたれるように頽れる。


 カノープスが唯一友と呼べる者だった物の死を確認しようと近づいた瞬間、カルロスの胸元が光り輝き、カノープスの前から死体が姿を消した。

 後にはカルロスの死を証明するように、大量の血だけが残されていた。



 翌日、シャルロッテが無惨な死体となって発見された。そのすぐ側に落ちていた灰色の仮面は犯人のものである可能性が極めて高いと思われたが、灰色の怪人アッシュ・ファントムの存在を知らないのしかも推理や捜査の門外漢である医者には、その真相を暴くことはできなかった。


 王宮内に悲しみが広がることはほとんど無かった。普段から正妃に顎で使われ、度々暴力を振るわれていた侍女達は目の上のタンコブだった上司の死よりも、安全だとされていた国の中枢でこれほど残酷な事件が行われてしまったと言う事実の方が恐ろしかったようだ。

 五歳となった第三王子のヘンリーは母親の死を知り、深い悲しみから泣いていたが、彼の二人の兄は特に悲しみに暮れることはなく、しかし肉親の死を悲しまないことは不自然だと感じたのか、悲しみを演出していた。ヴェモンハルトにとってシャルロッテは既に興味を失った国の癌で、ルクシアにとっては義妹の母を奪った許されざる存在だ――最早そこに母親に対する愛情など微塵もない。シャルロッテの死を本当の意味で悲しんでいたのは彼女の溺愛の対象にあったヘンリーだけだった。


 捜査は早々に打ち切られた。正妃が暗殺されたのにも拘らず、あっさりと。

 こうして事件は迷宮入りする。シャルロッテが、メリエーナの暗殺を命じ、人知れず実行された時と同様に。

 目撃証人からラウルサルト公爵家を襲った仮面の男の仮面と正妃の部屋に落ちていた仮面が同一だということまでは掴めた、が仮面というアーチファクトが消滅した今、その犯人を特定することは不可能に近かった。


 事件の真相を知らぬ者にとっては知る由もないことだが、あえてカルロス=マルゲッタという男に焦点を当ててみよう。

 カルロスはシャルロッテが暗殺され、ラウルサルト公爵一族が皆殺しにされたその日、カルロスは一人用の馬車で取引先の隣国に向かう途中、事故に遭って亡くなった。崖下に落下した馬車がマルゲッタ商会で使われるものと酷似しているということでほぼ確定だとなり、こちらも捜査が行われることはなかった。

 こちらの場合は、死亡したのが庶民だったということが大きく影響していた。ブライトネス王国は繋がりがあったとしても、マルゲッタ商会を特別扱いすることはできず、同時に他に解決しなければならない大事件があったということで、カルロスの死は完全に忘れ去られた。馬車の中に死体は無かったが、その事実が明らかにされることはないままカルロスの死は忘れ去られる……その影で、三つの事件の繋がりを明らかにしたくない何者かの意思が働いていたのは明明白白だった。



 その事件の翌日の早朝、ラインヴェルドはカノープスから事情を聞いた後、シャルロッテの死亡現場を確認し、その後に王太后に呼び出されていた。


「大変な時に呼び出して申し訳なかったわね。それで、今回の件の真相を私には内緒にしておくつもりなのかしら?」


 部屋にはラインヴェルドと統括侍女のノクト、王太后ビアンカ=ブライトネスと離宮筆頭侍女ニーフェ=ホーリンクの四人しかいない。人払いも十分なされている。

 ラインヴェルドの握る真相を彼の口から伝えさせるための配慮だろう。


「……今回の事件の犯人はカルロスだ。ようやく事件の真相が分かり、彼は復讐のために動いたってことだろう」


「真相、ね。メリエーナの死はそもそも事件じゃ無かったと記憶しているのだけれども、ルクシアが不自然に思ったのが正しかったのね。……でも、妙ね。どこで犯人を知ったのかしら?」


「お母様も本当はお分かりでしょう? 犯人を見つけたのはローザだ。フォルトナ王国で帝国の凶手を捕らえ、吐かせたらしい。その情報をローザは、俺、ルクシア、カルロスに話した」


「……何故、そのようなことを、したのでしょう? 彼女は……この国を」


 侍女でありながら、ビアンカからは古い友人として扱われている背の低い老婆でお針子も兼ねているニーフェが、不思議そうに発言した。

 ローザの行いは国にヒビを入れかねないものだ。何故、彼女がそのようなことをしたのかビアンカにもビアンカの声を代弁したニーフェにも分からなかった。


「アイツはアイツの正義に従ってやったってことだろう? ただ、カルロスが泣き寝入りしなければならないという状況が許せなかった。アイツは元々自分の中で判断し、どちらにつくかを考える奴だ。今回、アイツは復讐を終えた瞬間まではカルロスの味方だったってことだな」


「復讐を終えた瞬間までは……ということは、ローザ様は最後にカルロスを裏切ったということでしょうか?」


「まあ、ノクトの言う通りなんだけどなぁ。カルロスは姉を殺すように暗殺者を嗾けた下手人を殺し、その後を追うように死んで姉のところに行こうとしていた。どうせ逃げられないって分かっていたんだろうし、そもそも逃げる必要も無かった。カノープスがカルロスと戦ったみてぇだが、本気で生きようって言う意志が感じられなかったみたいだぜ。……だが、カルロスの死体は戦いの場から忽然と姿を消した。ここからは推測だが、ローザは俺の力をコピーした魂魄の霸気でカルロスを回収し、蘇生させたんじゃねぇかと思うんだ。恐らく、次に奴が姿を見せたとしても、それはカルロスであってカルロスじゃない。カルロスはこの事件を起こした下手人としてカノープスと戦って死亡した――そう言うシナリオにするつもりなんだろう」


「何故、ローザはそのようなことを――」


「さぁな? ただ、死ぬことが罪滅ぼしになる訳じゃない、生きて罪を償え、罪と向き合えという意味なのかもしれねぇし、もしかしたら他にも意味があるのかも知れねぇ。アイツの考えは全く読めねぇからな」


「残酷ですね、ローザ様は」


「まぁ、確かに残酷だけどな。アイツなりに考え通して、多くの葛藤を抱えて、それでもアイツはカルロスの願いを叶えようとしたんだと思うぜ。やっぱり、アイツは凄い奴だぜ。俺達以上にメリエーナの事件に向き合っていたってことだからな」


 ラインヴェルドの過去の過ち、カルロスの復讐心、シャルロッテの裁かれぬ罪――ローザは部外者でありながらもそれらに真剣に向き合い一つの答えを出した。当日、何もできなかった……否、何もしなかったラインヴェルドにローザを一方的に責める権利はない。


「シャルロッテが死んだことでブライトネス王国の均衡が崩れた。今後は側妃のカルナが大きな権力を手にするだろう。ヘンリーの後ろ盾も消え、ヴァンだけが後ろ盾を得ている状態となった……が、カルナもシャルロッテと何も変わらない。アレがこの国を牛耳るのはシャルロッテが牛耳るのと同義だ」


「つまり、この私に彼女に目を光らせておくようにということかしら? 全く、老人遣いが荒いわね」


「まあ、それもローザが正式にこの王宮の侍女となれば状況が変わると思うけどな。アイツは邪魔なものは徹底的に潰す奴だ。例え、それが国の王だろうと、神だろうと」


「うふふ、楽しみね。私も会ってみたいわ、その恐ろしくも慈悲深い百合薗圓ローザ=ラピスラズリに」


 紅茶を一口含み、ビアンカは悪戯好きの少女のように笑った。

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