第35話『凶悪なダークエルフと醜悪なる豚男』

 廊下の床には多数の足跡。


 床に着いた足跡の大きさと深さからフルプレートの重装甲の

 ダークエルフがこの先の部屋に居る事を推測するのは容易だ。



「足音は聞こえない。幸い族長が殺された事はまだ知られていないようだ」



 俺は足音を殺しながら廊下を歩く。目の前には扉がある。

 アジトを外側から観察した時にここに大人数のダークエルフが

 常駐していることは確認済みである。



 俺はアイテムボックスから限界突破させた、

 最硬度かつ最高品質の"甲羅の盾"を取り出す。

 

 甲羅の盾は俺の全身を覆うほど大きい。


 その扱いは非常に困難で大盾使いのタンカーですら、

 ある程度熟練した者でなければ扱うことするできない大盾である。



 あえてその甲羅の盾を片手に持ち扉を開ける。



 扉を開けると、そこにはフルプレートアーマーを

 身にまとったダークエルフがが、

 円卓に座りノンキに食事をとっていた。


 俺は砲丸投げの玉と同じ程度の大きさの玉を円卓の

 真ん中に放り投げ、即座に甲羅の盾に被り地面に伏せる。

 甲羅の盾は、まるで亀の甲羅のように俺の全身を覆っていた。


 フルプレートアーマーを着たダークエルフは円卓の上に放り

 投げられたその物体の脅威を知らない。


 部屋に入るやいなや、臆病にも亀の甲羅に身を包んだ

 俺を嘲笑する笑い声の合唱が聞こえた。



 そして、円卓の中央で砲丸大の球体が "パツンッ"

 という、乾いた……どこか間の抜けた音を立て炸裂した。



 その次の瞬間に嘲笑する声だけでなく、

 悲鳴や絶叫すら聞こえなかった。

 訪れたのは完全なる静寂。



 あれだけ豪快な大声で嘲笑していたあの合唱は強制的に打ち切られた。

 なぜならこの部屋はもう、俺以外の生者はいないのだから。


 あの手投げ爆弾に詰め込んでいたのは世界最硬度の

 アダマンタイトの鉄片と、最高品質まで向上させた爆薬。


 鍛冶師が鋼材を炉で鋳熔かす前に使う鉄片。

 俺は、鍛冶師に頼み込み事前にこれを入手していたのだ。

 鍛冶師には何の用途に使うのかと聞かれた。

 その時はアクセサリーに使うと言った。

 

