第7話 ユウ②

 学年が上がって行くにつれて、学校で親しげな素振りを見せることに対して遠慮がちになって、だからこそ、家で過ごす時間が、それまで以上にほっとするものになっていたのは私だけだったのだろうか。

 学校で思う存分話ができない反動なのか、一歩家に入ると、私たちはずっと話し続けていた。何を話したのかはよく覚えていないけど、学校で誰がどんなことをしただとか、あのときクラスメイトの誰々にこういわれて、何も言い返さなかったけれども本当は嫌だったんだ、とか。お母さんは料理やお菓子作りに凝っていた時期だったから、一人で台所で楽しそうにお料理していた。私たちは、不審に思われない程度に声を潜めて話した。それがまた、二人だけの内緒話をしているようで、どきどきしていた。

 アキラは私の話を聞いているだけで、あんまり自分のことは話さなかったけど、ピアノを練習を見ていると、今日は機嫌が悪そうだとか、気分いいんだとか、見当がつくようになっていた。

「今日何があったの? 言ってごらん」

 アキラが機嫌が悪い弾き方をしていた日には、私はそう言って、話すよう促す。

「べつに、何もないよ」

「うそばっかり」

 そんなやりとりを何度か繰り返した後、アキラは「なんでわかるんだよ…」と言いながら、学校であった不愉快な出来事を話し始めた。二人でちゃかして笑い飛ばして、そうこうしていると、ご飯ができていて。あんな日々が私の人生にあったなんて、今となってはとても信じられないくらいだ。


 中学生になって、アキラは吹奏楽部に入った。私はなるべく見ないようにしていたので、今では何の楽器をやっていたのかすら覚えていないけど。ほとんど女子しかいない吹奏楽部に入って、たくさんの女子に囲まれて楽しそうに部活をやっている様子を、なんで私がわざわざ見てあげないといけないのだろうと思った。文化祭や運動会で吹奏楽部が演奏しているときには、目を瞑ったり、違う方向を見たりしていた。

 私はというと、特にやりたいこともなくて、テニス部に入ったけれどもすぐに辞めたので、それ以来帰宅部をやっていた。私には、アキラみたいに夢中になって続けられることが特になかったから、家に帰ってもテレビを見るくらいしかすることがなかった。私がこうしてテレビに夢中になっている間にも、アキラは日々練習に励んでいるのだ、ここにあるキーボードでせっせと練習していたときにように、みんなと楽しく、そう思うと、自分の家のはずなのに、ここはもう心地よくない場所のように思えてしまうのだった。

 小さい頃、アキラの練習にしょっちゅう口を挟んで揚げ足を取っていたあの頃。数年前までここにいたのに、前世のことのようだ。いつの間にか、私のあらさがしが追いつかないほどに、アキラのピアノの腕は上達していた。それに今ではピアノではない楽器を演奏しているものだから、見知らぬ楽器の音色からは、アキラの気持ちは読み取ることができなくなっていた。

 それでも、アキラがピアノを弾くのを見るのだけは、相変わらず好きだった。合唱コンクールや、入学式など、ちょっとした集まりの時に、彼はよく駆り出されていた。あーあ、いつの間にかこんなに上手になっちゃって、なんて思いながら、彼がピアノを弾く姿を見ていた。私の家でキーボードを弾いてたときより、ずっと音もいいし、みんなに見られて得意になっているのか、とっても生き生きとして見える。私が見張ってたいたからこそちゃん飽きずに練習できていたっていうのに、ピアノはいつの間にか彼一人のものになっていた。

 アキラが通っている教室では毎年ピアノの発表会があった。小学校に上がってからは毎年それを見るのが習慣になっていた。だから、中学校に上がってすっかり疎遠になってからも、私は恒例行事のように毎年観に行っていた。アキラは、普段学校では挨拶もろくにしないくせに、発表会が近づくと、毎年必ず家にやって来た。練習に通っているのは土曜日の午後で、先生からプログラムをもらうとその足で家に来た。

「ほら、今年の。観に来いよ」

 そう言って、プログラムを置いていく。私はこくりと頷くだけで、頑張ってとも何とも言わなかったけれども、観に行くと、発表前に客席をうろうろして、必ず私がいるか確認に来て、「なんだ、いたのか」とか言って、それだけ言ってまたどこかへ行ってしまう。来いって言ったのは自分なのに「いたのか」ってなんなのよ、と思いながらも、微笑ましい気持ちになって、帰りにアキラの家族と一緒に食事に行ったりしていた。吞気なものだった。


 私が発表会を観に行ったのは、結局中学二年生のときまでだった。中学三年の発表会の前に、私たちはちょっとした喧嘩をしたのだ。

 アキラはいつものように、またふらふらとプログラムを持ってきた。私はそのとき成績が上がらなくてイライラしていたので、つい、「いつまでもこんなことしてて、余裕だね」と言ってしまった。

「余裕じゃねえよ、みんな限られた時間をやりくりして、必死でしたいことしてんだよ」

 アキラがムッとしたように言い返す。

「みんなって誰? 片倉さんのこと?」

 片倉さんというのは、吹奏楽部でアキラと同じパートにいるらしい女の子のことだ。当時二人はちょっとした噂になっていた。私は彼女がアキラの好みのタイプではないと知っていたけれども、それでもいい気はしなかった。

「なんで片倉さんの話が出て来るんだ?」

 アキラは本当に疑問に思っているようだった。きっと、ただ噂が独り歩きしているだけで、本当はみんなが言うほどではないのだろうと悟って、ほっとしたのもつかの間だった。

「それよりお前、いつも何してるんだよ。だいたい、部活だってすぐに辞めちゃうし、それから何してんのかと思えば、家の手伝いしてるでもないし、毎日寝ころんでテレビばっか見てるそうじゃないか。つまらないやつだな」

 アキラは言ってはいけないことを言ってしまったのだ。

 つまらないやつってどういうことよ。誰が私をつまらない人生に追い込んだと思っているの。アキラが、突然いなくなっちゃうから、何していいかわからなくて何もできないだけなのに、なんでわかってくれないの。まあ、わかりようもないよね、あなたの頭の中は、部活やピアノのことでいっぱいで、もう私を見ようなんて気持ちはどこにもないんだから、どうせ。

 私もまた、言ってはいけないことを言った。

「部活部活って、部活やってるってそんなに偉いの? ばかじゃない。家でテレビ観てるのがそんなにいけないわけ? 誰に迷惑かけてるわけでもないし、そんなの個人の自由でしょう。うるさいなあ、本当に。ピアノが弾けるってそんなに自慢になるわけ?」

「なに切れてるんだよ。まあ、これ置いてくから、必ず観に来いよ」

 アキラはそこで、そのトラブルを収めようとしていたのだと思う。しかし、その冷静な態度が私を逆上させた。

 受け取ったプログラムを、その場でびりびりに引き裂いて、紙ふぶきのようにアキラに振りかけた。アキラは信じられないような表情で私を見たが、「自分で散らかしたんだから、ちゃんと掃除しとけよ」とたどたどしく言い残すと、そのまま去って行った。

 結局私は発表会は観に行かなかった。その後、母親から、アキラがその発表会で珍しく間違えたらしいという話を聞いて、いい気味だと思った。

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