第十七章 兄と妹8


 気が付くと頬に汗が流れていた。

 隣では優斗が同じように額に汗を流していた。


 青春の汗ではなく肉体労働の汗とか、全くもって望んでいないのだが……。

 と言っても青春の汗も別に欲しくないのは言わずもがな。


 一年間使用されていないプールに付いた汚れは頑固そのもの。

 全くこんな作業を生徒会が引き受けるとか何を考えているのやら。



 生徒会をなんでも引き受けるお助け部と勘違いしているのだろうか。

 それにしても、人数が少ないこともあり進むスピードが予想より若干遅い気がした。


 それも、一つは火野君という力仕事担当の生徒が使い物にならないことにある。

 一休みがてら、進行状況を確認していると優斗が声を掛けてきた。


「これは一旦休憩でも入れて、午後から一気に進めた方が効率的かもな」


「そうだな……」


 一度休憩でもして、午後からもう一度作業を始めたほうが良さそうだ。

 疲労でスピードも落ちているし、相変わらず綺羅坂と雫は何か言い合いを続けている。


 昼を挟んで何かしらの対策をして、この二人をまともに作業に取り掛からせさえすれば終わるだろう。


「諸君、昼食にしよう」


 同じ考えだったのか、会長も上から指示を出した。

 全員が会長に従ってプールサイドに上がると、そこにはレジャーシートと風呂敷に包まれた重箱のような物が置かれていた。


「あ、兄さん戻りました!」


「……ごくろうさん」


 丁度、生徒会室から荷物を取りに戻っていた楓達三人も合流し、これでようやく休憩となった。







 昼食は会長と三浦が用意した弁当をご馳走になった。

 三浦は簡単な手伝いだけで、ほとんどが会長のお手製だとか。


 料理も出来るとなると、いよいよこの人には出来ないことが無いのではと思い始める。

 

 腹も膨れ代わりに眠気が襲う。

 少しだけ皆が座りシートから離れたところにタオルを敷いてその上に寝転がる。


 多少、陽の光が強いがこの際は構うまい。

 一つ大きく息を吐いてから瞳を閉じる。


 聞こえてくるのは草木が揺れる音や虫たちの鳴き声。

 それに、隣からの談笑。


 こうしていれば、今にでも眠りについてしまいそうだ。

 しかし、ある言葉を切っ掛けにその睡魔は彼方へと飛んで行ってしまった。


「楓ちゃんは彼氏はいるの?」


 そんな問いが楓に向けて投げかけられていた。

 妹の彼氏事情に反応してしまうとか、どこのシスコンですか。


 だが、誰に何を言われようとお兄さんは許しません。

 まだ早い!



 俺の許可が下りて、そして親父からの許可が出てからでないと彼氏なんて絶対に許さない。

 飛び跳ねそうな体を楓の声が歯止めをかける。



「彼氏はいません」


「そんなに美人だから男子からの人気は凄そうだけどね」


 三浦がどこか諦めたかのように吐息をすると、周りを見て呟いた。

 確かに、ここのいる面々は異常だ。


 雫を筆頭に綺羅坂と柊茜先輩、楓とおおよそ男子が必ず注目する女子生徒がここには揃っている。

 三浦はそれを見てため息をしたのだろう。


 まあ、気にするまでもない。

 俺から言わせれば彼女達がある意味異常な訳で、三浦はごく普通だ。


 いや、ぱっと見では平均よりもレベルが高いほうだ。

 それをも霞んで見せてしまう彼女達がおかしいのだ。


 と、三浦のフォローもそこそこに、楓にはいくつも質問が飛び込んできた。

 学校生活はどうなのか、女子高だと共学との違い、成績や学校行事などもの珍しさに色々と質問をしていた。


 だが、会長が言った問いで場が凍った。


「女子高だと男子生徒がいないわけだが、君も年頃の女子高生だ彼氏の一つでも欲しくはならないのか?」


「彼氏ですか……?」


 元々、親父が楓の共学への入学を拒んだのがきっかけで、楓は近くの女子高に通っている。

 楓自身は俺と同じ桜ノ丘学園に通いたいと最初は言っていたが、親父も結構頑固な性格なので、押し切られたように今の高校に通っている。


 まあ、その代わり親が海外に仕事で出て行ってしまう際には、俺と二人でこの町に住むことは条件としたのは、俺ら家族しか知らない豆知識だ。


 だが、会長の言う通り楓も青春を謳歌する花の女子高生だ。

 彼氏の一人くらい欲しいと思うのが自然だ。

 

 その割には家でも浮いた話は聞いたことがない。

 それ以前に家では俺の世話をしないといけないから、そんな話をする余裕がない可能性もある。

 


 この先、何も言葉を挟むことなく楓の心情を聞くのも一つの手だと寝たふりを決め込んだ。


「彼氏ですね……うーん」


 言葉が上手く見つからないのか、それとも隠したいことでもあるのか。

 おそらく前者だろうけども、楓は悩んでいる様子だった。


 声からして会長と三浦、それに小泉は興味深そうに話に参加していた。

 火野君は言うまでもなかろう。


 しかし、雫と綺羅坂は参加している風には聞こえてこない。

 チラリと横に視線を向けると、バッチリと綺羅坂と視線が重なる。



 まさか……これって運命?

 ……そんな訳があるか。


 綺羅坂は独自のレーダーを完備している。

 彼女にとって俺が何か面白そうな反応を見せるとき、決まって彼女はこちらを見てる。

 

 その時に偶然目が合っただけだ。


 綺羅坂はニヤリとこちらを見ていた。

 俺が寝たふりをして話を聞いているのにはとうに気が付いていたということか。


 嫌な性格しているなあいつは、なんて思っていると隣に座る雫もこちらを見ていた。

 彼女はただ俺が寝ている姿を見て、まるで効果音で「ふへ」とでもついていそうな綻んだ笑みで小さく胸の前で手を振っていた。


 その様子から二人は楓の話を周り程気にしていないようだ。

 周りより付き合いが長いから、話すタイミングなどいくらでもあったのだろう。


 雫なんて俺と同じで楓とも幼馴染だからな。

 

 拍子抜けというか意外というか、そんな二人を他所に楓は告げた。


「そうですね……彼氏が欲しいとか思ったことはありません、私は兄さんが大好きですから」


 ……お兄ちゃん嬉しくて泣いてしまいそうだ。

 きっと全国のお父さん方も娘さんにこんな言葉を言われたら泣いてしまうだろう。


 

 きっと楓の人柄だろうが、周りを明るく和ませてしまう。

 楓の言葉自体を聞けばただのブラコンのセリフなのだが、「お兄さん想いなのね」なんて三浦や小泉が呟いているのが良い証拠。


 だが、その中でも会長だけは違った。

 口元は笑ってる。


 確かに笑っているのだが、その瞳の奥からは笑っているような明るい感情を見つけ出すことが出来なかった。

 綺羅坂の冷笑や雫が時折見せる無表情とは違う、別の何かを。


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