 その時点では嘘ではなかった。

 だが結果的には殺傷兵器として使うことになった。


 アダマンタイトの鉄片は一つ一つの大きさはジャリと

 同じ程度の細かなものである。そのジャリが詰まった爆弾が炸裂し

 フルプレートアーマーをまるで障害ともせずに貫き、内部を挽き肉と化した。


 辛うじて、椅子に座ったままで人の形を保てているのは、

 フルプレートアーマーが外骨格の代わりとして機能しているおかげである。

 鎧の中身は肉と骨と血と臓腑が入り混じった混合物と化している。



「甲羅の盾、改善の余地有りだな」



 甲羅の盾はアダマンタイトの鉄片を完全に凌ぎきれずに、

 甲羅の中に居たレイも何箇所か、鉄片によって貫かれていた。


 ただ、貫かれたことによる痛みも、熱も、音すらも今は感じない。

 とにかく前へ進めと、その意志だけが俺の心臓を動かす。


 サイドポシェットから回復薬を取り出しゴクリと飲み込む。

 これで、もう十分だ。


 部屋の爆音を聞き外へ逃げ出したダークエルフも何人か居た。

 元より、これも計画のうちである。


 窓から地面へ飛び降りたダークエルフは、まるでエッグスライサーに

 自ら飛び降りる"ユデタマゴ"のようにバラバラになり地面を赤く染めた。


 アジトの周囲には、俺が逃走防止用のトラップが無数に仕掛けられている。

 我先にと逃げた物の末路は悲惨だ。


 ある者は枯れ草で隠した毒玉を詰めた落とし穴の中で溶解し、

 またある者は、アリアドネの糸によって身体を切り刻まれた。


 生きてアジトから脱出できた者は一人も居なかった。



 このアジトはすでに俺の狩場だ。

 逃げる場所など容易するはずがない。


 13匹のダークエルフを倒した先の通路を進む。

 そこには黒いローブに包まれたダークエルフが待ち構えていた。


 見ただけで他の者達と違う手練れである事は分かった。

 何の感情も感じさせない爬虫類のような冷たい目で俺を値踏みする。

 お互いに語る言葉は何一つとして無い。


 黒ローブの男は10を超えるスクロールのヒモを解き空中に放り投げる。

 その刹那、スクロールから俺に向けて魔法が飛び交う。

 回避不能な魔法の嵐である。


 火の玉が、雷の槍が、岩の塊が、氷柱が、風邪の刃が、

 闇の波動が、光の祝福が、死の呪詛が、毒の霧が、麻痺針が、



 ――俺は左腕の少盾を軽く振るい、全ての魔法をパリィする。



 まるで"魔法"のように俺に向かって放たれた全ての魔法が消滅した。

 俺は無言で男の後ろに向かって人差し指を突きつける。


 何が起きたのかを理解出来なかった男は、

 警戒した男は数歩だけ後退する。


 だが男はまるで何かにつまずいたかのように、ガクリと膝から倒れる。

 次の瞬間に黒ローブの男が見上げたのは天井であった。


 

 "アリアドネの糸" 相手が距離をとることを予測して仕掛けた罠。

 それによって、膝から下が綺麗に切り取られていた。



 男が上体を起こすと目の前には自分とは切り離された二本の自分の脚がある。

 遅れて切断部からあふれ出るおびただしい鮮血を目にする。

 男は何が起きたのかを理解する。


 だが、それでもなお取り乱さない。


 男の瞳の奥からは一切の感情が感じられない。

 この状況で男が考えるのは、目の前の何者かを殺す方法。

 それ以外の損失などはすでに頭の中にはない。



 男は、表情を変えずに即座に黒ローブの袖の下に隠し持っていた

 バネ仕掛けで射出される小型の投擲ナイフ。それが俺の額に向けて射出される。

 それは奇術師めいた鮮やかな手口であった。



 ――射出された致死毒を塗られたナイフを俺は右腕の小盾でパリィする。



 まるで脚が切断されたばかりの男とは思えない鮮やかな所作。

 だが元より油断などカケラもない。

 俺はただ観察していた。

 だから黒ローブの男の挙動をすべて余さず見逃す事はなかった。


 ダークエルフは元より奇術や詐術に精通している。

 表情も仕草も言葉も悲鳴も何もかも信じるに値しない。

 そんなものはただのノイズだ。

 無感情に全ての事実を観察するだけ。


 俺は、男に毒玉を投げつける。倒れた男の顔面に直撃、

 薬剤が眼球や鼻孔を始めとした顔の粘膜に吸収されたのを確認。

 グズグズと顔から腐る肉体を最後まで見届ける。


 族長のときには振り返りすらしなかったがこの男に対しては、

 最後の息を引き取る瞬間までジッと観察していないといけないと思った。

 それが、強者に対する最大限の警戒であり、敬意。


 俺が通り過ぎたら後ろからまた奇術めいた方法で

 俺の命を奪おうとするかもしれない。

 俺は男が確実に腐りきり、確実に絶命したのを見届けた。



 廊下を更に進む。後ろから近づく者の足音も気配も無い。

 仮に後ろから近づいてきても、事前に仕掛けた糸に絡め取られ死ぬだけだ。


 俺は廊下の先、自身の目の前だけを見る。

 アジトを外から眺めた時はここが突き当りになっていた。


 だが、その突き当りに練度の高い暗殺者を待機させていたという事は、

 この先に隠している何かがあるという事だ。

 宝か、あるいは……。


 だが、あの手練れの兵をこの廊下に配置していたということは、

 この先に奴らにとって重要な何かがあるはずだ。



 部屋の突き当りの床を見る。

 わずかに他の床の色と違う。以前の俺なら見逃した程度の違和感。

 だが、新たな瞳を獲得した今の俺にはその違いが



「ここの床だけ細かな傷がやけに多い。手の油脂のような物も見える」



 俺は床に跪き、手の甲で2度叩く。感触から中が空洞である事が分かった。

 俺は床に手を触れ隠し通路に通じるための鍵穴を探り当てる。

 事前に準備していた解錠器具で床を開けるとそこには

 地下へと続く、石造りの階段があった。



 俺は極力音を立てずに石造りの階段をゆっくりと降りていく。

 この先に何人の相手が控えているかも分からない。

 

 

