第22話

文字


 私は王と話すうちに、古い書物に記されているという水の「海」について、より深く知りたいと思うようになった。

「海」…その言葉には、何故かしら私の心を揺さぶる、何か懐かしい響きがある…そう思えてならないのだった。

 王の言う「古い書物」…それは、どこにあるのか。


峰の斜面に建てられている王宮。その建屋はそれほど広くない。

 しかし、私が足を踏み入れたことがあるのは、その中のほんの僅かの場所に過ぎない。

私は女に「古い書物」のありかを尋ねる。

「そんなものを見てどうするの?」

 女は訝る。

 私は王の話をもっと知りたいと思っているだけ。

「地下深くにある土蔵(つちくら)の中に仕舞われている…でも、あんなもの読もうとする人なんていない」

 けれど、王は読んだと…少なくともそこに書かれていることを知っている。

「王様だって読んだことなどありはしない。水の海のことだって、そういう『お話』が伝わっているだけ」

それでも私は知りたかった。


私は渋る女に案内させて、地下の土蔵へ向かった。


そこは、思いの外地中深く、そして広かった。

土蔵というだけあって、地下深く降りた先に扉もなく穿たれた広間のその壁は、掘り抜かれた地肌が晒され、ひどく寒々しい。

明かりは一切なく、頼りは女の翳すともし火だけ。

目に入るのは、奇妙な形をした置物、そして最早誰一人として使う者のない調度の品…その奥の一角に、目指す物はあった。

見るからに古びた書籍が並んだ棚。それが何段にもわたって壁際に幾層にも列を成す。

「さあ、この中からあなたの読みたいものを自由にお探しなさい」

 女はそう言うと、壁の窪みにともし火を置いて、既に使われなくなって数十年も経ているような調度の一つに腰を下ろした。

 探すも何も…元より、私はこの地の文字というものについての素養がまったくない。

女はそれを知っての上での、この振る舞いか…


私は文字を学ぶことにした。

女について言葉を表す文字を一つ一つ覚えていく。

文字は一音について一文字ではない。

一つの文字で一つの事物を表すものがある一方で、幾つかの文字が合わさらないと書き表せない事物もある。

それはとても忍耐を要する作業だった。

私は来る日も来る日も文字の習得に勤しんだ。

女もまた、よくそれに応えてくれた。時に私の執拗さに、嫌な顔を見せることもなかったわけではないのだけれど。


文字…

知らず知らずに私はその虜になる。

文字は、私の奥深いところに少し少し染み渡る。

それはまるで水…

一滴一滴、私の内に滴り落ちてくる、水滴のように。


気がつけば、何十という昼と、そして夜が過ぎ去っていた。



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