第十二章 準備と違和感
第十二章 準備と違和感1
職業体験。
主に学生に職業の場を体験させることにより、半強制的に社会人になるという自意識を芽生えさせるという、教員による高等テクニックだ。
多くは中学時代に経験しているかもしれないが、桜ノ丘学園ではこれを導入している。
二年生という多忙な学年に、さらにイベントを追加するとか、考えた人は完全に二年生が嫌いだったに違いない。
体験すると言っても仕事内容は簡単なものばかり。
本物の職場の空気を見て、感じる機会はそう多くはない。
学校によっては、職業体験を行わなければ単位を不認定とする意識の高い学校まであるそうだ。
俺の通う、桜ノ丘学園も当然ながら必須の項目として職業体験には力を入れている。
学校ホームページにも、大々的に協力会社を募っているし、毎年体験先の企業に多くの生徒が就職している。
まぁ、多くのと言っても高校を卒業してすぐに社会人になる生徒の中では―――の話だ。
学生の大半は、進学を希望している。
ちなみに、俺も進学希望。
少なく見積もっても、あと五年間は働かなくて済むのだから、大学生へ進学以外は今のところ考えていない。
話がそれてしまったが、職業体験とは貴重で有意義な時間となる……と教師達は口を揃えて言う。
学生の立場から言わせれば、特に興味もない職場で、よく分りもしない仕事を体験しても精神的疲労が溜まる一方で、嫌なイベントでしかない。
正直、将来どんな仕事に就きたいかと明確に答えられる生徒の方が少ないはずだ。
進学先の大学も、ぼんやりと「この大学で良いかな」と思って進学希望届に記入しているだけかもしれない。
しかし、学校行事のため、避けては通れぬ。
ここで休むという選択肢は、俺にはない。
なんだか、相手はいないのに負けた気分になるし、それ以上に理由もなく休むことに罪悪感を感じる。
ズル休みをしたときは、その瞬間は家でゴロゴロしていられることに幸福を感じるが、大方、後から複雑な感情が芽生える。
時計を見て『数学の時間か……』なんて、現在時刻から授業の想像する可能性もある。
……本音を言えば、学校を休むと言った瞬間、妹の楓まで学校を休んで看病すると言いかねないからしないだけとは、誰にも言えない。
そんなわけで、残り数日とまで迫ったイベントに生徒一同、優鬱な気分に債まれている。
いや、勿論イベントに対する憂鬱感が大半を占めているのは間違いない。
だが、それ以上に彼らが教室内で気を使わなければいけない状態が、現在の三組には形成されていた。
「最悪の気分よ……あなたと同じ班だなんて」
「それは私のセリフです。私は湊君と同じ職場に行きたかったのに」
現在、一日を締めくくるSHR(ショートホームルーム)の時間なのだが、席は普段通りではなくある法則で振り分けられ座っている。
俺は廊下側の席で、話したこともないクラスメイトの後ろでただ担任の話を聞き流しているのだが、前方でやたらと目立つ二人組に自然と視線が集まる。
対照的な雰囲気の二人だが、今だけは似たオーラ……もとい空気をまとっていた。
他を寄せ付けぬ、恐怖すら感じる張り詰めた空気。
いつもなら、賑わっているはずの教室も今回ばかりは静まり返っている。
先に結果から話そう。
俺は三人とは違う班となった。
当初は、懸念していた通り雫、綺羅坂、優斗へ同じ体験先への誘いが大量に寄せられた。
雫は、俺に同じ班になろうと提案していたが、生徒からの注目を集めることと、男女ということで向いた職場が無いことから断っていた。
どうしても、女子生徒と同じだとアパレル系や飲食の仕事が多く回ってくる。
俺は工場などで人目に付かない場所で、素早く終わらせたい。
一向に決まらないグループ分けに、教師達も見かねたのか全クラスくじ引きで職場を決めるという、最速で最強の方法を決行した。
最初からそうしろよ……なんて思ってしまったが、俺は悪くない。
こうなると、容易に想像できるのにも関わらず、生徒の自主性を尊重したいと言って仕事をサボる教師が悪い。