 ――想像したくはない。だが、この先に嫌な予感がする



 地下通路は暗い。

 だが俺の新たな目であれば問題ない。

 今の俺は【邪神の瞳】の効果によって暗闇のなかでも十分によく見えるのだ。


 俺は地下通路を降りきる。

 そこは石造りの巨大な空間であった。



「この予感は外れていて欲しかった」



 そこは――地獄だった。


 この世に存在する悪意を集めて形作られた歪で淫靡な空間。

 地獄としか表現できない、醜悪なる空間。



 部屋のあちらこちらに乱雑に置かれている、用途不明な歪な器具。

 だがそのどの器具からも、脂の臭い、錆びた鉄の臭い、

 ドス黒いナニカがこびり着いていた。

 理解不能で、用途を想像する事を脳が拒絶する金属器具の数々。


 腐臭、死臭、血肉の臭い。


 俺は☓☓☓が☓☓☓された場所である事を――脳が拒絶する。

 理解するなと。それ以上踏み入れるなと。脳がチリチリと痛い。

 心に形があったなら砕かれていただろう。


 憤怒、殺意、憎悪、怨嗟、その全てが俺の全身を燃やす。

 俺の身体を流れる血は沸騰しているに違いない。

 歯を食いしばり過ぎて、奥歯が欠けたが関係ない。



 だがそんな熱い感情とは真逆の、

 冷たい感情が俺の意識を普段よりも研ぎ澄ましていた。

 やらなければいけない事がある。

 果たさなければいけない義務がある。



 俺はそのために来たのだ。

 ここで、歩みを止めることなど許されない。



 部屋の中には動物の檻のような雑な作りの鉄の檻が乱雑に置かれていた。

 その中には首輪を付けられ目を焼きごてで焼かれた少女たちが居た。

 四肢のない者、手足の腱を切られ焼かれた者……。



 この世には善と悪があるという。



 善も悪も見る方向の違いであり、絶対的なモノではなく主観的なモノだそうだ。

 ならこの光景はなんだろうか。

 この光景が悪でないと言うのであれば俺が悪でも構わない。



 目の前に、豚のように醜悪な男が居た。

 この部屋の管理者。種族はオークだろうか。



 ――そんなことは今この時点ではどうでも良い。



 自分と同じような血肉の臭いをまとった俺を、

 ダークエルフと同じような同族だとでも勘違いしたのか

 ヘラヘラと笑いながら、俺に向かって何かをつぶやいていた。


 耳を通過した音は脳には届かず不快な雑音として処理された。

 一切聞く価値のないただの豚の鳴き声。


 俺はゆっくりと豚に近づき顔面を思い切り殴り付けた。

 味方だと思っていた俺に殴られたことによほど驚いたのか、

 豚男は、石ダタミの床にブザマに倒れ、より大きな豚の鳴き声をあげる。


 ――なんとも不快で、耳障りな鳴き声だ。


 俺は豚男の口に麻痺玉をねじりこみ、無理やり咀嚼させ薬剤を飲みこませる。

 やはり薬剤は経口摂取が最も吸収効率がよい。


 痺れて動けなくなった豚男に馬乗りになり、顔面を何十発か殴打した。

 耳障りな鳴き声が聞きたくなかったからだ。

 豚男の豚鼻が陥没し、歯も折れ、喉も潰れていた。



 麻痺玉で、痙攣したままの男のポケットをまさぐり檻の鍵を見つける。

 この地下室の少女たちを閉じ込めた檻を開けるための鍵だ。


 俺は少女たちが閉じ込められていた全ての牢屋の鍵を開け、

 最高品質の回復薬や状態異常回復薬を摂取させる。


 専門的な治療は王都へ戻ってからになるが、俺の中で

 持ちうるありとあらゆる最善の回復薬を使用した。


 少女たちは救いに来た何者かの存在による安心感と、

 回復薬の効果により自身の身体を急速に修復するための深い眠りについた。


 陽の光を浴びるまで目覚めることはないだろう。

 だから、これからこの地下室で奏でられる、

 豚男の不快な鳴き声に安眠を妨げられることはない。



 少女たちの生命の安全を十分に確認した後に、

 俺は豚男と再び向き合う。



 今はまだ深夜。だが、朝には俺が残したメモに気づき衛兵達がここに来る。

 俺が、この豚に私刑を下せるのはそのわずかばかりの間だ。


 豚男はたった何発か俺殴られただけで自分が許されたと思い違いをしていた。

 だから必要がある。


 豚には人の言葉は通じない、だから言葉で説明しても無駄だ。

 錬金術の力を使いその身をもって自分が何をしてきたのかを、

 理解させてあげる必要がある。



 豚男は朝になる頃には世界中の誰よりも理解するであろう。

 錬金術師という職業がどん残虐非道な拷問師よりもより

 凄惨で冷酷で無慈悲な懲罰を与えることができる存在である事を。


 

 まだ、朝までには十分 "理解するだけの" 時間がある。

 それは永遠に近い時間となるはずだ。



「運が悪かったな。俺は優しい。だから、

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