花火大会の余韻を京都に持ち帰って楽しむこともなく、わたしはユウに連絡を取った。自分がなにをしなければならないのか、完全な確信をもって知ったのだ。


 ——わたしの先生と伯父さんのことで、至急、伝えたいことがある。


 ユウからは、すぐに返信が来た。もしかすると、わたしからの連絡を待ってくれていたのかもしれない。


 ——その話は、もういいや。


 ユウの感情からすれば、そうなのだろう。だが、こちらはまるで良くない。


 ——どうしても、伝えなきゃいけない。とても大切なことだから。


 既読がつき、しばらく間があって、それから、また通知音。


 ——わかった。わたしは休みの間いつでもいいよ。あんた実家帰ってないの?


 お盆休みは実家には帰っていない。ただこうして毎日窓から差し込む鋭い日差しに嫌気がさして目を覚まし、散らかった髪のままだらだらと一日を過ごしている。

 中小路さんと合う約束もしているが、中小路さんは休みなしでに駆け回っているから、わたしのペースに合わせてもらうのも申し訳ないと思うから、毎日一緒にいたいなどと駄々をこねたりはしない。



 カニの前。人通りは、いつもより多い。

「久しぶり」

 なんやかんやで数ヶ月合わないということもあるから、わたしとユウの間においてこの挨拶は不自然ではない。だけど、今日は、どこかこの言葉が空々しい響きを持つように思えた。


 足の向くまま、二人のお気に入りの、新京極四条近くの細道のカフェへ。

 わたしの前には、やっぱりオムライス。

「なんか、あんたの前にオムライスがあるのを見ると、安心するわ」

 ユウはそう言って苦笑し、ため息をついた。今日わたしがどのような話を持ち込むのか緊張しているのかもしれない。

「食べよっか」

 ユウは、ハムとチーズのパニーニセット。お昼に頼むような、わりと軽めのものだ。いつもはカレーとかチキンカツとかそういうものを好むから、食欲があまりないのかもしれないと想像する。


 それらを口に含みながら話すようなことではないから、お互いの近況報告をしながらまずは談笑した。

「で、その後、袋小路さんとはどうなのよ」

「中小路さんだってば」

 ユウの興味は、わたしの歳上の完璧彼氏のことに向いている。

「花火大会に行って、そしたら——」

 もちろん、わたしはあの琵琶湖を見下ろすホテルのことを話した。

「うわ、なにそれ。ヤバ。その島袋さん、聖人か何かなわけ」

「中小路さんだってば」

 半分わざとなのは分かっているが、むきになって訂正せざるを得ない。そういうわたしを、ユウは好いてくれるのだ。


「ユウの方は?」

「うーん、微妙」

「え、ということは」

 微妙ではあるが何か新しい出会いがあったものらしい。ユウはわたしと違ってモテるから、それこそケンジだかタカシだかソウタだかシュウトだか挙がる名前を覚えられるはずもないくらいだ。

「最近、うちの伯父さんのとこに出入りしてる人がいてね。ほら、お盆でしょ。ちょっと早いけど、ってお墓参りしたわけ。終わって本家で集まってたら、刑事さんが来てさ」

「え、警察?」

「そう。伯父さんと少し話して、すぐ帰ってったけど。そのあと、夜になって、わたしのとこに来たもんだからびっくりしてさ」

 話が見えない。なぜ警察が秀一氏と、それにユウと接触を持つのか。それに、これはユウの最近のいい話ではなかったか。


「とりあえず、まだコーヒー屋さんが開いてる時間だったからお茶してさ」

 警察の人というのはぱっと見で四十になるかならないかくらいで、京都府警の者だという。抑揚の強い話し言葉は京なまりで、京都で生まれ育ったのだろうと思ったということだ。

 太田刑事ではない。あの風貌ならユウはまずあり得ないオジサン、と判断する。しかし、夜の突然の来訪にもかかわらず出かけてお茶をするあたり、その警察というのはだったに違いない。


