第五十七話 不出来な物真似(後半)

 一人の女子生徒がオクトに操られ、屋上へ続く隠し通路を歩いていた。

  エリザベト・イブリス。それがオクトが魔女代理として選んだ女子生徒の名であった。

 その外見はお世辞にも美しいと呼べるものではない。

 悪くはないが、良くもない。平凡という言葉がよく似合う。

 一重瞼の瞳。高くも低くもない鼻筋。

 顔も左右非対称で、歯並びも悪く黄ばんでいる。

 茶色の頭髪は腰まで伸ばし、エルリーゼが付けているものとよく似た(そしてよく見れば枯れかけている)自作の花飾りを付けている。


 彼女は、エルリーゼに憧れていた。

 そして同時に妬み、疎ましく思っていた。

 最初はただの羨望だった。

 貴族の家に生まれた彼女は十一歳の時に、舞踏会で見た聖女の姿に憧れた。

 自分もああなりたいと強く願った。

 だからエルリーゼを真似て同じような髪飾りを付け、まるで自分がエルリーゼになったかのように口調も真似た。髪の長さも同じにした。

 そう、最初はただの微笑ましいエルリーゼごっこ・・・だった。

 憧れたものの真似をする。形から入る……それは決しておかしな事ではない。

 だが成長するにつれて、元々は金髪だったはずの髪は茶色に変色し、鏡で見る自分の姿はどう見てもエルリーゼではなかった。

 それはそうだ。そもそも彼女はエルリーゼではない。

 他人と姿が違うのは至極当然の事で、何もおかしい事などないだろう。

 普通はここで現実を認識し、自分は自分だと折り合いをつけるべきなのかもしれない。

 だが彼女の中で、憧れは歪に姿を変えていた。

 最初は『自分もああなりたい』だった。

 次に『自分がああだったらよかったのに』と変わった。

 その想いは、少しでも憧れに近付こうと学園に来てから益々強まり、エルリーゼの姿を見るたびに彼女の心を蝕んでいた。

 いつしか彼女の中で憧れは『どうして自分がエルリーゼではないのだ』というものになり、自分を慰める為に『生まれが違えば自分がエルリーゼだったかもしれない』と、分けの分からない自己の持ち上げへと入った。

 生まれが違えば自分こそが聖女エルリーゼだったかもしれない。

 自分が、あの美しさを得ていたかもしれない。

 いや、得ていたはずだ。きっとそうだったはずなのだ。

 そうして彼女は自らの心を慰める為に現実から目を逸らして、妄想に逃げ込むようになった。

 自分がエルリーゼとして生を受けた世界を夢見て、聖女に向けられる喝采や情景、彼女が持つ栄光や名声が全て自分に向けられたものだと夢想して、幸せな空想に浸った。

 そうして暴走し続ける憧れは行き場を失い、遂には彼女の中で事実と妄想が反転した。

 

 私が本物のエルリーゼなのに、どうしてあいつが聖女として崇められているんだ。

 あいつは私の栄光を、私に向けられるはずの名声を横取りした! 何て汚い奴だ!

 私がオリジナルなんだ。あいつは私の真似をしただけだ!


 呆れる事に、いつしかエリザベトはそう考えるようになっていた。

 全くわけのわからない思考であった。まるで道理が通っていない。

 現実と己の生み出した妄想の区別すら出来なくなった彼女は、まるで自分が聖女であるかのように振舞い、脳内で自分の姿を都合よくエルリーゼに置き換えて、そして本物のエルリーゼがまるで偽物であるかのように陰口を叩いた。

 慈愛の微笑み(と本人は思っている……)で級友に接し、私が世界を守ってみせるなどと宣った。


 無論言うまでもない事だが、彼女以外から見ればただの不敬で滑稽な物真似でしかない。

 本人が慈愛の微笑みと思い込んでいる笑みは、実際には虚栄心と自己満足と自己陶酔に彩られた気持ちの悪いものであったし、無理にエルリーゼの真似をしている口調も似合っていなかった。

 そんな彼女と仲良くなりたいと思う者などいるはずがなく……そもそも此処は聖女に仕える騎士を育てる機関だ。その場所であろう事か聖女を侮辱して自分が本物であるかのように振舞う馬鹿女など、誰も近付きたくない。

