第十九話 共犯(後半)

 ――それはベルネルにとっては、あまりに嬉しい偶然だった。


 魔法学園の生徒は、夏季休暇中に多くの課題を出される。

 騎士の心得、過去の聖女の名前、その歩んできた人生、歴史……過去の魔女の悪行の数々、過去の戦闘記録。

 読み書きに算術、礼儀作法、女性のエスコートのやり方にテーブルマナー。従者の心得。

 それらを頭に叩き込む事を要求される。

 実技に優れていなければならないのは最低限のラインとして、騎士を志すならばこうした高い教養を求められるのだ。

 騎士とはただ戦うだけの存在ではない。聖女を守り、支える存在。

 故に騎士には、王族に仕える召使い以上のものを求められ、実技と合わせてこれらをたったの三年間で身に付けなければならない。

 そして何より求められるのは、生徒自身の向上心であった。


 夏季休暇とは決して、長い時間休んでいいという学園側の計らいではない。

 これで本当に休むような奴は容赦なく騎士候補から外すという、振るい落としである。

 騎士が守るのは人類にとって最も大事な存在である聖女だ。

 故に甘えは許されない。ちょっと気を抜いた隙に魔物や魔女に暗殺されましたでは絶対に済まされない。

 そうなってしまえばエルリーゼから見て二つ前……先々代の聖女が死んだ時と同じように、人類の暗黒期が無駄に伸びてしまう。

 だから夏季休暇だ……などと喜んで気を抜く輩は論外。

 出された課題など全て終わらせて当然だし、それすら出来ないならばその場で学園から追放される。

 その上で自由時間をどう使い、周囲との差を広げるか。学園はそこを見ている。


 無論ベルネルはそんな裏事情など知るはずもないが、元より彼の目的は聖女の側に在れるほどに強くなる事だ。それ以外には興味もない。

 ましてや彼が並ぼうとしているのは歴代最高の聖女と称されるエルリーゼだ。

 ならば、並大抵の努力でそこに辿り着けない事など覚悟の上である。

 だから課題など夏季休暇初日に、図書室から資料を借りられるだけ借りて素早く終わらせた。

 残りの時間全てを修練に費やしたかったからだ。

 そして用の済んだ資料を学園の図書室へ返し、いざ特訓だと寮に帰るその帰り道で……何やらコソコソしているエルリーゼを発見した。


「エルリーゼ様……?」

「ふぁっ!?」


 声をかけると、余程驚いたのか普段あまり聞かないような可愛らしい声を発した。

 基本的に落ち着いているこの聖女のこういう姿は新鮮だ。

 他の者達がきっと見た事もないだろう姿を見れた事で、ベルネルは少しだけ優越感を感じた。


「あ。ああ、ベルネルさんでしたか。驚いた……」

「何をしているんですか? まるで誰かから隠れるように……もしかしてレイラさんですか?」


 ベルネルがそう言うと、どうやら図星だったようでエルリーゼは硬直した。

 それから話題を逸らそうとしたのか、ベルネルへ質問を飛ばした。


「ところでベルネルさんは何故ここに?」

「俺は借りていた本を返しに図書室へ行って、その帰りです。

エルリーゼ様は何を?」

「私は……ちょっと散歩です。たまには一人で歩きたい事もあるといいますか……。

それで今は、どうやってレイラに見付からずに戻れるかを考え中でして。

……出る時はレイラの仮眠中に抜け出したんですけど」


 ベルネルの問いにエルリーゼは視線を逸らしながら答えた。

 彼女は基本的にどこにいくにも必ず護衛が付いて来る。

 それは彼女の重要性を考えれば仕方のない事だろうが、それでは息が詰まる時もあるのだろう。

 聖女と言えど、そういう一面もあるという事か。

 今まではずっと遠くにいたような気がしていた彼女も、同じ人間なのだと思うと途端に距離が縮まった気がしてベルネルは何となく嬉しくなった。


「だったらそれ、俺も手伝いますよ。レイラさんの気を引けばいいんですよね?」

