2-6

 0時になりエミリーに血を与え、彼女が人間になるのを確認してから家に帰る。

 朝起きて私服姿で家を出て、人間になったエミリーと待ち合わせをして遊び歩く。

 決意を固めてからというもの、合人はそんな生活を繰り返していた。学校にも家にも寄りつかず、家族や周囲からの言葉も全て無視していると、本当に呆れられたのか、両親と周囲は合人の存在を無視するように黙り込んだ。

 心の底から呆れられて見放されている。未だに口うるさくするのは兄の景司くらいだが、以前に比べればとても自由で快適な日々だった。

 そんな生活をしばらく続けていると七月ももう終わりに近づき、夏休みまで一週間を切るような時期になっていた。しかしすでに一人だけ早めの夏休みに突入している合人には関係なく、今日もエミリーと共に遊び歩く。

 ――と。

「やぁ」

 ポン、と肩を叩かれ振り向くと、そこにはかつて景司と一緒にいた先輩、伊庭杏華が相変わらずの無表情で立っていた。

「・・・・・・げ」

「おいおい、『げ』はないんじゃないかなぁ?」

 反射的に周囲を見渡すと、目ざとく気づいた杏華が抑揚のない声で言う。

「キミのお兄さんならいないよ、弟くん」

 それほどまでにわかりやすかったのか、どちらにせよ見透かされているようで腹立たしい。

「そうですか。てっきり景司とデートかと思いましたよ」

「この前も言ったが、私はキミのお兄さんとは恋人関係ではないよ」

 正直に嫌みを隠さない言い方をしたにも関わらず、杏華はどこ吹く風で無表情のまま答えた。一つしか歳は違わないはずなのに、なんだか子供扱いされているようで余計に苛立つ。

「今日はね、題材を探しに来たのさ」

 訊いてもいないのに杏華は続けた。

 正直、杏華がここへなにをしに来たのかなんて興味もないし、景司が関わっていないのなら関係もない。

 一緒に居る理由は最初からない。だから聞き流してその場を去ろうとするが、

「題材、ですか?」

 合人の代わりにエミリーが答えてしまい機会を逸してしまった。

「そう。私はね、動画投稿者というやつなのさ。知ってるかい? 撮影した動画をネット上の動画サイトにアップするんだ」

 それくらいもちろん知っている。

 しかし杏華があまりにも淡々と言うので、親切心なのかバカにされているのか判断に困る。チラリとエミリーを見ると、なんだか尊敬の籠もったキラキラした目で杏華を見つめている。様子からして、エミリーも動画投稿についてはある程度知っているらしかった。

「それで、どんなものを撮影して投稿しているんですか?」

 遠足前の子供のような表情をしてエミリーが問う。すると杏華は両手を伸ばし、人差し指と親指以外をたたみ、その四本の指で長方形を作った。

 それはよく写真を撮るときに被写体を写真の枠内に収める目安にする方法だが、合人にも馴染みのあるポーズだ。

「絵をね、描いているんだよ。私も。今日はなにを描こうか街に出てインスピレーションをもらおうと思ってね」

「――っ」

 杏華の言葉を聞いて景司との繋がりがようやく把握できた。景司の女性の趣味は知らないが、どんな女性に言い寄られても良い返事をしなかった景司が特定の女性と一緒にいるのはおかしいと思っていたのだ。

 だが絵という共通の話題や趣味があれば話は別だ。杏華も言っていた通り、二人は特別な関係ではなく、純粋に絵によって繋がっているのだろう。景司にも杏華にもその気はない。だからこそ一緒にいられたのだ。

「絵を描く過程を動画で撮って投稿するのさ。もちろん一枚描くのにかなりの時間がかかるから、早送りして大事なところだけ早さを戻して、何回かに分けてね」

「へぇ! 楽しそうですね!」

 動画投稿にしてはやっていることが珍しいように思う。それでより興味を惹かれたのか、エミリーが食い気味に話しかける。生活に色々と制限のあったエミリーのことだから、こういうことにももしかしたら興味があったのかもしれない。そう考えると自分の我が儘でこの場を離れてしまうのは気が引けた。

