第38話

初めて王宮ここに連れて来られたのが3週間程前だったか。

あの時、初めて生みの父親が誰であるか聞かされた上、見ず知らずの、そして今では私が心から愛する人を「殺せ」と命じられた事が、はるか遠い昔の事のように思える。


けれど、あの時の恐怖や、フィリップを人質に取られ、村人たちの命は保証しないとドレンテルト王から脅され、断る余地が無かった事・・・。

その時味わった無力感、罪悪感、絶望感が、あっという間によみがえった私は、その場から動けなくなってしまった。


フィリップや村の人たち・・・みんな無事よね?

でもシーザーはここにいないのか、気配を感じない!


灰色の冷たい石の王宮が上から迫ってきて、押し潰される感覚に囚われそうになったその時。

全身を震わす私を支えるように、ライオネル様が私のウエストにそっと手を添えてくれた。


そしてライ様が、私の耳元で「大丈夫だ、ディア」と囁いたのと同時に、重厚な扉が開いた。









私たちを出迎えてくれた側近―――私の婚姻時に、ロドムーンへついて来た一人でもある―――は、緊張している態度を隠そうともせず(隠す余裕すら無かったのかもしれない)、私たち一行を、広間へ案内してくれた。

私たちが待つ事数分後。

ついにドレンテルト王が姿を現した。


ドレンテルト王は、最初、ライオネル様の方へ、確認するように視線を向けた。

次に、斜め後ろに控え立っている私へ、そのまま視線を移す。

咎めるようなドレンテルト王の視線を受けた私は、ライ様の袖を掴んで、壁のように頑丈な背後に隠れたい衝動に駆られたけれど、どうにかそれを抑えた。


「これはこれは!魔・・ライオネル王。まさかこんなにすぐ再会できるとは。驚き極まりない事だが、いや、嬉しいのは勿論の事。しかし、義理の息子が、我が王国へ訪問しに来るとは聞いてなかった故、ロクなもてなしの準備も出来ておらず。とにかく座って、葡萄酒でも一杯・・・」

「フィリップ翁はどこにいる」

「・・・は?」

「フィリップは無事なのですかっ?フィリップに会わせてくださ・・」

「勿論、フィリップ翁は無事のはずだ」


その、低く安定していて、いつもどおり優しいライ様の声音に、私の心に安堵感が広がっていくと同時に、一人、気が急いていた事に気づかされた。

そして、「この場は俺に任せろ」ともライ様に言われているような気がした私は、「そうですよね、出過ぎた振る舞いをして申し訳ございません」と、ドレンテルト王・・・ではなく、ライ様に謝った。


「一刻も早く、育ての父親に会いたいと思うおまえの気持ちは良く分かるが、もう少し待て」

「はい」


そして、射抜くような視線でライオネル様に睨まれれたドレンテルト王は、腰を抜かしたように手近な椅子に座り込むと、「フィリップを連れて参れ」と、震える小声で側近に命じた。


・・・二人とも一国を統治する国王で、しかもドレンテルト王は、仮にもライオネル様の義理の父親にあたるというのに。

ドレンテルト王は、ライ様の屈強な体躯から発せられる国王としての威厳と、射抜くような鋭い視線に、完全に恐れをなしているように見える。

少なくとも私は、ライ様のような堂々とした威厳や雰囲気を、ドレンテルト王からは微塵も感じられない。


「ところで」

「ひ・・っ」


落ち着きなく手で顔を仰ぐドレンテルト王に、ライオネル様は、まだ安堵する隙を与える気はないらしい。

しきりに手で顔を仰ぎ続けるドレンテルト王を、ライ様は涼しい顔で見ている。

そのお顔が少しニヤけているところから、ライ様にはまだまだ余裕がある事が窺える。


「ジョセフィーヌ姫に会いたいのだが」

「うっ!」とドレンテルト王が唸った声と、そして「あっ」と私が出した声は、ほぼ同時だった。


すかさずライオネル様が、思わず口に手を当てている私の方を見る。


「あのぅ。それは恐らく無理だと・・・。実は、ジョセフィーヌ姫は、護衛のアキリスと駆け落ちをしてしまって。ちょうどその・・婚姻の日に乗じて」

「それが“家族の緊急事態”だったわけか。成程。どうやらその様子だと、姫はまだ見つかっていないようだな。それならそれで別に構わぬ」

「良いのですか?ライオネル様。貴方は・・・あなたは、ジョセフィーヌ姫と本当に結婚をしたいのでは・・・」

「・・・何故そうなる」

「えっ?だって・・・私はあなたを騙して殺そうとしたのですよ?だからあなたは私をラワーレに連れてきて、ここで私を・・・見せしめ的に処刑なさるおつもりなのでしょう?そして今度こそ本当に、ジョセフィーヌ姫と結婚をする事で、ラワーレで暮らす村人たちの窮状を救ってくれるのかと・・・」


困惑顔で仰ぎ見る私を、ライオネル様は、鋭く一瞥した。


・・・私、何か間違った意見を言ってしまったのかしら。

ライ様の全身から何か・・怒りのような雰囲気を感じるのだけれど。

でも怖くないような・・・。


「ならば何故おまえは昨夜、ほぼ一晩中俺に抱かれた!俺にでも乞うつもりだったのか?そのためにおまえは我が身を差し出し、俺にしがみついたまま離れようとしなかったと言うつもりか!」

「な・・・違う!そんな・・・違います!」

「ならば何故だ!言え!」

「だ、だって・・・昨夜が最後だと・・思って、それで・・・だったら、愛している人に殺される前に、うぅ、愛している人に、だ、抱かれて・・・抱かれたいと・・・最後だから、うぅ、最後に、私が持ちうるありったけの愛を、あなたに、と・・・」

「あぁメリッサ」


ライオネル様は、嘆かわしいという声音で私の名を呟くと、必死に泣き止もうとしている私を、そっと抱きしめてくれた。


「それでおまえは眠りに落ちる直前に、“あなたが迎える未来の花嫁”などと、他人的な戯言を呟いたのだな」とライ様は言うと、フゥと息をついた。


その吐息が、頷く私の髪をそっとくすぐる。


「ディア・メリッサ。おまえは本当に真っ直ぐで純心で美しく・・・相変わらず殺気は皆無な上、

「そっ、それは・・・・・・えぇっ?!今、何と・・」


思わず私は、ライオネル様を仰ぎ見た。

そんな私にライ様はフッと微笑みかける。


「そんな愛すべきおまえを誰が殺す?ん?俺はおまえを護りこそすれ、この手で殺める事など決してするつもりはない。決して」

「ら、ライ様・・・」


私の碧い眼は驚きで少し見開かれ、瞬きをすると、その勢いに押されて涙が頬を伝う。

それを、ライ様は人さし指でそっと拭ってくれた。


「故に、俺はおまえを“処刑”する気など、最初から無かったぞ。しかも“見せしめ的”にとは・・・悪いが聞いて呆れてしまった。一体おまえの想像力はどこまで逞しいのだ?!それこそ俺は“魔王”ではないか」

「いやっ。だ、だって・・・・・。ごめんなさぃ・・・」


しおらしく謝る私を、クスクス笑いながらライ様は見ると、優しい声音で「まあ良い」と言って、頭を一撫でしてくれた。

でも、「俺は」といいながら、私からドレンテルト王へ視線を移した時には、優しさの欠片も見当たらず、代わりに、鋭さと厳しさが増していた。


「いや、俺もおまえと結婚する気は無いと、ジョセフィーヌに言いたかっただけだ。もし見つかれば、そう伝えておいてくれ」

「・・・は・・・」

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