第45話 聖女(白峰Side)

 王宮の外れにある一画、何本も立ち並ぶ樹木に身を隠す人影がひとつ。

 その人影は夜の闇に薄っすらと浮かび上がる高い塔——、地上五十メートルを超える塔を樹木の陰からうかがっていた。


「あれがノルンの塔ねえ」


 不敵な笑みを浮かべて姿を現したのは白峰悠馬。

 彼の視線が塔の上層階から一階にある入り口へと移動する。


 塔の入り口は一ヶ所。

 白峰が入手した情報では扉も三重になっており、それぞれの扉に武装した兵士が二名から三名配置されている。


 警備が厳重な理由はノルンの塔が神聖な建物で部外者の立ち入りは厳しく禁じられてるから、となっているがそれは建前であった。

 白峰の視線が再び塔の上層階へと向けられる。


「あそこに聖女がいるのか」


 彼の脳裏に勇者召喚の儀式の際、一際豪奢な神官服をまとっているにも関わらず、誰にも手を差し伸べられることなく床に倒れ伏した少女の姿が浮かんだ。


 同時に鑑定スキルで確認できた彼女の5000を超えるMPと『異界の門』というスキルが脳裏をよぎる。

 再び警備兵を見た白峰が鼻で笑う。


「厳重なこった。だが、俺には意味がねえ」


 言葉と共に結界魔法を発動させた。

 自身を不可視と認識阻害の効果がある結界で覆う。


 もし、目撃していた者がいたとしたら、白峰の姿が突然消えたように見えただろう。

 続いて、空中に透明な立方体の結界を出現させると軽々とその上に飛び乗った。そして、次々と空中に透明な立方体の結界を作りだすと、階段状に塔の一室を目指して延ばしていく。


 瞬く間に不可視の階段が空中に出来上がった。

 その階段を誰にも見とがめられることなく登っていくと、十数秒後には塔の上層階にある窓の外へとたどり着く。


 白峰が室内を覗き込むと、窓際に置かれた椅子に座って外を眺めている少女がいた。

 それは紛れもなく、勇者召喚の儀式のときに見た少女である。


 室内を照らす魔道具の灯りが少女の美しい姿を照らしだしていた。どこか儚さを連想させる容貌に白峰が息を飲む。


(これほどの美人とはな。いいねえ、モチベーションが上がるぜ)


