第11話 鈴木①
本当は、あの絵柄を見る前からわかっていたのではないか。私達の関係は所詮こういうものだ、ということが。「The Devil」と書かれたカード、タロットのことなんてほとんど知らない私でも、これが望ましいカードではなさそうだということは予想できた。
「道徳を守るよりも、本能の赴くままに行動するだとか、そういう意味合いがあります」
ショックが強かったせいか、占い師の彼女の声が、ドアの向こうから聞こえてくるようだった。
「あんたにそんなこと言われる筋合いないんだけどっ」
思わず声を張り上げてしまって、それだけでは足りずに机をバンっと叩いて出てきてしまった。普段の私は、やたらめったらそんなことする人ではない、念のために。なんであんなことをしたのか、あまりにも図星だったということなのか。
――この悪魔というカードは現在の状態を表すもので…。
わかってる、彼が私と一緒にいるのは、多分私のことが好きだからではない。そんなの私が一番よく知ってる。知ってはいるけど、別れるのは嫌だ。あの人を手放すのだけは嫌だ、せっかく手に入れたのに。
彼のことは、知り合う前から知っていた。
あれは一年生のときの学園祭だった。屋外ステージで歌っている彼を見たのだ。
そのとき彼は、友達と二人で演奏していた。彼らの前に前のグループはメンバーが四人いたのと、二年生だったのとで、知り合いらしい人たちもけっこう観に来ていたのだけど、彼と友人は一年生で、しかも二人だけだった。見た目もかなり地味だった。特に新しくも古くもないジーパンはいて、特に柄もないぼやけた色の地味なカットソーなんて着ちゃって、普段着となんら変わらないような服装だった。見た目も地味だし、みんなも期待していないようで、ぞろぞろと帰って行くのが見えた。最初の自己紹介も冴えなかった。
しかし、歌が始まると、周りにいた人たち――帰っていこうとしている人たちも含む――が、またそろそろと引き返してきた。ものすごい人だかりとまではいかないまでも、それなりに人は増えて、そして最後はみんな力いっぱい拍手していた。
そう、あの人は、華やかではないのにどこか人目を引く人だった。声もいい方だとは思うけど、それ以上に、歌いまわしとか、間の取り方とか、強弱のつけ方が上手なのか。ただ大きい声を出しているだけじゃなくて、叫んでいるだけじゃなくて、きれいに歌う人だと思った。
選曲もけっこう渋かった。アゲハ蝶、スカボロフェア、サリーガーデン、やぶれかぶれ、バイバイハニー、など、ジャンルもバラバラだったけれども、二人が歌うと不思議と違和感のないプログラムになった。なんだろう、あの人達は。なんで、あんなに上手いのに、流行からちょっと後れたような誰も知らないような曲をあんなに一生懸命歌ってるんだろう、と妙に気になった。
全然違う学部なので、その後はしばらく会うことはなかったのだけど、次に会ったのは、なんとバイト先のコンビニエンスストアでだった。彼は新しく、アルバイト要員としてそこにやってきたのだった。
自分より先に入った私に敬語で話そうとするので、「同じ学年だよね。敬語使わなくていいからさ」と言うと、「ああ、すみません」と照れたように言った。
「去年は何のバイトしてたの?」
「去年は、単発のバイトばっかだったな、実験の手伝いとか、学力テストの採点とか、色々」
「長期のバイトはしなかったの?」
「ああ、忙しかったから」
「音楽活動が?」
怪訝そうな顔をされて、乗り気じゃないようだったので、それ以上その話はしないことにした。
彼は、もともと器用なようで、仕事内容はすぐ覚えてしまった。慣れてきてからも適当に手を抜くと言うことはほとんどなくて、少しでも空いた時間があると、すぐに商品の前出しに飛んでいくような人だった。まるで、常に一生懸命動いていないと不安だ、とでもいうように。
そのうち、実は一般教養で同じ講義を取っていることがわかった。彼はあんまり興味がなかったみたいで、ほとんど友達に代返を頼んでいたみたいだった。たまに出席した日も、講義室が無駄に広くていてもわからなかったのか、最終講義の日にようやく見つけた。
「あの、ご飯一緒に行かない?」
とどうにか声をかけた。
「俺、弁当なんだ」
「じゃあ私も、パンでも買って来ようかな」
「じゃあ、向こうのベンチで待ってるよ」
バイト先を離れて話をするのは初めてだったけど、最初はバイトの話をずっとしていた。店長とか、労働条件に関する文句だとか、同じバイト仲間の噂話だとか。気づいた時には、もう十二時五十分になっていた。
