第八十話 『魔女』(前半)
黒い煙が寄り集まり、一つの存在として実体化していく。
いや、これを一つと表現するのはいささか以上に語弊があるだろうか。
雲が実体化し、まず現れたのは無数の女性であった。
それ等一人一人の名前を全て把握している者などプロフェータ以外に知る由もないがこれらは歴代の
その果てに顕現したのは、雲まで届くような黒い巨人だった。
頭部や胸部、腹部、腕や足に至るまであらゆる箇所から歴代の
背中からは触手が生え、その触手の先にもまるで轆轤首のように女の顔が生えていた。
女達は例外なく白目と黒目が反転して全身が黒く染まり、血の涙を流し続けている。
その中にはつい先日に仕留めたはずのアレクシアの顔も確認出来た。
「……久しぶりね、お母様」
アルフレアが冷や汗を流しながら、巨人の胸の部分に浮き出ている最も巨大な顔へ語り掛けた。
巨人の胸に巨大なできもののように浮かび上がっているのは女の顔で、この顔だけで城一つ分はあるだろう。
鋭い眼をした、冷たい印象を抱かせる美女だ。
この顔こそ初代魔女であるイヴの顔だという事を、娘であるアルフレアと当時を知るプロフェータの一人と一匹だけが知っていた。
「あれはイヴじゃない。イヴの残滓だ」
「そうね……」
久しぶりの母娘の再会だが、母の魂はここにはない。
あれは、歴代魔女の負の感情のみを集めた集合体だ。
しかし魔女というのは本人の意思を塗り潰して、負の感情に支配されて動かされた姿であり、ならばこれこそが歴代の魔女そのものと言っても過言ではないだろう。
『憎い』
『妬ましい』
『恨めしい』
『許せない』
あちこちから生えた魔女の顔が、一斉に世界への恨み言を口にした。
それは魔女自身の言葉だけではない。
何故ならこれは負の感情の集合体。故に空気中に溶け込んだ世界中の人々の、ありとあらゆる暗黒面を内包している。
『ハンスさえいなければ俺が次期隊長に選ばれていたのに。
ああ……あいつがいなければ……事故でも自殺でも何でもいいから死んでくれ……』
魔女の顔の一つが、男の声で何かを話した。
それだけでは一体何の事か分からないが、しかしこれに一人の兵士が反応して顔を青褪めさせる。
「お、俺の……声……?」
「……バリーお前、俺の事をそんなふうに……」
「ち、違う! 誤解だ!」
どうやら今の声は、バリーと呼ばれた兵士の内なる声だったらしい。
隣のハンスと呼ばれた兵士は友にそのように思われていた事にショックを隠せないようだ。
だが今度は、魔女の顔がハンスの声で話す。
『バリーの野郎……俺より全てにおいて劣っているくせに同格みたいな面しやがって。
ウロチョロつきまとってきて鬱陶しいんだよ』
その声を聞いたバリーは衝動的にハンスに掴みかかり、ハンスもまた怒りの形相を浮かべた。
「てめえこの野郎!」
「何だ! やるか!?」
「やめろ、何をしている! 同士討ちしている場合か!」
敵を前にして兵士同士での仲間割れなど話にならない。
他の兵士がすぐに間に割って入って仲裁するも、魔女の口からはまた別の呪詛が吐き出される。
『リリの奴、いい女だよな。リックには勿体ねえ、何とか弱みを握ってモノに出来ねえかな。
一発ヤっちまえばこっちのもんよ』
『レイラさんさえいなければお父様が筆頭騎士だったのに』
『ベルネルが私に振り向いてくれないのはエルリーゼ様のせい……』
『ベルネルさえいなければエルリーゼ様が死ぬ事はなかった』
『初代聖女なんだから、もっと皆私を褒めてよ! チヤホヤしてよ!』
『水晶の中で眠るエルリーゼ様を見た時……フフ……下品なんですがその、勃起……してしまいましてね』
『エルリーゼ様のいなくなったこの世界とか滅んでもいいんじゃないか?』
次々と魔女の口から、様々な人間の心の声が吐き出される。
これを前に兵士達は、ある者は目を背け、またある者は耳を塞ぎたい衝動に襲われる。
これは、普段見ないようにしている自分自身の醜い心そのものだ。
見ないで済むならば見たくない。聞かずに済むならば聞きたくない。
そんな、忌避すべきものがこの『魔女』だ。
「アルフレア!」
「分かってる! 全く……趣味が悪いのよ、この化け物!」
これ以上は味方の士気が保てない。
そう判断したプロフェータの声に応え、アルフレアがありったけの魔力を凝縮させた魔力弾を撃ち込んだ。
聖女と魔女のみに使用が許された闇属性の魔力弾は、光さえも通さない空間の塊だ。
炸裂した『魔女』の胴体を中心にして空間諸共崩壊させていく。
そして『魔女』の胴体に空洞が空き――すぐに、元に戻ってしまった。
「うげ、全然効いてない……私の全力だったのに」
アルフレアはげんなりしながら、白い花……エルリーゼが髪飾りにもしていたアンジェロを取り出し、魔力を回復させる。
とりあえず相手の力を図る為に出し惜しみ無しの全力で攻撃をしたが効果はなし。
