第5話

 

 

 

頭の中が真っ白になり身体は痺れたようになって俺は動けなかった。


転ぶまいと俺に抱きついた中島も同じ様にショックを受けて身体がガチガチに強張っている。


抱きついている中島がスローモーションのようにぎこちなく唇を離す。



「…………」


「…………」




中島は俺の目を見ることなくうつむいている。


まるで三流の少女漫画のような出来事が信じられなかった。


突然襲った不幸な事故に中島の顔は青ざめて動揺の色が隠せない。


男同士のキスなんて相当ショックを受けている事だろう。


俺だって生徒とキスなんてショックで動揺して声が出ない。


教師として生徒をどうフォローするべきか急いで考えるがうまくまとまらない。



どう言葉をかけたらいいんだ……



「すみ…ません…、先生。」



先に謝ったのは中島。


俺に目を合わさない様に俯いて更に横を向いている。


そうだよな。…こんなの気持ち悪いよな。



「中島……これは事故だから気にするな。」



こんな気休めみたいなこと言っても さっきのことが帳消しになるわけないが言わずにはいれなかった。



「…っ……本当にすみませんでした!」



中島は頭を下げるとその場から逃げるようにみんなのいる美術室に走って行ってしまった。


俺は足元に落ちている中島を転ばせた犯人を拾い上げた。



「お前のせいで困ったことになったぞ。」



シワだらけの紙を手で伸ばして見本の一番上に乗せて棚にしまう。



「あー、参ったな。これから美術室に戻らないといけないのに……気まずい…どうしたらいいかな。」



誰もいない準備室で頭を掻きながら独り言を言っていると、背後から中島の爽やかな香りがする。


まさかと思って後ろを振り向くと、さっき出て行ったはずの中島が戸口に立っていた。



「先生、すみません…」



俺の心臓は跳ねあがった。



「どう…したんだ。」


「あの俺、質問が…」



さっきの青ざめた表情から一転、中島は耳まで赤くなっている。


どうして赤くなっているんだ?


……まさか!あれが中島のファーストキス?!


中島は凄くモテる男だぞ。そんな事有り得ないだろ。


だけどあれがファーストキスだとしたら……


急に心臓が大きな音を立てて鳴りだした。



「あ…ああそうか、質問で来たんだったな。」


「はい、この絵のここなんですが……ここのグラデーションはどうやって描けばいいですか?」



中島が選んだのはドガの『踊り子(エトワール)』だった。



「あっ!ごめん!これはパステル画だ。油絵以外は外したはずなのに……悪い、新しく選びなおしてくれないか。」



俺は自分の心臓の音が聞こえない様に少し大きな声で中島に話した。


中島のコロン(?)の香りであの柔らかな唇の感触がプレイバックする。


柔らかな唇の感触、毅以外の男とキスしたのは中島が初めてだった。


ドキンドキンとうるさく鳴りやまない。


変なこと思い出すな!仕事に集中しろ!


棚にしまったばかりの見本を手渡すと香りが届かない場所に離れる。



「……描きたい見本が残っていません。この絵を油絵で描くのは本当に無理ですか?」


「う、う――ん。この絵はさっきも言った通りパステルだからここのこういったボカシやグラデーションを油絵にするのは難しいぞ。」


「それでも描けないわけじゃないですよね?」


「……そうだな……グラデーションの所は時間をくれ。来週までに考えておくから。描ける所からどんどん進めてくれ。」


「はい。」



中島が消えた後、準備室で数回深呼吸して気を引き締めてから美術室に向かった。






今回の授業では下描きを終わらせた生徒は一人もいなかった。


しかし、早い生徒だと次回の授業後半から油絵具を使って描き始めるだろう。


それまでに中島の『踊り子』の塗り方を考えなくてはならない。


水彩画やパステル画とは違い、油絵は綺麗なグラデーションがどうしても出せない。


絵具が濃い分、くっきりと色の境目がでてしまう。


それはそれでいい味を出すのだが、模写という課題の手前、どんなに良い絵でも良い点数はあげられない。


『踊り子』の描き方について色々と考え、試行錯誤するが中々いいアイディアが思いつくことはなかった。






 

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