第32話 魔王軍の宰相がウチに来たけど、イヤな予感しかしない
『ヴァルプルギス』が総帥を引き取りに来るまでその身を確保することになった俺は、かといって家を空けるわけにもいかず、なんだかんだで退屈な日々を過ごしていた。
「はぁ……なんで俺がこんなチュウチュウうるさい男と一つ屋根の下で暮らさなきゃいけないんだ。早く来てくれ、リリカ……」
契約している商店が定期的に薬品を取りに来る以外これといった仕事もないし、薬品の精製自体は錬金窯と魔法陣のフルオートでできるから、その受け渡しも普段はシルキィにお願いしているくらいだし。
「あああ……次のデートまで日がないっていうのに、こんなんでいいのか?」
結局あれから、目を覚ましたアーニャさんにお礼を言って【転移】で自宅までお送りしたこと以外、これといった進展も無かった。
俺は気になる人が自分の家にいるということにそわそわとしてしまって、アーニャさんもアーニャさんで急な事態に気が動転してしまっているようだったし、一旦自宅に戻って落ち着いてもらおうと思ったのだけど。今になって思えば、あれは告白するチャンスだったと思う。
だって、危険を顧みずに助けに来てくれたんだぞ?絶対脈ありだろ。
「待て待て!早まるな俺。そうやって希望的観測に流されやすいのは人間の悪い癖だぞ!ここはメンタルに保険をかけて――」
(…………)
とは言いつつも、やっぱり意識はしてしまう。
具体的に言うとつい顔が緩む。
目が覚めたアーニャさんにお礼を言って『できる限りのお礼はなんでもする』とお約束をして、ふたりの体調が戻ってから次のデートをしようということで連絡先まで交換してしまった。
魔術師専用通信連絡パス。
一部の魔族が有するテレパシーの仕組みを人間用に
(それを『はい、もちろんです!私のもよければ』なんて、あっさり交換してくれた……)
しかも、急いで来てくれたせいかアーニャさんはいつもより化粧が薄くてほぼすっぴんみたいなもので、それがめちゃくちゃ……
「可愛かったなぁ……」
多分、アーニャさんはお化粧とか苦手なんだと思う。本人の前でそうとは言えなかったけど、すっぴんの方が十倍くらい可愛い。大きな目がくりっとしてて、髪がゆるっと広がってて、それを恥ずかしそうにもじもじと弄る姿が愛らしかった。目を伏せると前髪で隠れがちな睫毛の長さも際立っていたし。それに何より『連絡、お待ちしてますね』って……
「えへへ……」
再び顔がにやける。その人のことを思い出すだけでこんなに嬉しい気持ちになるのだから、俺はきっとアーニャさんが好きなんだと思う。
今までアーニャさんは『結婚するならこの人』的な、一緒に生活する際の条件が非常に良い存在だった。けど、こうやって何度も会って話をしていくうちに俺はアーニャさん自身を魅力的に感じるようになっていた。使い魔に理解があるとか、話が合うとかそういうのではなくて。なんかこう、一緒にいるとほっとするというか。
(でも、マヤに会うときみたいな『ドキドキ』は、あんまり無いんだよな……)
これはこれで胃にストレスがかからなくて良いのだけれど、果たしてこれを恋と呼んでいいのだろうか。
(恋しているかもわからないのに『好き』だと断定できるのか?そもそも何を根拠に『好き』なんだ?)
「…………」
(そりゃあアーニャさんのことは好きだけど、これは多分『恋』じゃない。そういうのすっ飛ばして漠然と『好き』。でも、それって――)
なんか、誠意に欠けるのではないか?
考えているうちに頭の中がもやもやとしてくる。こういう、物事を理屈で考えてしまうのは魔術師の悪い癖だ。好きなら『好き!』って言えばいいと頭ではわかっているのだけれど、根拠が無いと落ち着かなくて、不誠実に感じてしまう。
「あああ……こんな土壇場で、俺は何を迷って……!」
アーニャさんと話していると楽しい。もっと一緒にいたいと思う。けど、そこに根拠は無くて。そんな、理由もなく『一緒にいたいから付き合って』なんて、女性からしたらどうなんだ!?失礼すぎやしないか!?