 白峰が己の身を不可視と認識阻害の結界で覆ったまま窓を軽く叩くと、少女は不思議そうに外を見た。

 今度は軽快なリズムで窓を叩く。


 すると、少女は彼の思惑通りに窓を開けた。

 その瞬間、白峰が己を覆っていた結界を解除して笑顔で語り掛ける。


「こんばんは」


「キャッ!」


 突然、空中に現れた見知らぬ男を見て少女が小さな悲鳴を上げた。

 驚きのあまり反応できずにいる少女の横をすり抜けて、室内へと侵入した白峰が彼女の口を塞いで耳元でささやく。


「別にあんたに危害を加えるつもりもねえ。だから大声を上げたりしないでくれるか」


 息をつめたまま少女がうなずく。


「じゃあ、手を離すぞ」


「貴方は……?」


 少女が怯えた目で白峰を見上げた。


「俺はあんたに呼ばれた勇者の一人だ」


「あ……! それは、申し訳ないことを……」


 少女が辛そうな顔でうつむいた。


「別にあんたが謝る必要はねえよ。無理やりやらされたんだろ、勇者召喚の儀式とやらをさ」


 少女は答えることなく無言で俯いたままだ。

 俯いたままの少女に聞く。


「間違っていたら言ってくれ。あんた、当代の聖女なんだろ?」


「はい、聖女、です」


「良かった、間違っていたらどうしようかと思ったぜ」


 大袈裟なほどに安堵の表情を浮かべてみせる白峰に聖女が恐る恐る尋ねる。


「どのようなご用件でしょうか?」


「夜、男が女の部屋を訪ね来ているのに用件を聞くとは随分と野暮じゃねえか」


「え? あの、私はそういうのダメなんです」


「冗談だよ」


 いまにも泣き出しそうな表情を浮かべる聖女に白峰が笑みを向けた。


「か、からかわないでください」


「へー」


 聖女の見せた感情を顕わにした表情に白峰が感嘆の声を上げる。


「何でしょうか?」


「随分と可愛らしい顔もするじゃねえか」


 その言葉を聞いた瞬間、聖女の顔からスッと感情が消えた。


「勇者様と言えど、ここへは入ってこられないはずです。お引き取り頂けますか」


「俺を止めることが出来るヤツなんていやしねえよ」


「もう一度言います。どうかお引き取りくださいませ」


「つれないことを言うなよ。あんたのことが気になったからここまで来たんだぜ」


「お引き取りください」


 にべもなく断りの言葉を繰り返す。


「ところで、その首輪は何なんだ?」


 突然、白峰が話題を変えた。

 聖女は首輪にそっと触れるだけで口をつぐんだままである。


「言えないのか?」


 なおも無言の聖女に聞く。


「隷属の首輪とかなんとか、無理やり言うことを聞かせたり行動を制限したりするような魔道具じゃないのか?」


 無言でいる聖女の反応を見て、何らかの制約があるのでは、と勘ぐる。


『違うなら首を横に振ってくれ』そうささやいて、質問を繰り返した。


「もう一度聞く。その首輪は無理やり言うことを聞かせたり行動を制限したりするような魔道具ではないな」


 聖女が静かに首を横に振った。


「チッ! 胸糞ワリーな!」


 自分が予想した通りに効果と聖女の扱いに白峰が吐き捨てるように言った。

 沸き上がる感情に白峰も戸惑う。


「罪人でもないのに何で他の連中は何も言わねえんだ! この国はどこかおかしいと思っていたが、それがたった今、確信に変わった!」


「聖女である以上、仕方のないことです」


 白峰のやり場のない憤りを目の当たりにして聖女が優しく微笑んだ。

 彼女の知る限り、歴代の聖女は何れも隷属の首輪を付けていたのだと言う。次代の聖女が現れるまで自分が聖女から、この首輪から解放されることはないのだと語った。


「解放されるとどうなるんだ?」


「王宮の奥にある神殿で残りの人生を過ごします」


「そんなの解放とは言わねえよ」


「それは受け取り方の違いでしょう。或いは、勇者様の世界とこの世界との考え方の違いかもしれません」


「俺の名前はユーマ・シラミネ。あんたの名前は?」


「ノルンです」


「家名は?」


「聖女になると同時に名前も家名も捨てます。代々、聖女はノルンと言う名なのです」


「なら、生まれたときの、聖女になる前のお前の名前が知りたい」


「え?」


 予想もしていなかった白峰の言葉に聖女が目を丸くした。


「教えられないのか?」


「そんなことを知ってどうするのですか?」


 聖女となったからには、元の名前など意味の無いものなのだと説明する。だが、白峰は聖女の言葉を一蹴した。


「それでも、お前が親に付けてもらった名前が知りたいんだ」


「アレクシア……、アレクシア・クレーデル」


 聖女がどこか嬉しそうにかつて呼ばれていた自身の名前を口にした。


「アレクシア、いい名前じゃねえか」


「ありがとうございます、勇者様」


「だから、勇者と呼ぶな。俺はユージ・シラミネ。お前をこの牢獄から連れ出す男だ」


「え?」


 驚きの表情を浮かべる聖女に言う。


「ユージ・シラミネだ。俺はお前をこの牢獄から連れ出す。聖女をアレクシア・クレーデルという一人の女にもどしてやる」


「な、何を言っているんですか!」


 聖女が初めて狼狽した。

 狼狽する彼女を楽しげに見つめる白峰になおも言う。


「勇者様は何も知らないのです。私は、聖女となったからにはここから抜けだすことは出来ないのです」


「ユージだ」


「ユージ様、もうお戻りください」


 きっぱりとした口調でそう言うと、厳しい視線で真っすぐに白峰を見た。

 だが、白峰はその視線を真っ向から受け止めると、口元に笑みすら浮かべる。


「まあ、俺の言うことに従えよ。悪いようにはしねえさ」


「私に構うと御身が危険にさらされます」


「危険? 望むところだ。美女を片手に抱いて危険のなかを悠然と歩くのが夢だったんだ」


「ふざけないでください!」


「いますぐ助け出すことは出来ねえかもしれないが、必ず助け出す方法を探し出してみせる」


「ユージ様、お引き取りください」


 アレクシアの言葉に先ほどまでの力強さはなかった。


「一度でいい、俺を信じろ」


「ユージ様、私に希望を持たせないでください」


「俺がお前の希望になってやる」


「お戻りください」


 アレクシアの目に涙が光った。


「今日のところは戻るが、また会いに来る。締め出すような真似はしないでくれよ」


 次の瞬間、アレクシアの前から白峰の姿と気配が消えた。

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