006

 卒業式の日を迎えた。

 私の名前の由来でもある桜の木が、満開の姿を見せるために少しずつ準備を始めていた。なんだか今の自分と少しだけ通じるものがあるような気がして、少し微笑ましい。

「行ってきます」

 私は卒業式のために買った真新しい洋服を着て家を出た。旅立ちの日のために、両親と一緒に買いに行ったものだ。

「あれ?」

 家を出ると、目の前には照れ臭そうに立っている人がいた。宮澤蛍、その人だ。

「おはよう」

 手を軽く挙げて、こちらに挨拶をしている。視線は、少し宙に浮いていて怪しげだ。

「おはよう。珍しいね、先に待ってるなんて」

「いつまでも昔の俺だと思うなよ。たまにはこういう時もある」

 少し不満そうに返事をする彼に、私は笑みをこぼす。うんうん、そうだね。

 あの日以来、私と彼は再び一緒に登校していた。彼は一度たりとも遅れることなく毎朝待ち合わせの時間にやって来た。

「舞ちゃんは?」

「『先に行ってて』だと」

「そっか。お兄ちゃんよりもしっかりしてるから先に行っても大丈夫そうだね」

「う……なんか引っ掛かるなぁ」

 私たちの仲も、元に戻ることができた。一緒にいなかった時間なんて、まるで無かったくらいに。

 本当に本当に、いつも通りだ。


 *


 きっと泣いてしまうのだろうと思っていた卒業式は、それほど私の涙腺を揺るがすことはなく、すんなりと終わってしまった。

 担任の先生の最後の言葉に、教室は感動にあふれかえっていた。鼻をすする音が延々に聞こえる中、私は最後まで笑顔でいた。なんだか、その方が私らしいと思ったから。

 引っ越しすることは、蛍にしか伝えていなかった。きっとみんな驚くのかな。もしかしたら、なんとも思わないかもしれないけれど。それならそれでいいと思った。

 小学生の時期なんて、人生のほんの一部なのだから。

 最初で最後のホームルームが終わって、集合写真を撮る。そして、みんなで別れを惜しんだ。卒業アルバムに色んな人が一言書いてくれて、私もたくさん書いて回った。

 蛍には、最後に書いてもらおう。

 

 *


「終わっちゃったね」

「そうだな」

 小学校から家まで、最初で最後の彼との帰路。思い出がたくさん詰まった道を並んで歩く。

 六年間、少しだけ会わない時間もあったけれど、ずっとずっと通った道。

「こうして蛍と一緒に学校に行くことも、もうないんだね。なんだか不思議だなぁ」

「そうだな」

 帰り道の会話もいつも通り。最後でも、特別変わったことは話さない。

「明日には、もうここにいないんだもんね、私」

 苦笑交じりで、そんなことを言う。

「……」

 彼は、返事をしなかった。

「どうしたの、黙っちゃって」

「……」

「蛍?」

 横顔から見える表情は、少し硬かった。

「なあ、桜」

「なあに」

「一つだけ、叶わないわがまま言ってもいいか?」

「叶わないわがまま? なにそれ」

 ふふっ、と私は笑ってしまう。なんだかちょっぴりおかしい。

「いいよ。言ってみて」

 促すと、彼は少しだけ早歩きして、私に向かい合った。

「これからもずっと一緒だと思ってた。だから引っ越して欲しくない。頼むから、いなくならないでくれ」

 彼は私に面と向かって叫んだ。力の限り、大声で。

「でも、無理だってわかってる。だから、俺、頑張るから。だから、心配せずに行ってくれ」

「……」

 ねえ、蛍。ずるいよ。

 そんなこと言われたら、行きたくなくなっちゃうじゃない。

 涙、止まらないよ。

「泣かないって我慢してたのに……バカ」

「……すまん」

「あっ、蛍」

 あることに気づいて、私は彼に駆け寄る。いきなり過ぎて、彼はたじろぎながら、

「な、なんだ?」

 と少しだけ焦った顔を見せた。

「身長、伸びた?」

 向かい合う彼の目線は、若干下を向いていた。

「あはは、超えられちゃったね」

 私は、泣きながら、なんだか嬉しくって笑った。ずっと私より小さくて、泣き虫だったあの蛍が、ついに私を追い越した。それは少しの寂しさと、大きな喜びを伴っていた。

「あ、そうだ」

 思い出したように、私の卒業アルバムを手渡す。

「なんだ?」

「一言、書いてよ」

 私は涙を溜めた目を擦って、笑顔でそう言った。


 *


「桜、もうそろそろ出るわよ」

「はーい」

「蛍くんと舞ちゃん、見送りに来てくれてるわよ」

「あ、そうなんだ。ありがとう」

 母の声掛けで、私は大きく伸びをして、深呼吸する。

 何もなくなった我が家を見渡す。今まであったものが全部無くなると、一気に生活感なんてなくなっちゃう。

 ついに、ここともお別れだ。

「ばいばい」

 私はこの家に、小さく呟いた。


 家のドアを開けると、突然誰かに抱きつかれる。

「……」

「あ、舞ちゃん」

「……さくらちゃん」

 顔をあげた舞ちゃんは、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになっていた。そんな顔でも、彼女は本当に可愛い。

「いっちゃうの?」

「うん」

「そっか……次あうときは、私、もっとお姉さんになってるね!」

 彼女はニコッと微笑みかけてきて、私から離れた。本当に、舞ちゃんは良い子だ。

 舞ちゃんが駆けて行ったその先には、蛍がいた。

「……」

 複雑そうな顔をして、こちらを見ていた。

「蛍」

「……元気でな」

 顔の高さくらいまで手を挙げた。そんな蛍の姿を見た時、私の中で彼と過ごしてきたこれまでのことが一気に走馬灯のように流れた。小さい頃から今まで。昔の彼が今したこの仕草が全て重なった。

「うん。蛍の方こそ。というか、最後くらい笑って見送れないの?」

「う……すまん」

 私は泣かなかった。もちろん、ジーンとはしていたけれど。

 今日は笑顔でお別れをしたかったから。

 言葉少なで、私たちは最後の挨拶を終えた。両親が待つ車に乗る前に、二人に手を振る。

 激しく大きく手を振る舞ちゃんとは対照的に、優しく手を振る蛍。私は車のドアを開けて、後部座席に座る。ゆっくりと、車は前へと発進していった。お互いが見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。

 「……ふう」

 私は落ち着いて、前方に顔を向き直す。私の席の横には、昨日受け取った卒業アルバムが置いてある。

 卒業アルバムの最後のページを開く。彼の少し雑な文字で、こう書かれていた。


『また会おう』


 うん、そうだ。また会える。


 絶対に私たちは――。


 End.

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