なんでも自主性という言葉で片づけられるほど、今の高校生は自主性はない。
むしろ、その自主性がなさ過ぎるまである。
周りの流れに身を任せ、自分の意見を述べない。
その上、間違った方向へ流れていった場合は『自分は違うと思った』なんて、自分の正しさを主張する。
内心で思っているのと、言葉に出すのとでは大きな違いだ。
せめて一人だけだとしても、意見を述べてから正しさを主張してもらいたい。
孤立するのが怖いなら、組織やグループに属さなければいい。
その点、一人でいれば人間関係で悩むことも少ないし、何より発言に気を使う必要もない。
一人最高。
なんて、くだらない考えをしているうちにSHRは進行していく。
担任が前から一枚の用紙を配り、それを一人、また一人と後ろの席の生徒に回していく。
最後尾の俺は、前から用紙を受け取ると、その用紙に視線を落とす。
自己紹介シート
そう書かれたA4用紙は、大半が空欄だった。
ここに、参加企業へ事前に生徒の情報を書いて渡しておくのだろう。
どうせ、大して内容も書くこともないだろうと思っていると、教師の一言で締めくくられて放課後を迎える。
帰る前に適当にでっち上げておくかと、シャーペンを取り出して名前を書いていると、いつの間にか雫がまたひとつ前の席に座っていた。
何も言わずにニコニコとこちらを見ている彼女に、思わず声を掛けた。
「……どこに行くんだ?」
「国際学校です。学校事務って仕事ですね」
「……国際学校ね」
学校外の活動で学校に行くとは、運が悪いとしか言えん。
普通の事務職と何が違うのか。
同じ事務でも、生徒を相手にするか大人を相手にするかの違いか?
興味もない職種に、適当に相槌で返す。
自分で質問をしておいて、適当過ぎたか。
バレない程度に視線を上げると、彼女も同じ用紙に書き込みをしていた。
雫は気にしないといった様子で、学校側に提出する用紙に黙々と文字を書いている。
そしてもう一人、これまた気配もなく隣に座っていた綺羅坂もスルスルと筆を止めることなく手を動かすと、あっという間に書き終わる。
なんで、自己紹介シートが真っ黒になるほどの情報量を、短時間で書き上げることができるの?
むしろ、そこまで書ける点があるとか、自分大好きかよ。
俺なんて元気、運動が好き、休みはショッピング!とか、誰だよこいつってことしか書いていないぞ。
しかし、嘘は書いていないから問題ない。
特に健康的問題は無いし、運動も見ている分には嫌いではない。
さらに、休みは楓と買い物によく出かけているから、本当とも言える。
なんて完璧な内容だ。
これには真良君もビックリだ。
ゆっくりだが、確実に誰が見ても及第点を出してくれるだろうという、ありがちな文章で書き記すと雑に鞄の中に詰め込む。
家に帰って楓にでも確認してもらえば、問題もなかろう。
放課後の生徒会の活動は休みで無いので、手早く帰り支度を済ませると雫と綺羅坂も準備を終わらせていた。
「湊君、良ければ商店街で買い物に付き合ってもらいませんか?」
「買い物?……そういえば楓に買い物頼まれてたから別に構わんぞ」
今日は少し帰りが遅くなると言っていたし、どのみち帰り道だ。
寄り道と言っても大した時間ではない。
雫からの誘いを受けると、黙っていないとばかりに綺羅坂が言葉を挟む。
「おっとなら私も行こうかしら、良かったわね真良君。両手に花よ」
「……お前の家は反対方向だろうが」
……子供の意地の張り合いでもなかろうに。
今日はすこぶる二人は仲が悪いのか、何かとちょっかいを出している。
この時間帯は人も多い。
下手に目立つことは避けたいが、仕方がない。
「おい、優斗……暇なら買い物付き合ってくれ」
少し先で友達に手を振って別れを告げていた優斗を呼び出し、せめてもの道連れとして連れていくことにした。
……荷物とか増えそうなら、こいつに持ってもらおう。
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