Act.6-28 推理とは、げに罪深き所業なり scene.1 上

<三人称全知視点>


「ここが、手紙にあった場所ですか」


 薄い灰色の短髪にハンチングベレーを被った糸目の男は、タイプライターのようなもので書かれた手紙から顔を上げると目の前の建物に視線を向けた。

 大貴族が住んでいそうな豪邸だ。これほどの建物であれば貴族が本邸を構える王都の貴族街でもさぞや目立つ筈……なのだが、不思議なことにこの糸目の青年は二度同じ通りを通ったにも拘らず、この豪邸に気づかず通り過ぎている。


 手紙に記されていたのは道順――それも、目的地まで真っ直ぐ行くためのものではなく、同じ場所をグルグル回るような無駄の多いものだ。青年もこの手紙に不信感を抱いていたが、差出人不明の手紙の最後に書かれていた「最愛の姉の死の真相を知りたければ必ずこの時間に来るように」という一文を見た時、青年はこの手紙を子供の悪戯と斬り捨てることができなかった。


 さて、この青年の話を進める前に種明かしをしよう。この謎の屋敷が何故、二度同じ通りを通った際には見つけられなかったのか、その要因はこの屋敷に仕掛けられた術にある。


 陰陽術の基礎となった陰陽道の風習に外出や造作、宮中の政、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いといったん別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにする「方違え」という風習がある。この風習を基に完成した特定の方位神がいる方向に対して意識を向けられなくする術が陰陽術の技術としての「方違え」であり、土御門遥の祖父にあたる土御門つちみかど有人ありとがその技術に「奇門遁甲」をも取り入れて完成させたのが屋敷にも掛けられていた「迷界方陣」だ。

 この術によって特定の道順を踏んで目的地に到達した場合にはその目的地を認識することが可能になるが、指定された正規の道順を踏まなければ目的地を認識することができなくなる。道順をパスワードにすることによって、パスワードとなる道順を知る者以外が「迷界方陣」の掛けられた場所を訪れる可能性が限りなくゼロに近づくため、陰陽師の間では特定の場所を隠蔽する際に「奇門遁甲」以上に重宝されている。……もっとも、尾行などの方法で道順を完璧にトレースすれば隠蔽したい目的地にも到達することはできるため、非の打ち所がどこにもない隠蔽技術とは言えないが。


 男――カルロス=ジリルは手紙の指示に従って豪邸の入り口から最も近い扉を開けて中に入った。

 応接室として設えられたその部屋には革張りの長ソファーが二つ置かれ、扉と反対側のソファーには高級感のある応接室とは不釣り合いに見える薔薇を象徴するような赤い髪を肩まで伸ばした、灰色の瞳と白雪のような白肌を持つ薔薇モチーフのプリンセスラインドレスを纏う美少女の姿がある。


 もし仮にこの場に事情を何も知らない者がいれば、親の権力を自分の権力だと勘違いした傲慢令嬢がジリル商会の番頭を呼びつけたという構図だと受け取ることも大いにあり得るだろう。

 だが、カルロスは彼女がそのような傲慢で世間知らずな令嬢ではないことを理解している。


 ラピスラズリ公爵家の長女ローザ=ラピスラズリ、この世界において『悪役令嬢』という役割を与えられた令嬢だ。それも前世の記憶持ちの転生者である。

 とはいえ、ネット小説の「異世界もの」というジャンルにおいては、前世記憶持ちの悪役令嬢転生者というのも珍しくはない。このユーニファイドという世界においては珍しいが。


 しかし、彼女はそんな悪役令嬢転生者達とは一線を画す。傲慢だった悪役令嬢が前世の記憶を取り戻して真面な性格になる……ということであれば、ただ前世の記憶という乙女ゲームの世界を変える切り札を持っているだけの存在で終わっていただろう。

 確かに、世界のシナリオを知っているというのは破滅する運命が定められている悪役令嬢にとって破滅を回避する切り札となり得る。後は前世の人間性や前世の知識、転生者の目的などがどのように作用するかによって分岐していく。それだけでも世界に及ぼす影響は凄まじい……が、ローザ=ラピスラズリを彼女達と同列に並べるのは危険だ。