 あっという間にエリザベトは孤立し、皆から煙たがられるだけの存在になり果ててしまった。

 そればかりか彼女の行いや発言は彼女の両親にも届き、両親は心底恥に思いながら学園に謝罪してエリザベトを退学にするよう申請した。

 これを学園も迷いなく受理し、今月にはエリザベトが退学する事が決まっている。

 父からエリザベトに届いた手紙には娘を心底恥ずかしく思うという文面と、罵声が並べ立てられ、エリザベトを更に捻じれさせた。


 ああ、どうして皆分かってくれないのだろう。

 私がエルリーゼなのに。私はこんなにも皆と世界を愛しているのに。

 そう思い、そして全てを憎んだ。

 愛してると言いながら憎んでいるが、矛盾はしていない。

 何故なら彼女は結局のところ、皆と世界を愛していると思い込んで自分に陶酔していたに過ぎないからだ。

 本当は愛してなどいないし、世界の事も全く考えていない。

 ただエルリーゼならそう思いそうだと思い込んで、演じているに過ぎない。


 ああ妬ましい、憎い。エルリーゼがいなければ私がエルリーゼだったのに。

 あいつがいなければ私があいつの栄光と名声を全て得ていたのに。

 そんな最早前提からして破綻しきっているわけの分からない思考で、エリザベトはエルリーゼを憎んだ。

 これも言うまでもない事だが、別にエルリーゼがいなくとも彼女には何の栄光も名声も転がり込んでこない。

 何故ならそもそも別人なのだから。彼女はエリザベト・イブリスであってエルリーゼではないのだから。


 現実と妄想の区別すら付かなくなった歪みに歪んだ思考。

 周囲からの評価。

 そしてどのみち学園から消える存在だという都合のいい立ち位置。

 そこにオクトが目を付けた。

 こいつだ。こいつなら、魔女役に仕立て上げても誰もおかしいとは思わない。

 いささか小物すぎる気もするが、そこはオクトが上手く仕立ててやればいい。

 重要なのは誰からも愛されていないという事。誰からも嫌われているという事だ。

 何よりいいのが、こいつが常日頃から聖女を悪く言っていたという一点だ。

 聖女に対し不敬な発言を繰り返した時点で、こいつは皆の中で消えて欲しい存在になっている。

 そして他の者達は思っただろう。『いっそこいつが魔女の配下か何かだったら今すぐ斬ってやれるのに』と。

 そうした思考は、すぐに『魔女の配下か魔女だったらよかったのに・・・・・・』から『魔女の配下か魔女であってくれ・・・・・』と変わる。

 人とは自分の望みが後押しされると、不思議と疑う気持ちが弱くなるものだ。

 本当は頭の何処かでおかしいと気付いていても、そうであって欲しいから思考を止める。

 そして生徒達は……いや、この学園の全員が思うだろう。

 『ああ、やっぱり』と。


 オクトの計画は大勢にそう思わせる事だ。

 人間というのは奇妙なもので、たとえ違和感を抱いていたりそれは違うと思っていても、多数派の意見で容易く『そうかもしれない』と考えを変えて流される。

 エルリーゼ自身はきっと聡いのだろう。

 こんな小物が魔女のはずがないと思うかもしれない。

 だが大多数の声で押し流してしまえばどうか。

 エルリーゼ以外の全員が『あいつは魔女だ』と言えばエルリーゼも無視は出来ない。

 そしてやがて、多数派の意見はエルリーゼの思考そのものを変える可能性がある。

 百人の愚者は一人の賢者を迷わせるのだ。

 だからオクトは、大勢の前で盛大に魔女の晴れ舞台を作るつもりだった。

 屋上でエリザベトを操って自分こそが魔女だとアピールし、闇の力を見せ付けてオクトの触手で囚われの哀れな生徒達を晒しものにする。

 何なら一人か二人くらい殺してしまってもいい。

 そうして目撃者全員の怒りと憎悪を掻き立てた上で、エルリーゼが駆け付ける前に逃げる。

 そうすれば、『魔女エリザベト討つべし』という多数の声が上がり、エルリーゼも動かざるを得なくなる。

 その第一歩として屋上へ上がり、魔力を放出する。

 まずはなるべく派手に暴れ、大勢の生徒に目撃されなくてはならない。

 その為の第一歩として、まずは運動場で修練している生徒目掛けて魔法を発射した。

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