「どんな絵を描くんですか?」

「私は色々だね。これを描きたいと思ったものを自由気ままに描いているのさ。景司のように風景画しか描かないとか、求められないとか、そういうことはない。風景画も描くし、人物画だって描く。その時々の自分の気持ちに素直にね」

 表情は相変わらず変化に乏しいが、それでもそう語る杏華の声色は僅かに弾んで聞こえた。

 自分の描きたいものを自由気ままに描く。それは合人がしたくてもできないことだ。そしておそらく、景司にも。だから杏華のことをとても羨ましく思う。

(僕もそんな風に絵を描けるのなら・・・・・・)

 内心ではそう願うが、それは叶わない希望だとわかっている。誰も合人に絵を描くことは求めない。それどころか、双子である景司の価値を下げかねないと描くことを禁じられ疎まれているくらいだ。

 もしも。とても昔、まだ希望を持っていた頃、もしも自分に絵の才能があったら、もしも自由に絵が描けたら。合人を取り巻く環境はどうなっていただろうと考えたことがある。

 もちろんそれは答えと言うよりは儚い幻想でしかないのだが、杏華を見ているとそんな消え去った夢をまた思い出して胸が苦しくなった。

(・・・・・・まあ、どのみち僕には関係ない)

 自分が人前で絵を描くことはない。自分の絵が誰かに見られることもない。周囲は合人が夜な夜な絵を描いていることを知らない。知らなくて、いい――。

「人物画なら合人も描いてますよっ。とっても上手なんですっ!」

 ――そのはずだった。

 しかしひっそりと続けていた日課は、エミリーの口から呆気なく他人に漏れてしまった。

 突然のことに反応が追いつかない。我に返ったときにエミリーを見るが、彼女は悪意のまったくない笑顔でニコニコとしていた。

「・・・・・・ほぅ?」

 目の前からそんな声がし、合人は振り向く。

 するといつも眠たそうに細められていた杏華の目が嫌な感じに合人を見ていた。

「弟くんも絵を描くのか。それはそれは」

 背筋に嫌な汗が滲む。

 両親や周囲、今まで合人を見下してきた視線と言葉が蘇る。

 今まで合人をバカにしてきた人間は大抵が素人だったが、少しでも絵に携わっている人間から見たら合人の行動はどう映るのだろう。景司の実力をよく理解しているだけにより厳しい評価になるのだろうか。

 本能的に身構える。拳を握り、唇を噛んだ。

 ――だが、杏華の口から聞こえたのはまるで予想もしていない言葉だった。

「見てみたい」

「・・・・・・は?」

「弟くんも絵を描くんだろう? 是非見てみたい」

「な、なんで・・・・・・」

「なんで? おかしなことを訊くじゃないか。絵描きが誰かの絵を見たいと思うのは普通だろう? しかもそっちの・・・・・・えっと」

「エミリーです。エミリー・ニール」

「エミリーちゃんが言うにはとても上手いらしいじゃないか。ならば余計に見たい」

「ぼ、僕の絵なんて、見る価値は・・・・・・。それに」

 合人が絵を描いていることはできれば知られたくない。こっそり絵を描くことすら禁じられたら合人の精神状態はズタズタになってしまう。

 杏華は景司に近しい人物だ。このまま放置してしまってはいずれ景司にこのことがバレるかもしれない。そうすればきっと必然的に両親や周囲に知れ渡ってしまうだろう。それは考えただけでも寒気がする。

 なんとか誤魔化さなくてはいけない。絵なんて描いていない。全てエミリーの勘違いだと――。

「だったら見に行きましょう!」

「エミリー!?」

 唐突な提案にさすがの合人も焦りを隠せずに詰め寄る。肩を掴み懇願するような視線を向けるが、当の本人は逆に困惑していた。

「そうかい? ならありがたく案内してもらおうかな」

 エミリーに気を取られていると杏華が合人とエミリーの手を掴んで歩き出した。どこに合人の絵があるのかも知らないだろうに、迷うことなく一直線に。

「ちょ、ちょっと待ってください! 僕は絵なんて――」

「ほらほら行くよ、少年少女よ!」

 いつになく溌剌とした様子で、杏華は二人を引っ張って歩き続けた。

 なんとか誤魔化さなくてはいけない。合人は久しぶりに脳をフル回転させて杏華への言い訳を考えるのだった。

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