 前世でスペックが常人の比ではなかった化け物が、前世の記憶とスペックを大幅に強化された上で転生した存在――それがローザ=ラピスラズリだ。

 享年十七歳の彼女の前世は裏の世界の一角として母国大倭秋津洲帝国連邦と戦争できる戦力を持ち、表の世界では政界を除く様々な場所で発言権を有するほどの大御所投資家として知られていた。その濃厚な人生が作用したのか、将又生来の性質なのか、彼女は常人とは違うある種の悟りの境地から物事を見ている。


 彼女は慈悲深い存在であると同時にどこまでも無慈悲な存在だ。家族や仲間を愛しながらも、それが敵に回るとなければ容赦なく殺すという支離滅裂な感情を同居させている。

 この性質はカルロスの友人のカノープスも有しているものだが、その残酷さは父であるカノープスと同等、或いは以上だとカルロスは推察している。カノープスは彼女の父であるが、それ以前にカノープス=ラピスラズリという存在は百合薗圓の創作物だ。彼女の中から取り出された残酷な性格の顕在化がカノープスであるとすれば、百合薗圓ローザ=ラピスラズリがカノープスを内包した存在であることは容易に想像がつくだろう。

 彼の場合はその感情が向けられる相手はブライトネス王国の王族で、ローザにとっては彼女にとって大切な家族・・だ。その大切な家族・・に危機がもたらされるのならば、その要因が例えローザにとって大切な者であっても容赦なく殺してしまう。これほど良心の呵責もなく、息を吸うように人の生き死にを決めてしまえる存在はそうはいないだろう。そういう意味で、ローザは極めて異質な存在である。


 カルロスにとって、ローザ=ラピスラズリとはそのような印象の存在だった。顔を合わせたこともブライトネス王国の裏の情報屋としてカノープスのもとを訪れた数回とローザがビオラ商会を訪れた数回顔を合わせた程度で直接二人だけで相対したことはカルロスの記憶にある限り一度もない。


 その彼女が、カルロスが人生をかけて求め続けた問いをどのように知り、どのようにしてその答えを知り得たかは謎だ。

 だが、この世界の創造主である彼女ならカルロス達が知り得る筈のないことを知っていてもおかしくはない。

 何故これまで顔を合わせる機会がありながらも、今日この日にこの特異な場所に呼び出したのか疑問は尽きなかったが、カルロスにとってはそのようなことは些事でしか無かった。


 カルロスにとって姉の死の真相とは、姉のメリエーナが命を落として以来、ずっと探し求めてきたものだった。例え悪魔に命を差し出したとしても知りたい真実――それを知ることができたのならこの世には未練はないと思えるほど、カルロスにとっては重要な問題なのである。


「久しぶりだねぇ、カルロスさん。直接こうして会うのは初めてだっけ?」


「……ローザ様はメリエーナの、姉の死の理由を知っているのですよね?」


「まぁ、そうだねぇ。ボクもつい最近この真実に辿り着いたから、真っ先にこの真相を知るべき人間に伝えないといけないと思ってねぇ。……ただし、これはブライトネス王国に小さくはない傷を刻むことになるスキャンダルだ。その古傷に塩を塗り込むことをブライトネス王国はしない筈。これからもその犯人は悪びれもなく人生を謳歌していくでしょうね? もしかしたら、メリエーナ様の一件で味を占めて邪魔なものは暗殺してしまえばいいなんて思っているかもしれない。……それを、ラインヴェルド陛下が許すとは思えないし、彼にも事情を伝えるつもりでいるから監視はつくと思うけど、所詮はその程度。……君は真実を知ってどうしたい? ボクは知りたいと望むならば、その真相を教えるだけ。そこから先はボクの管轄じゃない。でも、その真相を話してしまったらボクが君を唆した……なんて思われても仕方ないから、君がどんな決断を下してもボクは君の意思を尊重したいと思っている」


