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 私が言葉を失っていると、これを好機と見たのか、黒髪の少女の弁舌はいよいよ勢いを増し、いかに自分が哀れで悲劇的であり、いかに自分の仲間が非道で悪辣であり、いかにこの世界が彼女にとって生きづらく理不尽であるかを滔々と語り続けた。

 

「だからね。何もかも政治が悪いわけ。だってそうでしょ、私たちだって真っ当な仕事があればそりゃそこで働いてるわよ。でもどこ行ったって誰それの許可だのどこそこの認可だのなんだのかんだのが必要って、全然話聞いてもらえないんだもん」


 その言葉を聞いているうち、徐々に私は、自分の腕の力が緩んでいくのを感じていた。

 何もかも政治が悪い。

 そうだ。そんなことは、この街で生きる誰しもが分かっていることだ。

 この少女は、他に何をするあてもなく犯罪に手を染め、自分が危うくなれば平気で仲間を売り飛ばそうとする、のだ。

 そしてそれをなさしめているのは、間違いなく私の仕える王宮に原因がある……。


「なあレン太。いい加減助けてやんなくていいのか?」


 その時、背後から聞こえたその声に、私は弾かれたように振り返った。

「いった!! いったい! 首が! 首がゴリっていった! ざっけんなこのゴリラ女! ゴリラに首ゴリってされたー!!」

 その勢いで図らずも妙な関節技を極めてしまった腕の中の少女を、改めて押さえつける。

 私の視線の先に立っていたのは、二人の年若い男だった。


「うぅん、このままどこまで話がエスカレートするか聞いてても面白そうかなって」


 春風のそよぐような声でそう言ったのは、ゆったりとしたローブ姿の男だった。

 その穏やかな顔をした中肉中背の人物は、先ほど私が雑貨屋でまみえた窃盗犯に他ならない。


 もう一人は、おおきい。

 背丈だけではない。町の下層民が身に着けるようなボロ服の上からでも分かるほどに全身を鋼のような筋肉が覆っており、それが彼を実際の身長以上に巨大に見せていた。

 

「ちょっと! シオ! レン! あんたら見てないでさっさと助けなさいよ! この人でなし!」

「いやあ、今まさに僕たちを売ろうとしてた人に言われてもねぇ。集合場所とかさ、普通嘘の情報教えるでしょ。なに当然のようにホントのこと喋ってんの」

「結構初めのほうから聞いてたわねえ!?」

「ああ。ソノ子がメイドに尾行けられてるのが見えたからよ。迂回してきたんだ」

「はあぁ!?!? あ、待って。分かった。分かったわよ、めんどくさいわねえ。ほら、助けてくれたら後でちょっとくらいサービスしてあげ――」

「「それはいい」」

「なんでよ!?」


 ……ええっと。

 どうしたものだろう。

 この二人の若者が、先ほど彼女が名前を漏らした『レンタロウ』と『ウシオ』で間違いないのだろう。しかし、『なにホントのこと喋ってんの』だと?

 つまり、彼女の言が正しいのだとすれば、本当に仲間はこの二人だけということになる。

 流石に三人だけのグループで大規模な犯罪グループ云々などとはいえないだろう。まあ、今まさに仲間割れが繰り広げられてはいるが。

 しかして、この状況。ひょっとして私がピンチなのでは? それとも仲間割れに乗じて彼女だけでも身柄を預かるか? いや、盗品を持っているのは彼らだろうし……。いやいや、彼女に保管場所を吐かせれば……。


 私がそんなことをぐるぐると考えていると、いつの間にかレンタロウなる人物が、静かに歩みを進めていた。

「あのぅ、メイドさん。……ごほっ」

 しわぶきを一つ溢し歩み寄った彼は、眉根を下げ、人当たりのよさそうな顔でしゃがみ込んで視線を合わせてきた。


「盗みを働いたのは謝ります。ただ、どうしても僕らには薬と食料が入り用で……」

 近くで見てみれば、その中性的な顔立ちはどこか青白かった。

 見る人の憐れみを誘うように、いかにも力なく、頬と眉が垂れ下がっている。


「ごほっ。ああ、失敬。お店の方には申し訳なく思います。お金は後で必ず返します。どうかひと月ほど待ってはもらえませんか」

「残念ながら、それを決めるのは私ではありません」


 彼が情に訴えようとしていることを察した私は、そっと心を閉じた。

 一体彼らにどんな事情があるのか、聞きたくなかった。きっとそれは、この街の下層ではどこにでもありふれていて、いちいち付き合っていてはこちらの身が持たなくなるようなものなのだろう。


 そんな私の様子を察したのか、残念そうに眼を伏せた男の顔色が、変わった。

「うっ」

「??」

 胸のあたりを抑えた男の顔が、みるみる青白くなっていく。

「ちょっと、大丈夫ですか?」

「え、ええ。すいません。だいじょう――がはっ」


 吐血。

 鮮やかな赤が地面に染みを作る。


「な!?」

 まさか、肺病!? まずい。こんな場所で倒れては、それこそ命取りに――。


 ばしゅ。

 

 そんな音が、私の緩み切った腕の中から聞こえた。

「え?」

 慌てて力を入れ直した腕の中から、ごっそりと少女の体重が抜けていく。

 

「ぎゃー!! 痛い痛い痛い!! 馬鹿! ふざけんな! 腕抜ける! 腕抜けるから!!」

「おー。抜けたら嵌め直してやるよ」


 咄嗟に手を伸ばした先には、宙を舞う少女の矮躯と、その腕に絡まるロープ。

 その根元を握る黒髪の大男。

 私の気が逸れた一瞬の隙に、投擲したロープで少女の身を引き寄せたのだ。

 

(縄術!?)

 しまった。完全に油断していた。

 しかし、驚くのはそれからだった。

 男は少女の体を肩に抱えたまま、垂直飛びで壁にとりつき、そのまま屋根の上へ登ったのだ。どんな身体能力だ。


「あばよー」

 こちらの気の抜けるような声を残し、屋根の上を疾駆していく男の姿は、三秒後には見えなくなった。

 絶句した私が、それでも数秒前の惨事を思い出し足元に目をやった時には、果実の香りのする血糊を残し、足元に伏していたはずの男もまた消え失せていた。


 呆然とする私の目の前に、はらはらと一葉の紙片が舞った。


つら覚えたからな、デカ乳メイド。次会うときまでにその黒乳首きれいにしとけ』


 見れば私の仕事着エプロンドレスの両胸部分が二か所、いつのまにか泥で汚されていた。

 地味な嫌がらせを……。


「なんなの、一体……」


 そうしてがくりと膝をついた私が立ち上がるのには、しばしの時間を要したのであった。

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