第三十六話 免罪符(前半)

 学園長から話を聞く事を決めたベルネル達は早速、学園長室へと全員で乗り込んだ。

 通常、生徒が何の断りもなくいきなり学園長室に入るのは禁止されているし、学園長からの心証という点で見てもいい事はない。

 いくらいい成績を誇る生徒でも、礼儀がなっていないならば『こいつは聖女の側に置くには相応しくない』と騎士にしてもらえない可能性も十分ある。

 少なくとも、アポもなく招かれたわけでもないのにいきなり学園長室に入る生徒がいれば、その者の騎士への道は断たれたも同然だろう。

 これは決して大げさでも、厳しすぎる処分でもない。

 目上の者の部屋に許可もなく押し入る輩……そんなものを聖女の側に置いて、聖女の寝室に無断で忍び込むなどという真似をされては、それはもう騎士ではなくただの悪漢だ。

 故に普段ここに、許可なく入る者などいるわけがないしベルネル達もそんな事は承知している。

 だが今回に限り、ベルネル達はそれを一切気にする事なく突入した。


「お父様、聞きたい事があります!」


 ドアを開けると同時にアイナが声高らかに言い放つ。

 それに対する学園長――フォックスの反応は、意外にも落ち着き払ったものだった。

 まるでこの展開を最初から予想していたように無言で椅子に座ったまま、顔を上げてベルネル達を見る。


「ふむ、いいだろう。だがその前にドアを閉めたまえ」

「えっ? あ、はい……」


 勢い勇んで入ったというのに、あまりにもいつも通りな父の態度にアイナの勢いが萎えてしまった。

 言われた通りにドアを閉めると、フォックスは小さく溜息を吐いて口を開く。


「どうやら……今この学園にいる生徒の中で最も騎士に近いのは君達七人のようだな」


 そう言い、フォックスは小さく笑みを浮かべた。

 それは、いきなり押し入ってきた無粋な生徒に対する怒りではなく、むしろ認めるような反応だ。

 ベルネル達は予想外の反応にどうしていいか分からず、固まってしまっている。


「そう驚く事もあるまい。

確かに騎士を志すならば礼儀を持つ事は大事だ。

普段ならば、断りもなく押し入って来る輩など騎士に価せずと評した事だろう。

……聖女に対して同じ事をするようでは論外だからな。

だが、聖女の異常事態を前に、何もしないのは更に論外だ。

騎士が何の為にいるのかすら分からなくなる」


 話しながらフォックスは肘をテーブルに置き、手を顔の前で組み合わせる。

 そして、かつては筆頭騎士を務めていた鋭い眼光で七人を見た。


「それで……予想は出来るが一応聞こう。

君達は私に何を聞きに来たのかな」

「エルリーゼ様が何故戻って来ないのか……今、どういう状況なのか。

それを知る為に、俺達はここに来ました」


 フォックスの問いに、間髪を入れずにベルネルが答えた。

 その迷いのなさにフォックスは眩しい物を見るように目を細める。

 今の自分ではもう持ちえない、青いひたむきさだ。

 まだ未熟ではあるが……他の事を気にせずに聖女の事のみを考えられるのは騎士としては一つの素質でもあった。

 だからフォックスは試したくなった。

 この若い世代が、どういう答えを出すのかを。


「エルリーゼ様は無事だ。今は聖女の城におられる。

ただし……外出は禁じられているがな」

「それってつまり……」

「まあ、軟禁……いや、幽閉とも言うな。だがこれは各国の王が決めた事だ。

彼等は聖女エルリーゼを魔女にぶつけて失うより、残す方を選んだ」


 これはベルネル達も予想していた展開だ。

 そして、決して国王達の選択を『悪』だと断じる事は出来ない。

 何故ならこの場の全員、少なからずその方がいいのではないかという思いを抱いているからだ。

 前学園長ディアスから聖女の末路を聞いてからずっと……聖女が魔女になってしまうというのなら、戦わせずにエルリーゼを残して、魔女討伐は次代に任せればいいのではないかと……そんな、問題の先送りを考えてしまっていた。


