第34話 遭遇


 鬱蒼とした森の中を、馬を操って進んでいきます。鬱蒼としすぎて、やはり森の中に日の光は届いてきません。昼間だと言うのに、なんですか、この暗さは。


「オリアナ。み、道は大丈夫なんですか?」


 道という道は、ありません。先導するオリアナが、何を頼りにして進んでいるのか分からない私は、不安になって尋ねました。

 だって、行き先は暗闇なんですもん。どんどん暗闇に、迷いなく進んでいくオリアナは、まるで私をあの世に誘う死神のように見えてしまって、怖いです。


「ご安心ください」


 オリアナが、そう言って見せてくれたのは、ランプでした。一見、辺りを照らしているだけの、普通のランプです。しかし、炎の揺らぎ方が、おかしい事に気づきました。炎は、風もないのに、一定の方向に常に揺らいでいます。


「魔法の、方位計です。常に北の方角を指しているので、迷う事はありません」

「なるほど……」


 これなら、迷う事はありませんね。でも、そういう物があるなら、もっと早く教えてください。それなら、びくびくしながらオリアナについていく必要は、なかったじゃないですか。

 オリアナは、そんな私に気に気づくことなく、炎の揺らぐ方向を頼りに、再び出発します。炎は右の方を向いているので、どうやら西に向かっているみたいですね。


「ふんふーん、ふふーん」

「……」


 それにしても、後ろに乗っているレストさんが、相変わらずべたべたとくっついています。しかも、鼻歌まで歌って、楽しそうです。

 この人、私の事知ってますよね。聞いてましたよね。人の気も知らないで、呑気すぎやしませんか。


「……姫様。少し、お静かに」


 しばらく進んでいくと、オリアナが小さな声で、呟くようにそう指示をしてきました。


「いや、五月蠅いのは私じゃなくて、レストさ──」


 鼻歌を歌っていたレストさんではなく、私に注意してくるオリアナに、文句を言おうとしましが、後ろから口を塞がれて、私は無理やり黙らされました。そうしてきたのは、後ろにいるレストさんです。

 そういえば、レストさんの鼻歌は、オリアナが言ってくるちょっと前から、聞こえてませんでしたね。

 なんて考えていると、私は目の前に現れた物に驚愕します。


「っ……!」


 目の前に現れたのは、木々のように高く大きい、ハエのような生き物でした。ハエと言っても、全然ハエではないですけどね。体はだぶだぶに太り、背中に生えている羽根は小さくて、それじゃ飛べそうにありません。申し訳程度に生えている手足は、羽根同様に小さく、バランスが悪いです。その手じゃ、お腹を掻く事くらいにしか使えませんし、足は歩くことには使えないでしょう。代わりに、頭の部分は、大きいです。口は裂かれているのかというぐらい大きく、巨大な牙が見えています。涎がだらだらと垂れていて、異臭が漂ってきました。目は赤く、鏡のように周囲の景色を映しこんでいます。

 そんな生き物が、お腹を上にして、倒木を枕にして寝転がっていました。健やかな寝息が聞こえてくる事から、どうやら眠っているみたいです。

 それにしても、初めてみる生き物です。恐らくは、魔物なんでしょうけど、いかにも凶悪そうな生き物に、私は驚愕しました。指示されて、口を塞がれてなければ、思いきり叫ぶ所でしたよ。


「オラグラル。見ての通り、魔物です。普段はおとなしいのですが、機嫌を損ねたら見境なく暴れだす、困った魔物です。特に、寝ているのを起こされるのを、嫌います」


 レストさんが、私に耳打ちをして、教えてくれました。

 寝てるのを起こされるとキレるとか、ツェリーナ姉様ですか。ろくな魔物じゃないですよ。


「幸いというか、運悪くといいますか、熟睡しているようです。このまま静かに通り過ぎて、先へ進みましょう。絶対に、音をたてちゃダメですよ。絶対ですからね」


 しつこく言ってくるレストさんに、私は頷いて応えます。それを確認し、ようやく口からレストさんの手が離されました。ちょっと苦しかったですけど、おかげで大きな声を出さずに済みました。

 私たちは、慎重に、オラグラルとかいう魔物から、距離を取りつつ先へと進みます。馬の足音に反応しないくらいですから、それなりに音を立てても平気そうですね。でも、油断はできません。


「ふぇ……」


 それにしても、不思議な物ですよね。絶対に音をたてるな、と言われた時から、無性にくしゃみがしたくなっていて、ついに出てしまいそうになります。


「へ、へー……ふぇー……」

「だ、ダメですよ、グレちゃん。さっきのは、振りじゃなくて、本当です。静かに、我慢ですっ」


 後ろのレストさんが、私の異変に気付きました。振りがどうのとかはよく分かりませんが、そんな事言われたって、自然現象ですもん。口を塞がれたって、止められませんよ。

 と、思ったけど、止まりました。急に収まって、くしゃみは飛んで行ってしまいました。レストさんと2人で、それに安堵します。


「へくちっ」


 しかし、別の方から可愛らしいくしゃみが聞こえてきました。そのくしゃみの主は、先導して馬に乗っている、オリアナです。異様に可愛らしいくしゃみなんですよね、この無表情メイドは。あざとく感じますが、素です。昔からずっとこうですから、私が保証します。


「……」


 しかし、出てしまった物は、出てしまいました。

 私たちは、恐る恐る、オラグラルの方へと振り返ります。ですが、オリアナのくしゃみがあまりに小さかったおかげか、変わらず眠っています。


「へっくしょい!」


 それに安堵した瞬間でした。油断したせいか、盛大なくしゃみが私の口から洩れました。私のくしゃみは、オリアナのくしゃみより数倍大きいです。いつも、オリアナにはおじさん臭いくしゃみだとバカにされて来ましたからね。

 そんな大きなくしゃみです。当然のように、オラグラルがいびきを止めて、私の方を見てきて、目が合いました。


「オギャアアアァァァ!」


 そして、オラグラルが咆哮をあげます。赤子のような鳴き声ですが、大きく威嚇するような鳴き声です。


「何をしているのですか、姫様……」

「ご、ごめんなさいー!」

「グレアちゃん、いいから、逃げて、逃げてください!」


 オラグラルが、怒り心頭といった様子で、こちらへ突進してきます。どうやって、かって?小さな腕で、地面を這うようにして、迫ってきます。その腕は、一本ではありません。体の中から生えてきた、無数の腕を使っています。


「気持ち悪っ!」


 その動きと、生えてきた腕があまりにも気持ち悪くて、私は思わずそう叫んでいました。

 レストさんに、言われるまでもありません。私は、オリアナについて馬を走らせて、逃げ出しました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る