第159話 宗教についての疑問

次の患者は二宮節子17歳である。

渋沢吾郎:どうしましたか?

二宮節子:学校が嫌いです。なんか束縛されている感じがします。やりたいことをだけをやればいいという風に教えてくれません。また、自分のために頑張ることは駄目なことでしょうか。宗教のために頑張らなきゃいけないのでしょうか?

渋沢吾郎:私は、宗教のために頑張らなくておいいとおもいます。宗教は自分がいいと思ったら自発的にやればいいと思います。だから、忠誠心を植え付ける学校の教育は間違いだと思います。

二宮節子:そうですよね。でも、自分は自分の宗教はいいと思っています。ただ、私はその宗教の指導の仕方が間違いだと思っています。

渋沢吾郎:ですが、宗教は自発的に広めると運気は上がりますよ。

二宮節子:そうですよね。ただ、腐った宗教もありますよね。

渋沢吾郎:まあ、テロみたいな宗教もあります。二宮さんは宗教に興味をお持ちですか?

二宮節子:はい。私は宗教は人を幸せにするのもだと思っています。集団で一人の人を攻撃するいじめはあり得ないと思います。私の宗教は残念ながらいじめは存在します。でも、どうしていじめをするのでしょうか?

渋沢吾郎:それはいじめをした方が得だからという理由と気にいらないという理由ですね。

二宮節子:なんか理由がガキみたいですね。なんか地球全体が病に侵されている感じですね。これからどう生きればいいのかが解らなくなってきます。

渋沢吾郎:しかし、私は宗教は道を与えてくれません。自分で道を見つけて自分の信じる道を歩いていく方がいいと思います。

二宮節子:しかし私の信じる道はある人の大企業計画です。その人は経済の力でこの世を変えようとしています。みんなを幸せにするのが大企業計画だと信じています。

渋沢吾郎:解りました。で、ここに来た理由は宗教の話がしたかっただけですね。

二宮節子:はい。また、渋沢先生の太鼓判が欲しかっただけです。

渋沢吾郎:わかりました。では、本当に太鼓判を押しましょう。

 と、吾郎は自分の名刺に判子を押して節子に渡した。

二宮節子:ありがとうございます。渋沢先生は何でも話を聞いて下さるので話しやすいです。渋沢吾郎:では本当にこれでいいのですね。

二宮節子:はい。ありがとうございました。

 と、節子は満足そうに外へ出た。

 そして夜。清子は今夜もいなかったので、子供と遊んで自分と清子の部屋で一人で寝た。


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