「うう……!アーニャさんには嫌われたくない……!」
今まで散々人と距離を置いてきたくせに、いざとなったら恋しくなる。しかも好きな人限定で。我ながら、なんと我儘で女々しい男なんだろうか。
「わからない……『好き』って、何?」
もはや俺には、そんな哲学的な問答ばかりが頭に浮かぶようになっていた。
そんな中、突如として来客を告げるベルが鳴る。
リィン、ゴーン♪
「……薬品の定期納品は来週だけど?シルキィ集荷頼んだ?」
「頼んでませんわよ?ちょっと見てきますわね。はぁ~い、今行きますわ~!」
ぱたぱたと出て行くシルキィはしばらくすると面妖な表情を浮かべながら帰ってきた。胸元でメイド服のエプロンを心許なそうに握り、そわそわチラチラ、視線が玄関と俺を行き来している。
「なにかあった?てゆーか、誰だったの?」
「……マスタァにお会いしたいというお客様ですわ?『魔王軍の宰相』を名乗る方で、まるで『何も映っていない鏡』ような、奇妙な方……」
俺はその、不安に揺らぐシルキィの肩をそっと抱き寄せる。
「大丈夫?怖いことされてない?なんなら杖に引っ込んでていいぞ?あとは俺が対応するから」
「いいえ、怖いことなんかされてませんわ?シルキィはただ、挨拶を交わしただけですので。こう言ってはお客様に失礼ですけれど、なんだか気味の悪いお方としか……」
「所属は聞いた?魔王軍の宰相だなんてとんでもない肩書きだけど……その魔王軍、西?東?それとも北?」
「あの、すみません。そこまでは……」
「いいよ。急に魔王軍の関係者が来たんだ、びっくりしたよな?」
なだめるように頭を撫で、俺はシルキィをリビングに下げさせた。
(さて、どうするか……)
この大陸では中央の聖女教会本部を中心に、東西南北を任された聖女が各エリアを統治している。それに対抗するように魔王軍も東西南北に各魔王を擁立して魔界を統治しているらしいのだが、俺にとっては少々込み入った事情があった。
西ならブラッディと懇意にしている閣下のこともある。要件が何であれ友好的な態度で出るべきだろう。
北であれば俺の地元だ。事情は理解している。
この地に住んでいる人間の皆様には内緒だが、北の魔王と聖女はどうやら繋がりがあるらしい。定期的に示し合わせたかのように小競り合いを起こすことで各々の種族の不満を発散させ、文化の交流、経済の活性化を図り、均衡を保っていると聞いている。なので、むやみに介入するなと北の賢者からは言われていた。だとすれば要件はその調整と、情報収集だろうか?
ちなみに東は……
間違いなく、勇者絡みだろう。おそらく復讐的な。
(それはちょっと面倒くさいな……)
最強魔術師ともなればそれなりに魔王軍も無視できない存在となるのだろうか。或いは、有事の際に『人間側』に付かないようにと釘を刺しに来た可能性もある。実際俺はそのせいで東の魔王討伐を断念してパーティを抜けたわけだし。
(いずれにせよ、出るしかないか……)
俺は玄関扉に防御結界を張ると『魔王軍の宰相』の前に姿をあらわした。
だが、少し離れた庭先に佇んでいたのはとても”そう”とは思えない、ただの人間の少年だった。十七歳くらいの、黒い髪に白い肌をしたローブっぽい宰相服に身を包んだ少年。シルキィが言っていたような、不思議な気配を纏った――
「君が……魔王軍の宰相?」
思わず問いかけると、少年は口元にゆるりとした笑みを浮かべる。
「はい。ご機嫌麗しゅう、
「待て。西の魔王は女だったはずだ。ベルフェゴールは彼女の息子だろう?それがどうして――そもそもお前は人間なのに、どうして魔王軍の宰相なんか……」
その問いに、再びにやりと笑うキサラギ宰相。見た目こそ少年だが、得体の知れない何かを隠しているらしい。こっそりステータスを確認しようとしたが、何故か視界が揺らいでその情報を覆い隠していた。こいつが本当に人間だというのなら、おそらくは勇者と同じ『異界』から来た転移者、
「全く、ハルさんも人が悪いですね。北の聖女も。大切なご友人に『西の聖女領が魔王の統治下に入った』と知らせない――むしろ、隠すように情報を操作していたなんて。心配をかけないようにしたのか、それともメンツが立たなかったのかは存じませんが……」
「は?」
(こいつ今、なんて?西の
それを何故、俺が知らない。
情報を操作?だが、それも限度があるだろう。
まさか、『アーク』の施設で術を放ち過ぎたせいで時間が跳躍したのか?