「……どうして、そこまで私のことを考えてくださるのですか? 私はローザ様にそこまでして頂けるほど貴女と親密な間柄ではありませんよ」


「まあ、君からしたら身に覚えのない傍迷惑なことかもしれないけど、ボクは個人的にカルロス=ジリルという人間に対して非常に好感を持っているんだよ。最愛の姉を送り出してからもずっと一途に姉を愛し続け、姉の死後も姉の愛した国だからと手を汚してきた……その忍耐はいつかどこかで報われなければならないと、報われて欲しいと思っている。この世界のシナリオを書いたボクがやっていることはマッチポンプに見えるかもしれないけど、まあそう思うなら別に構わないよ。目の前にいる元凶を殺してやりたいと思っているならボクに殺意を向けるといい。ただ、ボクもただで死ぬつもりはないからねぇ。……ただ、ボクは同時に、君には知っておいてもらいたい。母親亡き後、祖父と祖母、そして君に育てられてきたジィード君や、モルヴォルさん、バタフリアさんのことも考えて欲しい。母親に続いて父親まで失う辛さを……それに、自分の息子が命を落とすことを喜ぶ親がいると思う? 君がもし復讐に手を染めようとすれば、恐らく君も無事では済まない。場合によってはジリル商会も終わるだろうし、三人の居場所は無くなる。これだけ大きな商会だから従業員にも迷惑が掛かる。……運が良ければ商会に被害は出ないかもしれない、けど、カルロス=ジリルは生きて戻ってくることはできないだろう。そこまでして、君は随分昔に命を落とした人間の死の真相を知りたいのかい? 例え何も生まないとしても、真実を知りたいのかい? 知ってしまえば君はもう止まれない……そういう人間だってことは見ていれば分かる。君は真面目で、どこまでもまっすぐで、融通が効かない。知ってしまった以上、知らないフリをして生きていくことはできない……さあ、どうする? 君の悲願を選ぶか、家族を選ぶか」


「…………姉の、メリエーナ姉さんの死の真相を教えてください」


「例え、それをメリエーナ様が望んでいないとしても」


「…………はい。姉の死んでしまったその日からもう全てがどうでも良くなってしまったのです。私にとってメリエーナ姉さんが全てでした。姉が死んでからはあるかどうかも分からないその死の真相を追い求めることが生きる理由だった。それを知ることができたのなら、もう私は生きる理由がない、死んでしまって構わない。例え家族に迷惑をかけるとしても、ジィードに辛い思いをさせることになるとしても、私は――」


「もういいよ、君の気持ちは分かったから。……そこまで言うならもう止めはしない。君に真実を見せよう」


 ローザは一枚のディスプレイを顕現すると、映像を流し始める。




『グローシィ、単刀直入に聞かせてもらう。ブライトネス王国の側妃メリエーナ様を殺したのは君か? まさか、そんな昔のことは忘れたなんて言わないよねぇ』


『心外ですわね、私を呆け老人なんかと一緒にしないでくださいまし!! そもそも、殺した相手の顔を忘れるようにするなんてそもそも暗殺者の性質としては最悪ですわ。いつ殺した相手の関係者の復讐されるかも分からないのですもの。メリエーナ……あれは、愚かな正妃シャルロッテが、誠の寵愛を注がれているメリエーナを恐れ、暗殺を望んだというものでしたわね。彼女が子を成し、その娘が成長してメリエーナ共々大きな力を握ることを恐れたシャルロッテは私にメリエーナ暗殺を依頼した。全く揃いも揃って愚かですわね。残念なことにその暗殺はブライトネス王国を大きく揺るがし、帝国の侵攻を許すほどの大きな効果はありませんでしたが、ブライトネス王国に傷を刻みつけることはできましたわ』




「……これが君の求めてきた真実だ」


「ありがとうございます。おかげで、私はようやく姉のもとに行けそうです」


「……最後に一ついいかな? これはボクからのプレゼントだ。お守り、だとでも思ってくれるといい。きっと、願いを叶えてくれる」


「ありがとうございます。……もう会うことはないでしょう、さようなら、ローザ様」


 カルロスはローザから小さなお守り袋のようなものを受け取ると、豪邸を後にする。

 その後ろ姿を見送ると、ローザはアネモネへと姿を変え、侍女服を纏って応接室から姿を消した。



 フォルトナ王国からローザ、アクア、ディランの三人が帰国した次の日、統括侍女ノクトと王子宮筆頭侍女レインの元にそれぞれ二枚の手紙が届けられた。

 謎の銀髪美少女の侍女から二人に渡すようにと手渡されたというその手紙は片方がラインヴェルド宛て、もう片方がルクシア宛てのものだとノクト、レイン宛ての手紙で知ったその侍女の正体がアネモネだと知る二人は、手紙をラインヴェルドとルクシアに手渡し、内容を読んだ二人はそれぞれ指定した時間に王宮地下の一室へと向かう。

 ――それぞれが追い求めてきた真実を知るために。

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