 警察の男は、秀一氏のことをいくらか質問したらしい。べつに、大したことはないような内容だ。さらに、それに加え、

「伯父さんは、最近、どういう人とお付き合いをされていますか」

 と交友関係について質問をされたという。わたしの肝が冷えたのは、

「とくに、たとえば、今回の相続の関係などで」

 と警察の者が言ったということを聞いたときだ。警察は長谷川家に相続があるのを知っていて、さらに、それに連なって家に出入りしている者を洗っている。

 だとすれば、それは、興嬰会がらみのことではなく、間違いなく先生を目当てにしているのだろう。


「なんか凄い話だけどさ、それとユウのいい話がどういう関係があるのよ」

 わたしは興味を向ける風を装いながら、頭の中を整理する時間を求めた。

「いやね、なんか、ウマがあっちゃって」

「——まさか」

 その刑事さんと。

「はは、まあ、よくあるじゃん」

 ユウは恋愛に積極的ではあるが、初対面の相手といきなりというのはいくらなんでも話が飛んでいるように思う。おそらく、喫茶店で盛り上がり、閉店を迎え、そのままランプの点滅する看板のあるようなところに消えて朝を迎えたのだろう。


「まあ、別に付き合ってるってわけじゃないんだけどね。ただ、なんかいい感じの人に思えて」

「ユウをいきなり落とすなんて、その刑事、相当やり手のようね」

「まあ、年上ってのも悪くないかな、なんて。武者小路さんじゃないけどさ」

「中小路さんだってば。ユウ、年下好みだったのにね」


 こういう話なら大丈夫。ユウも、これまで通り楽しそうに話してくれている。

 ユウの方から相続に関係する話が出たのはちょうどいい。もしかしたら、わたしが話を向けやすくなるようにわざと相続という言葉を使ったのだろうか、なんて思ったりする。

「ユウ」

「分かったわよ。聞いてやろうじゃない」

 言いなさい、とユウの片眉が上がる。


 わたしは、知りうることのうち、中小路さんが実は警察関係者で先生を追っているのだということ以外は洗いざらい話した。もちろん、先生が元詐欺師で、今なお警察に追われているということも。

 秀一氏が、先生に手懐けられた不動産業者に食い物にされつつあること。安くで土地を買い叩かれ、納税や借金返済のために多くを手放さなければならなくなるであろうこと。

 前提として、わたしは先生が口にした川島があの川島と同一人物であることを確認していない。それを踏まえながら、危険を孕んだ可能性としてユウに提示した。


 ユウは、ときおり頷いたり喉を鳴らしたりして、じっと聞いていた。

 そして、

「先生を追っている警察の人がいる。その人に、先生が尻尾を出した瞬間を押さえてもらわなければならない」

 だから協力してほしい、というわたしの言葉を待ち、

「わかった」

 と彼女らしく、まず意思表示をした。それから、

「にわかに信じられないけどね。そんな小説みたいな話——」

 とため息をつき、手元のビールを一口飲んだ。


 ユウは、わたしの期待したとおりのことをすると言ってくれた。

 川島という不動産業者に、そして、先生に謀られ、陥れられようとしていることを秀一氏に伝える。何なら、別の税理士に再び試算をするようユウから依頼してもいいと言った。

 ユウにしてみれば悪感情しかない秀一氏の破滅はさておき、それが仕組まれたものであり、かつ、ユウのおじいさんが守ってきたものを散らせてしまうようなことになるのを、彼女は見過ごせない。


 わたしの読みは当たった。これで、中小路さんはようやくその悲願を達成できる。

 そのあとのことは、二人で決めればいい。

 会話が終わり、物憂げにビールの小瓶を見つめるユウを見て、胸にちいさな棘のようなものを感じた。

 なぜなのか、わたしには分からない。少なくとも、今はそれでいいと思った。

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