アルフレアの全力で効果がないというならば、もうアレに通じる攻撃はないという事になってしまう。
『どうして私だけがこんな目に』
『皆苦しめばいい』
『こんなに私が苦しいのに世界が救われるなんて許せない』
『全部壊れてしまえ』
『魔女』が怨嗟の声を吐きながら、アルフレア達を無視して移動を開始した。
その巨体で歩くだけで何人かの兵士が蹴り飛ばされ、少しでも前進を阻もうと最前線で盾を構えていた男達が纏めて吹き飛んだ。
「町に向かわせるな! かかれ、かかれい!」
アイズ国王が兵士達に指示を出し、巨人に矢と魔法が次々と打ち込まれる。
だが全く通じない。
全てが空しくすり抜けるだけだ。
町を目指して歩く魔女の背中からアレクシアの顔が生え、アイズを睨んだ。
『裏切り者。私はあんなに頑張ったのに、お前はそれを踏みにじった。
許せない、許せない……』
「……ア、アレクシア」
アイズも罪悪感がなかったわけではないのだろう。
アレクシアの顔から吐き出された怨嗟の声に、目に見えて怯んでしまった。
その彼に向けて、黒い炎が吐き出される。
アイズのすぐ近くに炸裂したそれは、爆風だけでアイズを吹き飛ばしてしまう。
派手に吹き飛んだアイズは建物に衝突し、小さく呻き声をあげた。
「こら、待ちなさい! 何処に行く気よ!?」
「……不味いねこれは」
「見りゃ分かるわよ! このままじゃ町が滅茶苦茶にされるわ!」
「そうじゃない。それもあるが……あいつ、教会に向かってるよ。
知能なんかなさそうなのに、分かってるんだ……何が自分にとって脅威になり得るのかを」
プロフェータはノソノソと歩きながら、『魔女』が何を目指しているのかを話す。
彼女なりに一生懸命後を追おうとしているのだろうが、悲しいかな亀は亀だ。
スッポンのように陸上でも驚くべきスピードで走る亀の仲間も存在するが、残念ながらプロフェータは普通に鈍足であった。
「あれは負の感情の集合体だ。
となれば一番嫌うのは正の感情……つまり希望だろう。
今この時代で希望の象徴と言えば一人しかいない」
「……私?」
間抜けな事を言いながらアルフレアが自分を指さす。
プロフェータは無言で彼女を踏んだ。
「エルリーゼだ。死して尚、あの子は人々の心の拠り所になっている。
今も、民衆がどんどん教会に集まって祈りを捧げている。
ならば、それを皆の前で結晶ごと壊しちまえば……あっという間に負の感情で満ちて、奴はますます強化されるだろう」
エルリーゼは単純な戦闘能力という点でも『魔女』に対抗出来る唯一の存在だ。
しかしそれ以上に、エルリーゼの存在そのものが正義と希望、そして光の象徴であり、遺体であろうと残っている間は完全に人々は絶望しない。
だから脅威を排除して人々を絶望に染め、自らが強化されるという一石三鳥のこの選択肢を選ばない事のメリットがない。
「アルフレア様!」
「エテルナちゃん! 丁度いいところに!」
学園の方から馬に乗ったエテルナとベルネル、そして彼等の友人であるジョン達が駆け付けてきた。
この時代の真の聖女であるエテルナの参戦は、普通ならば大きな希望となる。
アルフレアと合わせて聖女が二人……歴史上でもこれほどの戦力はなかった。
しかし相手は千年間に渡る歴代の集大成だ。
聖女が魔女を倒せるまでに成長するのに十五年、その後魔女になるまでに更に五年と考えた場合は二十年に一人の魔女が誕生していた事になる。
ならばあの『魔女』が内包する魔女の数は約五十人分だ。
無論多少はズレもあるだろうが、大雑把に考えればそれだけの数が含まれていると見ていい。
ならばこれは聖女二人に対し、魔女五十人の戦いであり……どう考えても勝ち目はなかった。
これと戦える存在など、それこそ一人で歴代聖女全てを合わせたよりも勝ると言われたエルリーゼくらいしかいない。
「あいつ、教会に向かってるわ!
エルリーゼの遺体を壊すつもりらしいわ!」
「……っ!」
アルフレアの言葉に、ベルネルの怒りが一瞬で頂点に達した。
馬から跳躍してエルリーゼに与えられた剣を振りかぶり、力の限り振り下ろす。
だが刀身は『魔女』をすり抜けてしまい、逆に『魔女』の拳がベルネルを殴り飛ばす。
ベルネルの鍛え抜かれた身体が枯れ木のように吹き飛び、建物の屋根を突き破って見えなくなった。
「な、何それ! ズルよズル!
実体化してるのかしてないのかハッキリしなさいよ!
何でこっちの攻撃はすり抜けるくせにそっちからは触れるのよ!」
「落ち着けアルフレア! 攻撃の瞬間だけ実体化しているだけだ!」
ベルネルが真っ先にやられてしまったが、これで少しばかりの光明が見えた。
相手の攻撃のタイミングに合わせれば、こちらの攻撃は通る。
それが分かっただけでも意味があるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます