第8話 ヘタレ=鋼の理性説

「……もうこの生活が始まって1週間経ったのか……」


 特に何もないとは言えず、結構色々あったと思う。

 竜胆と風呂場で遭遇したりとか、買い物中に和仁たちと遭遇して乗り切る為に自分用の女性下着を選んだりとか、陽菜が風呂に入ってきて背中流そうとした挙句失敗したりとか……。


 俺の1週間濃いなぁ……これに陽菜と竜胆に膝枕で耳かきをされたことをプラスする。なんだかラブコメの主人公にでもなった気分だなおい。


 そんなラブコメ主人公疑惑のある、俺こと橘理玖は今――


「んぅ……」


 ――自分の部屋のベッドの上でに抱き着かれて身動きの取れない状況に陥り、悶々とした夜を過ごすことになっていた。


 ……どのようにして、こうなってしまったのか、話は今日の昼頃まで遡ることになる。


♦♦♦


「……映画に付き合って欲しい?」


 和仁たちに教室で襲われた金曜を終えて、今日は土曜、即ち休日だ。

 部活にも入ってない俺は暇を持て余していたところ、竜胆から映画に誘われてしまった。


「はい。実は編集者さんから、これから小説を書き続けるなら色々なことを経験して引き出しを増やしておいた方がいざという時に助けになるから。と言われてしまいまして」


「映画なら1人でも行けると思うんだけど……」


 ちなみに、陽菜は今日家族で用事があるらしく、帰ってくるのは明日になるかもとのこと。


「そ、それはそうなんですけど……だ、男子とお出かけをする女の子の気持ちというのを知っておきたいんです! ダメ、でしょうか?」


「うっ……いや、ダメじゃないけど……」


 竜胆はこの上目遣いでのおねだりを天然でやってのけてるっぽいから余計に断り辛い。

 もっとも、身長差の関係上、必ず上目遣いになってしまうのも質が悪い。

 

 眠たげな半眼を見開いて、笑顔で喜ぶ竜胆を見てるとそれでもいいかと思ってしまう自分が甘すぎる。


「では、後で隣町の映画館で合流しましょう! ……うんっとお洒落しなきゃ!」


「お、おう。分かった」


 後半は何を小声だったから何を言っているかは聞こえなかったけど、スキップでもし出しそうな竜胆に聞き返すのもはばかられ、見送るしかなかった。


 ……お洒落がどうのとは聞こえたけど……まさかお洒落して来なきゃどうなるか分かってんだろうな的なアレか!? 


 ……ま、竜胆に限ってそれはないよな。でも念の為少し気合を入れていこう。


♦♦♦


「す、すみません! お待たせしました!」


「いや、今来たところだから……」


 指定された映画館の前で待っていると、伊達メガネをかけた竜胆が息を切らしながら小走りでやってきた。


 まさかこんなベタなセリフを言う日が来るとは……。


 竜胆曰く、隣町なら知り合いに見つかるリスクが下がること、デートの気分を味わいたいから待ち合わせをしている風にしたかったらしい。


 ……でも、伊達メガネをかけていても竜胆はやっぱり目立つらしく、さっきから周りの男がチラチラと竜胆を見ているのが俺には分かった。

 だって、俺にも殺意のこもった目を向けているんだからそりゃ分かるに決まってる。


 ……伊達に死線はくぐってないからな。何1つ自慢出来ねえ。


「では、行きましょう!」


「あ、あぁ」


 竜胆の奴、テンション高いなぁ……そんなに映画が楽しみだったのか? まぁ、確かに映画館で観る映画はちょっとテンション上がる。

 ちなみに、俺が好きなのは劇場内の非日常感と映画が始まる時に暗くなる瞬間だ。


「……あの、理玖くん。もう1つお願いがあるんですけど……」


「なんだよ?」


「……手、握っても……いい、ですか?」


 竜胆は俯きながら、小さくて柔らかそうな手のひらを差し出してきて、呟くように言葉を発した。

 俯いていても、耳まで赤くなっているというのが見えてとてつもなく可愛らしく見えてしまって困る。


「……ま、まぁ。手、ぐらいなら」


 差し出された手に手を重ねると柔らかく1度触れてしまえば離すのを躊躇ってしまうほど心地のいい温もりが俺に伝わる。


 ……美少女の手を握るなんて俺今日暗殺でもされるんじゃねえかな? そう思わないと理性が飛んでお持ち帰りルート発生しちゃいそう。


 そうしたら俺は警察にお持ち帰りされることになるな。危ない危ない、危うく現実になるところだった。


「なんで休日の昼間から他人のラブコメ現場なんて見ないといけないんだよ処すかぁ?」


「男の方だけピンポイントでバイクか車に撥ねられればいいのになぁ!」


「あんな可愛い子を落とすなんて一体どんな凄い催眠術を使ったんだろうなぁ?」


 今日ばかりは周りからの呪詛の言葉がありがたい!! おかげで理性が飛ぶのを防げてる!! でも和仁みたいな思考の奴多くね? まともな思考の奴いねえの?


 恐らく、俺は今日理性が飛んで警察にお持ち帰りされるか、周りの暴徒にやられて救急車でお持ち帰りされるかのどっちかになってしまうのかもしれない。


「で、今日は何を観るんだ?」


 手を繋いで歩き、映画館内の券売機の前に辿り着いた。

 さっきよりも機嫌を良くした竜胆が、にこにこと笑いながら握った手を見つめ続けている。


 ……うん、俺の手を見なくていいから、観る映画を選んで欲しいかな?


「竜胆、後ろに人が並んできてるから……」


「はっ!? すみません! ……今日は1人だと絶対に観られないものを選ぼうと思ってます」


「選べないもの……? まさかホラーか?」


「は、はい……いい機会なので、1度劇場で観てみたかったんです……」


 確かに好き好んでホラーを選ぶ機会なんて中々ないからな、家のテレビで観るのとどれだけ違うのか気になるし、たまにはいいかもな。


「……竜胆、お前。ホラー苦手だろ……顔真っ青だぞ?」


「……ま、まさか、苦手とかじゃなくて、これは……そう、緊張してるんです!! 異性と手を繋いだのなんて初めてですから!!」


「顔を真っ青にするほど緊張するなら手繋ぐのやめるか?」


「嫌です無理です離さないでくださいお願いします」


「一息で言い終えるほど嫌なのか!?」


 それほどホラー苦手なのによく見ようと思ったな!? まぁ、いざとなったらお金は無駄になるけど、出ればいいだけの話だしな。


 結局、チケットを買って、劇場内へ。

 始まる前からバイブレーションの如く震え続ける竜胆と席に座る。


 ――そして、映画が始まった。


 ホラー映画特有のビックリシーンが映る度に、竜胆は涙目で俺に抱き着いてきて、ぶっちゃけマジで理性が飛ぶかと思った。


 春だから薄着だし!? 体が密着するってなると色々と柔らかいし!? やっぱいい匂いするし!? ホラー映画を観たせいじゃなくて、竜胆に抱き着かれる度に興奮で叫びそうになったわ!!


 ……結論、ホラーって怖い。


♦♦♦


「……さて、飯も食った。風呂にも入った……あとは寝るだけなんだけど、明日も休みだし積みゲーを消費して夜更かしも有りだよな」


 休日最高!! とりあえず棚からゲームを出して……。


 

「……あの、り、理玖くん? 今いいですか?」


 かちゃりと控えめな音がしたと思ったらパジャマ姿で両手に枕を抱え、これまた控えめに竜胆が入ってきた。

 