奴らの記憶を抹消しようと仕掛けた次元記憶改ざんの術式が誤爆した?
それとも『アーク』の施設にあった実験物の影響?
いずれにせよ、知らないうちに日数が経過して――
わけがわからないまま呆然とする俺に、宰相は淡々と続ける。
「僕は今でこそ魔王軍の宰相ですが、元々は西の聖女様にお仕えしていた宰相でした。わけあって姿を公にすることはできませんが、最強と名高い魔術師様のお力を借りたく――」
その言葉に、俺は毅然とした態度で向き直った。
「俺に何の用だ?今の西の魔王がベルフェゴールだっていうなら、あいつは確か勇者が滅ぼした東の魔王の息子でもあったよな?まさかとは思うが、勇者を滅ぼす助力でも乞いに来たのか?俺が元勇者パーティだったと知っていて?」
だが、敵意を露わにする俺に対し、少年はさも可笑しそうに吹きだした。
「勇者を滅ぼすだなんて、まさか!僕はその勇者、ハルさんの助言であなたの元に来たのですよ。元勇者パーティ最強魔術師――『銀杖の悪魔』のジェラス様?」
「ハルに、言われて……?」
『どういうことだ?』と訝しげな俺に、宰相は妖しげな笑みを浮かべる。
その態度は気に食わないが、こいつにはどうやら裏がありそうだ。加えて『アーク』で何かしらの時間的事故を食らったらしい俺の手元にある情報は古い可能性が高かった。こいつという存在に対して圧倒的情報弱者である俺は、下手に刺激するわけにもいかない。
そんなことより今は、時間跳躍の影響でアーニャさんの私生活に支障が無いかという方が心配――
らしくもなくそわそわとする俺に追い打ちをかけるように、宰相は口を開いた。
「わけあってハルさんと我々西の魔王(+聖女)軍は、『ある神』と事を構えようとしています。ハルさんのお友達のよしみです。どうかそのお力を貸してはいただけませんか?」
俺は、一瞬の間に幾つもの思考を繰り返す。
簡潔に考えれば、こうだ。
なにやら西には今、重要な事情があって神と戦うための戦力を必要としているらしい。そして、何故かその戦力には既にハルが含まれている。西と東の地上組が連合軍なんて考えたこともなかったけれど、こいつは『ハルに俺の話を聞いて来た』と言っていたし、実際住所も知っているのがその証拠。だが――
「どう考えても、うさんくさ……」
思わず言葉を零すと、宰相は『ここぞ』とばかりにある提案を繰り出す。
「ジェラス様が勇者のハルさんや聖女のマヤ様と親しい間柄であることは承知しています。もし少しでもご協力いただけるというのであれば、一度我が魔王軍にお越しいただけませんか?もちろん丁重におもてなしさせて頂きますし、その際は『誠意の証』として、ハルさんとマヤ様にもご同席いただきましょう」
「な――」
思わず目を見開く俺に、宰相は不敵に笑ってみせた。
「最近おふたりには会えていないそうではないですか?久しぶりに積もる話もあるのでは?マヤ様が仰っていましたよ?『寂しいね』って……」
「……っ!」
それはまるで、人質でも取られた気分だった。
実際にこいつとハル達が共闘するような関係であるとわかっていれば、同じ場所に招くくらいは造作もないことなのだろうと納得はできる。だが、事情を理解しきれていない俺にとってはこう言われてしまうとぐぅの音も出ない。
俺はしぶしぶ首を縦に振った。
「わかったよ……ふたりがいるなら話を聞こう。だが、俺にも事情があるんでな。協力するとは言い切れない。今回はあくまで友人としてハルとマヤの為に行く。それでいいか?」
「はい。もちろんでございます。それでは後日、魔王城にてお待ちしておりますね」
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