6-3

《とある少年の英雄譚・5》



 所々に血痕が残る無人の街入口で、僕は瓦礫に腰かけていた。

 そこらじゅうに血と炎の匂いが立ち込めているはずだけど、僕の鼻はとっくに麻痺して何も感じなくなっていた。

 顔の返り血を拭った袖の、黒く変色した血糊を見下し、拳を握った。


 あの男。

 逃げ出そうとする兵士を言葉巧みに煽動し、再び死地へ送り込もうとしていた男。

 兵士たちは彼の声と姿を見て、陛下と言っていた。


(そんなはずがあるか……)


 グリフィンドルの人たちの話では、スリザールの国王はちゃらんぽらんで酒と女に溺れ、政治は悪臣たちに丸投げ、国民からの信頼などとうに失墜していたという。

 辺境の地から出たことのないシスターでさえ、その話を否定はしなかった。

 なら、あんなにも人に慕われ、信頼されている人間が国王であるはずがない。


 あれは、三人の悪魔の内の一人、人を騙し、欺き、陥れる非道の詐欺師――楠蓮太郎に違いないのだ。


 なのに、なぜだろう。

 僕の全身を包むこの不快感は。

 今更怯えがぶり返してきたのか? さっき散々兵士たちをこの手で切り裂いたじゃないか。

 ひょっとして、彼が民間人のような恰好をしていたからだろうか。


 わからない。

 だけど、もう僕は彼を貫いてしまった。

 即死ではなかっただろうけど、あれで助かるならこの世界に聖女なんて必要ない。


 残る悪魔は、二人――。


 篠森潮はここに現れるだろうか。

 凍倉美園は僕を殺す方法を探し出せるのだろうか。


 喉が渇いてる。

 頬を汗が伝ってる。

 怖い。

 怖いんだ。

 僕は、もう戻れない道を進んでいる。

 この道が正しかろうが、間違っていようが、僕はもう進み続けるしかない。


 篠森潮がどんな手段を使ってこの場に現れたって、僕に歯が立たないのはホグズミードで証明している。

 凍倉美園がどんなに頭が良くたって、この世界に存在する武器も魔法も僕に通用しないことは分かっている。


 だから、大丈夫。

 僕はただここで待てばいいんだ。

 

『一時間待ちます。それまでに降伏の使者をよこしてください。来なければ、こちらから王宮に行きます。真っ直ぐ行きます。邪魔するものは全部薙ぎ払って』


 彼らは降伏するだろうか。

 頼む。

 してくれ。

 僕にこれ以上人を殺させないでくれ。


 誰かが来る気配はない。

 時間はどんどん過ぎていく。

 もうそろそろ約束の時間だ。

 言葉の選び方を間違えたか?

 ああ。そうだ、和平の条件を提示しなかったじゃないか。

 いや。それは国の中心人物に直接伝えなきゃ。


 ああ。駄目だ。

 考えがまとまらない。

 こんなことなら一時間と言わずに半分くらいにしておくんだった。


 僕は待ってればいいんだ。

 だって、今の僕には誰も敵わない。

 それはさっきの戦いで嫌ってほど見せつけてやった。

 だから、大丈夫。


 …………………本当に?



「た、助けてくれ!」


 僕の思考を破り、そんな声がかけられたのは、僕の背後、崩壊した街の門の外側からだった。


「そ、そなたはグリフィンドルの勇者であろう? 頼む。余を助けてくれ」


 疲れ切った顔の金髪の男が、数人の兵士を引き連れていた。

 ボロボロの服を着て、手には僅かな荷物を抱え、後ろの兵士たちもみなみすぼらしい装備しか身に着けていない。


「あなたは?」


 僕が一歩引いて問うと、彼もまた立ち止り、怯えた目で僕を見た。

「こ、こんな姿で信じてもらうのは難しいかもしれん。だが、余は……、余は、ユースタス・サラザ・スリザール。この国の正統なる王である」


 驚いた。

 でも、言われてみればさっき僕が鎗で貫いた楠蓮太郎とほとんど同じ背格好だし、声も似てる気がする。


「そ、そんな方が、なぜこんな場所に……?」

「余は、余は追い出されたのだ! あの異世界から来たとかいうわけの分からぬ若者どもに王宮を支配され……。余にも分からぬ! 最初は、最初は、余の影武者を用意すると! 戦争の間は影武者を表舞台に立たせ、余は安全な場所で今まで通り女を抱いていればよいと言われ……」

「お、落ち着いてください。話を聞きますから」

「それが! それがなぜこんなことに……。余にも分からんのだ! なあ。気づいた時には、王宮に余の居場所はなくなっていた。あの影武者が、いつの間にか本物の国王のように振舞いはじめ、余を追い出したのだ! この側近たち以外、誰も、誰も余の言うことを信じてくれぬ! 誰もが、あの偽物が本物だと!」


 その言葉はたどたどしく、言葉足らずで、かえって彼がどれだけ逼迫しているかを伝えていた。

 なるほど、『王子と乞食』か。児童文学だ。


「そ、そなたはホグズミードの民たちを害することなく支配したと聞いた。なあ。頼む。スリザールは降伏する。グリフィンドルの属国となっても構わん。だから、玉座を余の元に取り戻してくれぬか。もう王宮に余の味方はおらぬ。そなたしか頼れるものがおらんのだ」