「えっ? いいんですか? ……いやでも、悪いですよ。それにレイラって結構冗談通じないところありますし……」

「大丈夫。やらせてください。聖女様が困っていたら手を貸すのも騎士の務めですから。

……まあ、まだ候補ですらない学生ですけど」


 それから二人は周囲に誰もいないかを気にしつつ、階段を上って五階へと到着した。

 少し離れた場所には来賓用の客室があり、そのドアの前でレイラが不動の姿勢で警備を続けている。

 レイラ・スコット……彼女はある意味ではベルネルにとって、エルリーゼとは違う意味での憧れであった。

 レイラが今いる立ち位置こそはまさに、エルリーゼを信奉する誰もが目指す目的地だ。

 エルリーゼの最も近くにいて、そして守護を任される。全ての騎士が目指す最高の座。

 そこにいるレイラをベルネルは尊敬していたが、同時に少し嫉妬もしていた。

 今は彼女がいるその場所に、いつかは自分が立ちたいと思った。

 とはいえ、それはまだ先の話。今の自分はただの学生に過ぎない。

 ただ、最高の騎士を前にどうやってエルリーゼを部屋に到達させるかを考えるだけだ。


「エルリーゼ様。俺が今からレイラさんの注意を引きてドアから離しますから、その隙に……」

「はい、分かりました」


 ベルネルの指示に頷き、それからエルリーゼは可笑しそうに笑った。


「エルリーゼ様?」

「あ、いえ。何だか少しおかしくて。

こうして二人で悪巧みをするのって、なんだか子供の遊びみたいじゃないですか。

友達とかがいれば、こんな感じなのかなって思ったら楽しくなってきて」


 それは、普段は超然としていて神秘的な彼女が見せた、見た目相応の笑みであった。

 ベルネルは咄嗟に顔を逸らし、前を見る。

 ……危なかった、と思う。

 正直このまま呼吸と心臓が止まるかと本気で思った。

 もう少しあの笑顔を見続けていたら、見惚れて何も考えられなくなっていただろう。


「で、では……行きます」


 ベルネルはそう宣言し、前へと踏み出した。

 しかし聖女とその護衛以外立ち入り禁止の区域に一般生徒が入り込んで怪しまれないはずがない。

 ベルネルは問答無用で捕まりそうになり、それを庇う為にエルリーゼが慌てて姿を見せた事で事なきを得たが、作戦は見事に失敗に終わった。

 そして二人はレイラに叱られる事となった。



「叱られてしまいましたねえ」


 あれから二人はこってりとレイラのお説教を受ける事となった。

 十数分に渡るお叱りからようやく解放されたエルリーゼはベルネルに視線を向けた。


「ごめんなさい、ベルネルさん。

私の巻き添えでこんな事になってしまって」

「いえ。言い出したのは俺の方ですし……はは」


 結局は何の役にも立てなかった。

 その事実に少しばかりベルネルが気落ちするが、そんな彼にエルリーゼは小声で言う。


「でも、今回は楽しかったです。もし機会があれば今度は叱られない範囲でまた何かやりたいですね」

「また、ですか……?」

「迷惑でなければ」

「め、迷惑なんてとんでもない! 是非!」


 慌てて言うベルネルにエルリーゼが満足そうに微笑み、そしてレイラに連れられて部屋に戻される。

 そしてドアが閉まる直前に、もう一度振り返った。


「それじゃあ、また明日……ベルネル


 その言葉を最後にドアが閉まり、エルリーゼの姿は見えなくなった。

 しばし茫然としていたベルネルだったが、レイラにしっしと手で払われた事で正気に戻り、階段を下りる。

 最後の瞬間のエルリーゼの言葉が何度も脳内をリフレインする。

 ベルネル君……今までは他人行儀でベルネルさんだったものが、ベルネル"君"になった。

 これは明らかな前進だ。確実に自分と彼女の距離が縮まったのを感じる。


 寮に戻る帰り道の途中……ベルネルは喜びのあまり、ジャンプしてガッツポーズをした。

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