「もうこんな時間。須長君、次何かあるの?」
「いや、特にないよ。鈴木さんは?」
「私もないよ」
本当は英語があったけれども、全部出ているから、一日くらい休んだって問題なかった。どうせ、テストの前にあまり意味のないおさらいをするくらいだろうから。
一時を過ぎると、急に人の数が減った。初夏の気候は、とても気持ち良くて、いつまでも外にいられそうだった。
コンビニで会うのは朝だけだったけど、それからも、何度か食事に誘った。夜は家庭教師が忙しいからということで、昼間に会うことが多かった。
「鈴木さん、夏休みは実家に帰るの?」
「うん。ちょっと、朝のシフトが厳しくなっちゃうけど、よろしくね」
「全然問題ないよ」
どうしよう、言うなら今かな。もし、振られても、一月休んでいる間に気まずさはなんとなく消えるかもしれないし。「告白」という言葉が初めて頭をよぎったのは、このときだったかもしれない。
学園祭が終わった頃だっただろうか、須長君は、二週間後にバイトを辞めることになった。
「実は年間の収入が百五万を超えそうなんだ。そうすると、税金払うことになるから、収入を抑えないといけなくて。この間友達に指摘されるまで、そんな法律があるとは知らなかったんだけど」
「私も知らなかった。そんなにバイトしてないから」
「家庭教師は、さすがに突然辞められないから、悪いけどこっちを辞めようかなと思って」
「こっちは、慣れちゃえば誰でもできる仕事だもんね」
須長君は、ちょっと寂しそうな顔をしたように見えた。彼をけなすつもりで言ったわけではなかったので、慌てて訂正する。
「家庭教師は相性の問題とか、教え方が上手下手とか色々難しいもんね、急に辞めて生徒さんの成績が下がったら可哀想だし」
「そうだね」
こうして一緒に働けるのも、あと片手で数えるほどしかないのだろう。
もう会えないから、という理由が背中を押して、半ばあきらめながらも告白することになった。すると、信じられないことに、「いいよ」と言ってもらえたのだ。なんだか半信半疑のうちに、私達はつき合うことになっていた。
浮かれていたのもほんのわずかな間だけだった。近くなればなるほど、彼の心の中にはいつも私ではない誰かがいる、そのことはすぐにわかった。
でも、こうして私と付き合うことを選んだんだから、きっと何かの事情があって、もう会うことはない人なんだろうと思っていた。その人には他にの恋人がいるだとか、海外へ行ってしまっただとか。彼が歌っていた歌は、考えてみたら、みんな片思いの、思いが通い合っていない悲しみを歌ったものばかりだったことにも、そのとき気がついた。
でも、私が彼のことを大切にすれば、もっと私のことを必要としてくれて、私のことを見てくれるんじゃなかろうかと楽観視していた。そうする以外に方法がなかったともいえるけれど。
つきあってみると、須長君は思っていたようなところばかりではなくて、ちょっと違うなと思うこともあった。特に、些細なことで言い合いした後で、「それくらい言わなくてもわかってくれよ」といった態度をとられることがよくあって、私は自分が鈍いのか彼がわがままなのかわからなくなって、よく一人で泣いていた。かと思えば突然気味が悪いくらい優しくなったりもした。よくわからない人だ、と思った。なんでこの人と一緒にいたいんだろう、私は。きっかけは、多分あの歌ってる姿が素敵だったからなんだろうけど、でも気づけば今は、どういうわけだか歌なんてまるで歌っていないのだ。
認めたくはないけれど、私が思う以上に彼に思われていないことは、よくわかっていた。自分からつきあって欲しいと言っておいて、こんなに早く「やっぱり別れたい」と言ってしまうのはどうかと思っているのだろうか、私は。もしくは、一人で暮らしてるから、寂しいということなのか。彼は実家暮らしだから、こういう思いはなくて、家に帰りたいときにはさっさと帰ってしまうけど、私は特にすごく親しい人がいるわけではないし、やっぱり誰かがそばにいてくれれば、それだけでほっとする部分はあるのは確かなのだ。なんだか、色々な意味で不公平な関係だな、と思えてくる。だけど、彼が腹を立てていた後に優しくなって「ごめん」と申し訳なさそうに謝るのを見ると、「許さない」と言えなくなってしまうのだ。
そうしたある日、私はあの写真を見つけてしまうことになる。
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