第二〇四回 だから、離さないで!


 ――葉月二日目の風に乗り、走っている。



 ジョギングをしているわけではなく、ペタルを……漕いでいるの。今朝、開店と同時に買ってもらった。パパに自転車を。パパはパパでもティムパパではなくて、新一しんいちパパ。


 梨花りかも一緒についてきて、選んでくれた。


 車種は……ママチャリで、僕のイメージカラーの黄色。変速機能はなし。充電式自転車でもない。ごくごくシンプルなものだ。とにかく走ることで精一杯で……


「離さないで!」

 と、僕は言うのだ。



 場所は、大きな川の近く。河川敷……とでもいうのだろうか? 梨花の住む公営住宅からトンネル抜けて上へ上へと、そして大きな橋へと辿り着く前に下へ下へと、転がりそうな坂道を下ってゆく。自転車は乗らず、まだ乗らずに押してゆく。まだ乗れないから。


 梨花と、新一パパは見守っている。


 ……少しばかり距離を置きながら。緑色が疎らな道……一応は舗道。凸凹は比較的リトルな所を選んでいる。僕は今、地に足を着けずにペタルの上。必死に回す動かす、風を感じる余裕は持ちつつも、やっぱり怖くて――離さないで! そう声を発したのだ。


 今まさに、僕の乗る自転車を押しているのは、太郎たろう君。


 ここまで駆けつけてくれたのだ。僕が自転車を運転できるようになるまで、僕が転ばないように支えてくれるって……その小さな約束を守るため……のはずだった。


 な、何と、

 離したの、両手とも。


「た、太郎君?」と、僕は容易に泣きべそ掻くけれど、


「もっと自分を信じろ千佳ちか、やればできる子だ、お前は」と、太郎君は言うの。


 そのまま走る僕は、ペタルも漕ぐの。……で、何メートル走ったのか、転んだの。



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