第5話 アルコールの力で告白しよう
「ほい、おつかれー!」
「おつかれさっしたー!」
ぐびぐびとジュンが今日飲むのはコーヒーではなくウーロン茶だった。
「おいおいジュン。お酒はダメなのかー」
「すみません。まだ未成年なので」
「あ、そう?」
この大学は一年生から専攻科が始まり入学と同時にプレゼミ生としてゼミに加入する習わしだった。入学以来何度かゼミの飲み会はあったが先輩から振られてもジュンはずっとお酒を断り続けてきた。一度だけノンアルコール・ビールを飲んだことはあったがホンモノのビールもこの味ならば飲めないな、と思っていた。
「ジュンちゃん。隣いいかな?」
「はい。いいですよ、遠藤先輩」
遠藤は4年生でゼミの中でも一目置かれる文学通だった。後輩女子の中でも人気の高い上級生のひとりだ。
「ジュンちゃんは作家では誰が好き?」
「そうですねえ・・・一番好きなのは内田百閒ですね」
「へえ・・・渋いね。でも百閒はエッセイがメインでしょ?小説では誰?」
「一番たくさん読んだのが大江健三郎ですね」
「え。それも意外だね」
「どうしてですか?」
「だって、とても沈み込むような感じで、それにエロティックでしょ?描写が」
「そういう面もありますよね。でもああいう文体がなんだか体にしっくりくるんです」
「いいね。文学的な表現だ」
「え」
「その、体にしっくりくるっていうのが」
酔いが進むと遠藤の話は熱を帯びてきた。
「今の小説はダメだよねえ・・・なんていうか、軽すぎる」
「軽いのが好き、っていう子も多いですよ。身近に寄り添ってくれる感じがして」
「でもキミは重くて深いものを好む訳だよね」
「傾向としてはそうですね」
「文学少女だった?」
「そ、ですね」
「初恋は?」
ジュンはちょっと困った。
もし自分が小説家だとしたら、初恋のエピソードというものは特に大切に扱わなくてはいけない事項だと理解していた。脚色をする必要など全くないが、相手のことも含めて初対面の人間にそれこそ軽々しく喋るものではないという自律があった。
「ごめんなさい、遠藤先輩。言えないです」
「ほ。そうか。じゃあさ、ジュンちゃん」
遠藤が空間の隙間を埋めてきた。
「今、彼氏は?」
「え・・・」
「いるの?」
「・・・・・・いません」
「そうか!」
遠藤は突然その場で立ち上がった。
「おーい!みんな、聞いてくれ!」
ゼミ内パワーバランスのかなりのシェアを持つ遠藤に、全員が私語を中断して注目した。
「えー。今ジュンちゃんと文学について深く話し込んでいました。そして、彼女は文学に身を捧げて来た結果、初恋もまだだと打ち明けてくれました」
違う!
ジュンは反射で遠藤を見上げたがそれだけで言葉までは出せなかった。遠藤は発声し続ける。
「俺がジュンちゃんの初恋の相手に立候補します。ジュンちゃん、俺と付き合ってください!」
「あ・・・の。わたし、は・・・」
「返事は今じゃなくていいよ。ジュンちゃんの気持ちが固まるまで待つから」
遠藤に気を遣う後輩の男子たちがおーおーと囃し立てる。女子たちも場の流れを読みながら巧みに、よかったねージュン、などと合いの手をはさむ。
ジュンは完全にひとりぼっちだった。
・・・・・・・・・・
「すみません」
結論から言うと、その日の内にジュンは答えを出した。しかも僅か一時間の内に。会計を済ませて店を出る時、ゼミ生全員の前で。
「すみません、遠藤先輩。お付き合いはできません」
全員がどう反応すればよいのか判断がつく前にジュンは更に先制した。
「じゃあお疲れ様でした。おやすみなさい」
ルーシーの常連客たちにするような愛想のよいお辞儀をして、駅の方に歩いて行った。
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