「私はこの決定に反対意見を唱える事が出来なかった。

他の近衛騎士も同じだ。

エルリーゼ様を失う事を恐れ、裏切る事を選んだ……」


 そう語るフォックスの顔には、自らを嘲るような疲れた笑みが浮かんでいる。

 エルリーゼには城の中のみでの生活という不便を強いてしまう。

 だが王達は決して彼女を雑に扱うつもりはない。

 不便の中でも出来る限りの便宜を図り、支援をし、援助し、可能な限り快適な生活を送れるように尽力すると約束してくれた。

 ならその方がエルリーゼにとって幸せな事なのではないかと……彼はそう判断してしまったのだ。


「私にはどちらが正しいか分からなかった。

これは、本人の意思を無視して籠の中に閉じ込めるような行為だ。

だが……籠の中の鳥は保護される。大切にされる。

不自由ではあるが平和が約束される籠の中の鳥が不幸なのだろうか。

自由ではあるが、いつ死んでも不思議はない野生の鳥は本当に幸せなのだろうか。

私には、分からない」


 そこまで話し、フォックスは首を振った。

 それからベルネル、ジョン、フィオラ、サプリ、エテルナを見て僅かに羨むような顔をした。


「いや……これも言い訳だな。

実際は、誰も歯向かわなかったのではなく歯向かえなかったのだ。

平民出身である君達には分からぬかもしれないが……私は騎士である前に領土と民と、そして家族と、召使いを背負っている貴族なのだ。

他の者も同じだ。君達は例外だが、基本的に騎士というのは貴族の子息が就任するようになっている」


 これは、今更確認するまでもない事だ。

 ベルネルやエテルナは本人の優れた資質のおかげで学園の狭い門を潜り抜けてここにいるが、基本的にこの学園自体が、貴族の子息が入る事を前提に作られている。

 幼い頃からいい環境で訓練を積める貴族と、明日を生きるのにも苦労する平民……その差は歴然だ。

 故に、現在騎士に就任している全員が貴族か、あるいはその血縁者であった。

 そして、だからこそ彼等は王に歯向かえないのだ。


「名目上は、国王達よりも聖女の権力は上とされている。

だが……もう分かっていると思うが実際には……」

「実際に権力の頂点に居座っているのはあくまで国王達であり、聖女はただの偶像……ってことですか?」

「そうだ、ジョン君。察しがいいな」


 聖女は表面的には権力の頂点とされているが、実際は違うというのは誰もが勘付いていた事だ。

 そうでなければ前の聖女は追われる身になどなっていない。エルリーゼは閉じ込められていない。

 聖女とはいわばただの象徴であり、偶像……君臨しているだけで統治は求められていない。

 故に、有事の際の発言力は国王に遥かに劣る。

 それはそうだ。聖女は別に土地を治めているわけでもなければ民を持っているわけでもない。

 実際に国を動かしているのは国王や貴族達なのだ。

 表面的に聖女を自分達より上にしているのは、ただの批判避けでしかない。

 そういう意味で言えば、むしろ今代の聖女であるエルリーゼは発言力と影響力を持ちすぎているとも言える。

 少なくとも、実質上はただの傀儡で対魔女用の使い捨て兵器だった歴代聖女とは雲泥の差だ。


「私は……元筆頭騎士などと言われているが所詮は小さな領を治めているだけの子爵だ。

国王がその気になればいつでも家ごと潰されるだろう。

そうなれば民や使用人……私の家族も路頭に迷う……。

私は……私は、エルリーゼ様よりも、自分の利を優先してしまった……」


 フォックスは、組み合わせた自らの手を、爪が食い込むほどに強く握った。

 この選択に後悔はある。罪悪感もある。

 もしも国王の判断がただ悪辣で民やエルリーゼを苦しめるだけのものだったならば、あるいは正義感を優先して忠言し、その結果本当に家が潰されていたかもしれない。

 しかし国王はそれも予想していたのか、フォックス達に免罪符を与えてしまった。

 これは聖女の為だ。聖女はこのままでは死ぬから、そうならないように守るのだ。

 そう言われてしまえば、フォックス達は足を止めるしかなくなる。

 それが国王に用意された都合のいい免罪符であり、聖女を裏切る自らの罪悪感を薄れさせるためだけの聞こえのいい建前である事など分かっているのだ。

 だが一方でそれは本心からの望みでもある。

 エルリーゼを死なせたくない。これまで世界の為に頑張ってきた彼女が最後に魔女と刺し違える形で死ぬなど……ましてやその先に、魔女化して守ってきたはずの世界を彼女自身の手で破壊するなどあまりに救われないではないか。


 罪悪感はある。だが一方で、これでよかったと考える自分もいる。

 そしてそんな自分に何より嫌悪感を覚える。

 彼の心の中は、自分でも言葉に出来ない程複雑なものだった。


「……レイラさんは、どっちなんですか?」


 ベルネルが、どこか確信を抱いた声で尋ねる。

 答えは実は、もう分かっているのだ。

 ディアスと戦った時に真実を知ったレイラの焦燥を目の当たりにした時点で、答えはもう分かっている。

 そしてそれを肯定するようにフォックスが答えた。


「…………言ったはずだ。

他の近衛騎士も同じ・・・・・・・・・と……。

レイラの役割は人質だ。そのまま軟禁しても、エルリーゼ様なら自力でいくらでも逃げ出してしまえるからな……。

だから、動きを封じる為の駒が必要だ……」

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