「どうした? ……おい、竜胆?」


 無言で近寄ってきたと思ったら、俺の近くに女の子座りでぺたんと腰を下ろしてしまった。

 この座り方を男がやろうとすると股関節が可動域の限界超えそう。


「――今日、一緒に寝てくれませんか?」


 ……拝啓、天国の父さん、母さん。聞き間違いじゃなければ、俺は今日一線を越えてしまうかもしれません。


「ま、待て!! お前自分が何言ってるか分かってるのか!?」


「……理玖くんと同棲するって決めてから覚悟はとっくに出来ているので……襲われたらその時はその時です!!」


「男らしいな!? 何がお前をそこまで突き動かすんだ!? ……まさか、今日のホラー映画のせいで1人で寝るのが怖くなったのか?」


「……はい」


 ぎゅっと枕を抱きしめて、顔を隠すように枕に顔を埋める竜胆を見て、思わず天を仰ぐようにして、片手で顔を覆った。


 流石に一緒に寝るのは俺が持つ気がしない……けど、この状態の竜胆を放って1人で寝ろなんて言えないよなぁ……。


「はぁ、とりあえず寝るまで一緒にいるってことで妥協してくれないか?」


「す、すみません……本当に迷惑をかけてしまって……」


「気にするなよ、一緒にゲームでもすれば気が紛れるだろ?」


 コントローラーを1つ竜胆に渡して、ゲーム機の電源を入れて俺は床、竜胆はベッドに腰掛けてゲームを開始する。


 ジャンルはレースゲーム。

 アイテムとか使って相手を邪魔するやつ。


「……そうだ、理玖くん。この間のなんでも1つ言うことを聞いてくれるって話なんですけど……」


「……ゲームの勝ちは譲らないぞ?」


「違いますよ……色々と考えたんですけど、わ、私のこと……有彩って呼んでもらえませんか?」


 1位を突っ走っていた俺のキャラが奈落の底に落ちて行って、一気に最下位になった。

 ……なんて強力な精神攻撃だ、俺の動揺を誘うなんて卑怯な!!


「……約束したからな、仕方ないな」


「はい、仕方ありません♪」


 何かに期待するようにこっちを見てくる竜胆……ってこれ次から呼ぶ時は名前の流れじゃなくて今名前呼ばないといけないやつ?

 

「あ、……明日日曜だな」


「……はぁ、そうですね」


 いや無理!! 会話の流れの中で自然に呼ぶならまだしも急に脈絡もなく名前呼びするとか無理!!


「理玖くんは嘘つきです……なんでも言うこと聞くって言ったのに……」


「わ、悪い……」


「ふんっ、意地悪な理玖くんなんて知りません!」


 遂には頬を膨らませて、竜胆はそっぽを向いてしまった。

 高校生にもなってその子供っぽい仕草はどうなんだとか思うが、何故だか妙に似合っている。


 ……機嫌を直すにはもう呼ぶしかないな。


「悪かったって……有彩。急に呼ぶのとか、やっぱりちょっと照れ臭かったから……」


「仕方がないですね……呼んでくれたので今ので許してあげます」

 

 にこりと笑い、大きなあくびをした後に慌てて口を押さえて顔を赤くした。


 ……あぁ、口を開けてあくびをしたのが恥ずかしかったのか。


「そろそろ寝るか? ベッド使ってもいいから」


「す、すみません……あ、その……寝るまで側にいてくれるんですよね……?」


「……約束は守るよ。寝るまでだからな?」


「はい、では……お休みなさい」


 布団を被り、目を閉じる有彩の側に座り、スマホを触っているとすぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。


 寝付きが良すぎる……俺いらなかったんじゃね? 電気消さないとな。


 リモコンを手繰り寄せ、照明を落とすと辺りは闇に包まれた。

 

 さて、俺はソファで寝るか……うわっ!?