 間違いない。

 この人も被害者なんだ。あの三人の悪党の。


「分かりました。安心してください。グリフィンドルに降伏してくれるのなら、僕は無用の犠牲は望みません。あなたたちの身の安全は約束します」

「お。おお、すまぬ。すまぬ……」

「ご協力頂けますか? まずは、現在の王宮の状況を――」



『あっらぁぁあああ?? まぁた人助けして勇者気取りかしら? ヘタレ田ヘタ男くぅん?』



 風に乗って、聞くだけで腹の底から怒りがこみ上げてくる声が響き渡った。


『いや~。悪かったわね~、一時間も準備する時間貰っちゃってさぁ。たっぷりおもてなしの用意しておいたから、せいぜい楽しんできなさい? どうせ今日でお別れなんだから』


 目抜き通りの遥か向こうで、小柄な人影が口元に何かを掲げてふんぞり返っているのが見える。僕の強化された視力は、その冗談みたいな姿をはっきりと捉えた。

 真っ白なローブ。清らかな装飾。聖女の衣装コスチューム

 凍倉美園だ。


「あ、あいつだ! あいつがいつの間にか王宮を支配し、教会と騎士団を乗っ取ったのだ!」

 王様が僕に縋りつく。

 僕の腹の底に、また一つ怒りの薪がくべられた。


「降伏しろ! この国の王様を保護している!」

『ぶっはははははは!! なに言ってんの!? 国王ならさっきあんたが自分でぶっ殺してたじゃない! 頭大丈夫!?』

「嘘を吐くな! あれは楠蓮太郎だ! 違うというなら彼の姿を見せてみろ!」

『自分で探してみなさいよ。って……あらぁ? あらあらあらぁ? 聖女さまはどこ行っちゃたのかしらぁ? 日本人を特定する魔法とやらはぁ?』


 腸が煮えくり返る。

 言葉を交わせば交わすほど自分が冷静じゃなくなっていく。

 そうだ。田中さんだって言ってたじゃないか。

 アイツと会話しちゃだめだ。


「君たちに勝ち目はない! 大人しく降伏するんだ!!」

『ばぁぁっっっかじゃないの!? 声がビビってんのよヘタ男! 私と戦いたくなきゃそっちから首差し出せ! あんたの頭一つで勘弁してやるわ! ま。私はどっちでもいいけどねぇ。そこの男抱えてくれてんなら好都合だわ。せいぜい頑張って守ってやんなさい?』


 は?

 どういうことだ、と、僕が問い質す前に。


 どぅん。


 彼女の背後から、莫大な量の魔力が膨れ上がった。

 通りに、建物の上に、至る所に人が立ち、魔術杖スタッフを掲げている。

 な、何人いるんだ?


 火炎。雷撃。氷結。流水。旋風。岩石。紫毒。光熱。様々な属性の、色とりどりの魔力が膨れ上がり、放たれようとしていた。


 馬鹿な。そんなものいくら撃ったって僕に通じない。

 けど。


「ひ。ひぃっ」


 僕に縋りつく王様と、彼に追従するボロボロの兵士たち。


「待――」

ぇぇ!!』


 ぎゅがっっっ!!!!


「う。うぁああああああ!!!!」


 打ち払う。

 咄嗟に発動した七色の武具イリデーセント・アームズを最大本数展開し、こちらに殺到する魔力塊を弾いた。

 同時に超感覚ハイパー・センスを発動。背後の王様たちの無事を確かめる。

 だけど、飛来する後続の魔法の軌道を読み、それがこのままでは彼らに直撃することが分かってしまう。

 口封じをするつもりか。

 

 ダメだ。

 守れ。

 彼らは僕を頼ってくれたんだぞ!


 瞬動ソニック・ムーブ

 鉄壁ガーディアン

 最速で。最適な手順で。

 全て捌き切る!


 数えきれないほどの魔法の嵐。

 恐るべきことに、その全てがあの悪魔の手で、計算しつくされた軌道と順番で襲ってくる。

 水流の魔法が弾けた瞬間に火炎がぶち当たり、爆発する。

 岩石を砕き割って手が止まった瞬間に旋風が背後の王様を襲う。

 光熱は目くらまし。紫毒は範囲が広い。

 そんなことが数秒の間に幾度となく繰り返されるのだ。


「ああああああ!!!!」

 

 焼き切れそうな脳の神経と、千切れそうな手足を総動員して、僕はその嵐を凌いだ。

 最後の雷撃を体で受け止めた僕は、とうとう膝をついた。

 息が上がっている。

 けど、防ぎ切った。

 

 あれは、きっとこの街の魔術師の総動員だ。

 それに、どう考えたって一人一人の一撃が重すぎる。全員が自分の魔力を絞り出して放った一撃だったんだ。


「はぁっ。はぁ……」

「す、すごい……」


 背中から、掠れるような王様の声。

 よかった。なんとか無事みたいだ。


「流石は勇者だ」


 ……うん?

 なんだか、急に彼の声に力が――。


「なら、これではどうだ?」



 ぼぎゅっ。



 僕の背中が、爆発した。

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