第九章 変化2


 数学の教師が、白色のチョークを黒板の上を走らせる。

 午前中に行われる数学Ⅱの授業で出された問題だ。


 俺もノートに数式を書き写すが、答えは空白のまま。

 さっぱりわからん。


 公式を当てはめれば簡単に解くことができると、数学が得意な人は言う。

 しかし、その公式に当てはめたとしても、なぜか俺の数式には答えが出てこない。


 やはり文系の俺には数学は少々早かったようだ。

 

 教師は自分が出した問題に取り組む生徒たちの間を歩いていく。

 誰に回答させようかと、迷っているのだろう。




 黙々と生徒たちが問題を解いてく最中、俺は隣の席に目を向ける。

 

「…………」


 当然、俺の隣には綺羅坂が座っている。 

 席替えもしていないのだから当たり前だ。


 だが、彼女の視線の先には数式はない。

 あるのは四角い空白が縦横に無数に並ぶ問題。


 クロスワードパズルだ。

 俺が授業中に暇な時間を見つけたら、コツコツ進めようと思っていた暇つぶしアイテムを、彼女は日記でも書くかのような勢いで解いていく。

 

 シャーペンを動かす手が止まらないのは、彼女の頭脳が良いからなのか、それとも発想力が豊かなのか。

 彼女が一ページ終わらせるのに、俺が費やした時間の何倍ものスピードだ。

 

 


「暇つぶしにもならないわね」


 最後のページを簡単に埋め尽くすと、机の上にシャーペンを投げ捨てると呟いた。

 背もたれに取り掛かり、彼女の大きな胸が尚更強調される。


 彼女の顔から下に視線が下がりかけたのに気が付き、すぐに視線を上に戻す。



「小学校の算数みたいに解くなよ……しかもそれ俺のだし」


「小さいことは気にしないで頂戴……それにしても退屈ね」


 頬杖をしながら、綺羅坂は黒板を見つめる。

 授業の問題のことを言っているのか、教師の授業内容を言っているのか、もしくは俺が持ってきた娯楽アイテムのことを言っているのか。


 最後だとしたら、百円を返してもらおう。 

 百円ショップで買い直してくるから。



「本当……退屈よね」


 吐息のような、小さい声量で呟かれた言葉。

 教室が授業中で静かでなければ、聞き逃していただろう。


 冷たく、彼女の感情を短く、だがハッキリと表していた。



「真良君もそうは思わない?」


「俺は大体いつも退屈してるよ……」


「そうね、あなたはそういう人だったわ」


 彼女は俺の回答を聞き、少しだけ楽しそうに表情を変えた。

 何が面白いのだが。


 退屈だと言っていた人の顔ではない。

 しかし、俺と彼女にしか聞こえていないはずの会話に、冷たい視線を向けていてる生徒がいる。


 それは少し前の席に座る彼女……


「湊君……」


「……ホラーかよ」


 雫は鋭い目で、こちらを睨みつける。

 いや、綺羅坂を睨みつける。


 いつからそこで見てたの?

 もしかして、今俺が少しだけ男心が出そうなのも見ていたの?


 マジで怖い。

 雫の周りに座る生徒も、理由は分からないが雫が放つ殺気にも似た何かを感じ、身震いをしている。


 そもそも、なんで俺と綺羅坂が話していたのに気が付いたのか、理由を述べよ。

 もしかしてあれか、第六感というやつか。


 

 アニメや漫画なら後ろに黒色のオーラでも出ていそうな雫を横目に綺羅坂は小声で話を続ける。

 

「ふふ、あの人は最近面白くなってきたわよね」


「なら、表情と言葉を合わせろ」


 そういう綺羅坂だが、彼女の顔は言葉とは裏腹に楽しそうではない。

 二人の視線は重なり、バチバチとぶつかり合う。


 間に挟まれた生徒は気の毒に……

 居心地が悪いのは、痛いほどわかる。


 


 今日は余裕とばかりに、俺は二人の動きを眺める。

 数学の教師は、廊下側の生徒が質問をしているため、二人の動きに気が付いていない。


 

「じゃあ、この問題を……綺羅坂、解いてもらえるか」


「……はい」


 質問に答え終えた教師は、振り返ると綺羅坂を指名する。

 彼女のノートには、答えどころか数式すら書いてないが、ためらうことなく立ち上がる。


 スタスタと前に歩く綺羅坂は、特に男子生徒から注目を集める。

 美人系女子生徒の頂点に位置する綺羅坂だ、当然だが人気が高い。


 雫とすれ違う瞬間に、一瞬立ち止まっていた気がするが、すぐに黒板の前に立つと問題の答えを書いていく。


 クロスワードの時と変わらず、数字を書く腕は一度も止まらない。

 こうして、模範ともなる回答をした綺羅坂に、教師も称賛の声を上げる。


「流石綺羅坂だ、少しだけ難しいかと思ったが君には簡単だったか」


「いえ……」


 なんとも短い返事で、彼女は席に戻る。

 そういえばあなた、興味ない人には徹底して冷たいのね。


 席に座り、俺のノートを一瞥すると満足そうに頷く。

 彼女が黒板に書いた答えは9。


 しかし、彼女が前に行っている間に俺がノートへ書いたのは、正解とは違う11という数字だった。


「……ドヤ顔するな」


「なら、今度私が数学を教えてあげましょうか?」


 クスクスと笑いを堪えながら、やけに丁寧な言葉づかいの綺羅坂。

 ムッとする気持ちを隠すことなく、素直に表情へ出して顔を逸らす。


 悪かったな、数学は苦手なんだよ……

 


 


 

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