 立ち上がろうとした瞬間、後ろから何かに引っ張られて、有彩が寝ているベッドに倒れ込む。


「おおおお!? おまっ!? 有彩ぁ!?」


 そのまま眠っているはずの有彩が手と足でガッチリと俺に抱きついてきて、ホラー映画観た時よりもパニックになった。


「……え? マジで寝てるのか? 本当は起きてるとかないよな?」


「……んっ……くぅ……」


 試しに頬をつついてみたが、返ってきたのは柔らかな頬の感触とくすぐったそうに身をよじる有彩の声だけだった。


 マジでどうすんだこれ!? え? 俺今過去最大に試されてね!?


 1番早いのは有彩を起こすことだが、このあどけない寝顔を見ていると起こす気が削がれる。


 次は身体が当たる覚悟で抜け出すこと。これは正直茨の道なのでキツイ。


 そうだ……ネットだ!! こういう時こそネットの海の力を借りるんだ!!


 えーっと……同級生の女子と同じベッドで寝る対処法で検索……。


「――クソッ!! ダメだどう調べてもセックス関連の情報しか出てこねえっ!!」


 なんてこった!! これは最早ネットにすら襲えと言われてるようなものじゃねえか!!


『――おいおい、こんなチャンス逃すのか? だからお前は童貞なんだよ』


 お前は俺の中の悪魔!? 俺を誑かそうったってそうはいかないからな!!


『――見ろ、この無防備な姿。このシチュエーションで襲わない方が女性的には失礼に値するってもんだぜ?』


 さてはテメー和仁だな!? 俺の中にいる悪魔がこんな畜生なはずがねえ!!


『――おいおい、俺はお前だし悪魔だぜ? あんなクソゲス仁なんかと一緒にするなよ?』


 その口の悪さ、お前は間違いなく俺の中の悪魔だ!!


『――信用してくれたようで何よりだ。それより、早く決断しろよ童貞』


 童貞童貞うるせぇよ!! お前俺の1部なんだからお前ももれなく童貞だろうがよ!!


『――お前がいつまで経っても彼女出来ねえから俺も童貞なんだろうが!!』


『――いけません、こんなことで争っては!』


 お前は俺の中の天使!? そうか、この悪魔を倒しに来てくれたんだな!!


『――今は目の前の出来事に集中するのです! さあ、夜這いの準備を!!』


 天使なのに性欲丸出し!? 流石俺の中の天使!! 天使名乗ってる分悪魔より質が悪い!!


『――所詮天使も性欲には抗えないのですよ……大丈夫! 寝てる内に済ませてしまえば完全犯罪です!!』


『――お前悪魔の俺より発想がえげつねえな……ちょっと引くわ』

 

『何を言うのです!! 性欲の前には天使も悪魔も人間も関係ありません!! さぁ、レッツセックス!!』


 ダメだこいつもはや天使として名乗るのもおこがましいレベルでクソ野郎だ!!

 いいからもう帰れ!! 2度と出てくるな!!


『――チッ、分かったよ。おら、帰るぞクソ天使』


『――グッドラック』


 とっとと失せろ!! 親指立てんな!! 翼むしり取んぞおらぁ!!

 ……俺、やっぱり疲れてんのかな? いや、きっと理性が飛びそうになったのを無意識に防ごうとしてくれたと思おう。


 そうじゃないと自分の中の天使より悪魔の方が常識があった事実に頭を抱える羽目になる。


 ――結局、夜明けまで理性を保ち続けた俺は、有彩の拘束が緩まった瞬間に抜け出して、ソファに倒れ込み、寝落ちした。


 もう夜になろうとしている時間に起きた俺は、日曜を丸1日寝て過ごすというなんとも有意義な過ごし方をしてしまって、乾いた笑いが口から漏れた。


 昼頃に帰って来たらしい陽菜も、ぐっすり快眠だった有彩も、俺がどうして寝不足なのか、どうして夜まで爆睡してしまっていたのか知らない。


 昨夜、俺が天使と悪魔と戦いながら美少女に抱き着かれた状態で理性を保ち続けたのは、俺の中だけの秘密だ。


 ……こうしてまた夜が更けていった。

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