第60話 そこはダメ
日曜日のお昼。
マユリは昼食を作っていた。両親は家を空けている為、3人分用意すればいい。今日のメニューは海老とブロッコリーのクリームパスタだ。
マユリはできた料理をテーブルに並べていく。そして二人を呼んだ。
「イサム~、ナノハ~。お昼できたよ~。」
・・・・・・
来ない。
「ちょっと~。冷めちゃうよ~。」
・・・・・・
来ない。
マユリはしびれを切らし、2階にある二人の部屋へと行く。先ずはイサムの部屋。マユリの隣の部屋だ。
コンコン
「イサム~、お昼できてるよ~。」
・・・・・・
返事がない。
いないのだろうか。しかし弟の部屋とはいえ、勝手に入るのは憚れる。従って、マユリはナノハの部屋に向かうことにした。
コンコン
「ナノハ~。昼食できたよ~。」
・・・・・・
こちらも返事がない。
ん?どういうことだろう?
マユリはこちらにも勝手に入らず、一度リビングに戻ることにした。
はて・・・二人はどこに・・・
まさかとは思うが・・・
マユリは家に隣接している道場に向かった。今日は稽古がない日だ。しかしどういうわけか、中から気配が感じられる。誰がが居るようだ。
「やあ!はあ!」
「まだまだ甘い!」
「ひゃあ!」
ドスン
ナノハはイサムに軽く投げ飛ばされてしまう。どうやらマユリが料理を作るのに夢中になっている隙に、二人は道場に来ていたらしい。その様子をマユリは窓から見た。膝上ほどの高さの窓ゆえ、屈まなくてはいけないのだが。
二人の稽古風景を見るのはいつ以来だろう。ハラハラしながら弟と妹の組手を見つめるマユリ。
しかし、実はマユリが知らないだけで、二人は時々組手をしていた。ナノハの方がイサムに頼むのだ。もちろん妹を溺愛しているイサムが断ることはない。ナノハの希望で、マユリには知らせないで訓練を積んでいたのだ。
その空気を読んでか、マユリは声をかけられずにいた。
「もう一本お願いします!」
「よし、こい!」
ナノハは鋭い上段蹴りを繰り出すが、難なくイサムはかわす。その後もあらゆる攻撃を仕掛けるもののイサムには届かない。
焦るあまり、ナノハは大振りの攻撃をしてしまった。勿論イサムはそれを見逃さない。
グルン
投げ飛ばされてしまったナノハ。
ああ、大丈夫かな・・・
オロオロしながらマユリは心配する。だが、イサムが手加減していることは明らかだった。何故ならイサムは常に受けに徹していて、大きな隙があったときだけ軽く投げ飛ばすようにしていたからだ。それだけの力の差が二人の間にはあった。
まだまだイサムには遠く及ばない。
でも・・・
「もう一回・・・お願いします・・・」
声を絞り出しながら言うナノハ。見るからにもう満身創痍だ。
「おい・・・もうこれ以上は・・・」
「お願い!お兄ちゃん!」
妹の身体を心配するイサムなのだが、ナノハは引かない。
「・・・わかったよ。今日はこれが最後だからな。」
構えをとるイサム。マユリはワナワナしてしまった。
何してんのイサム!ナノハ限界じゃない!妹が可愛くないの?
そうじゃない。イサムはナノハの為にやっているのだ。
強くなりたい。
その気持ちが痛いほどわかるイサム。マユリの存在がそうさせるのだろう。無論マユリが悪いわけではない。そうではないのだ。二人は大好きな姉を自分達が守りたいのだ。もう守られているだけでは嫌なのだ。
特にまだ12歳の今のナノハは、二人よりもかなり戦闘能力が劣っていた。センスはいい。伸び代も問題ない。しかし今のレベルでは、暴漢5人をギリギリで倒せるくらいの強さしかない。・・・まあ一般的には十分強いのかな・・・
しかし、そんなことをナノハが思っているとは露知らないマユリは・・・
・・・止めようかな。
と、早まった判断をしてしまいそうになってしまう。だがその時、隣に黒い影が映り思い止まることができた。
クロだ。
クロが、事もあろうか苦手なマユリの隣で心配そうにナノハを見ていたのだ。その様子は、まるで子供を見守る母親のようだった。
「やぁ!」
ナノハの渾身の正拳突き。だがイサムは軽くバックステップでかわす気だ。
しかしアクシデントが起きた。
ナノハは汗で足を滑らせ、バランスを崩してしまったのだ。腕を伸ばしたまま前のめりに倒れていくナノハ。イサムは後ろに下がるのをやめ、急いでナノハを受け止めようとする。が、想定外の動きだった為、受け止められない。それどころか・・・
グムゥ!
ナノハの伸ばしたままの拳が、イサムのイサムを打ち抜いた。
「ギャァァッハハ!」
よくわからない悲鳴を上げ、崩れ落ちるイサム。ナノハも受け身をとりながら倒れる。
目を背けるクロ。
呆気にとられるマユリ。
男ってそこ、メチャクチャ痛いんじゃないの?イサム、声も出せずに痙攣してるよ?
そんな兄の様子など気にしていないナノハ。自分の拳を見つめ、笑顔を作るの。
「・・・やった。やったよぉ!お兄ちゃんに攻撃初めて当てられた~!」
魂が抜け始めたイサムの隣で大喜びだ。そんなナノハの足元に、いつの間にやらクロが佇んでいた。
「クロちゃん。見てた?あたし強くなってるよ。・・・あれ?クロちゃん?」
クロは、これまたいつの間にやらイサムの隣に移動し、座っている。そして何かをした。すると・・・
「・・・あれ?痛みが引いてきた。」
イサムのイサムが回復していた。何が起きたのだろう。あの苦しみが嘘のようだ。平気で立ち上がれるまでに完治している。一応確認してみるが、やはり大丈夫なようだ。確実に潰されたと思ったのだが・・・
まあ何はともあれ、ナノハはイサムに感謝の言葉を送る。
「お兄ちゃん、ありがとね。また稽古付き合ってね🖤」
愛くるしい笑顔を振る舞った。道着を着ていても、その姿はも最早、天使そのものだ。
「ああ、また今度な。」
散々苦しんだ後でも、デレデレ顔で答えるイサム。こんなの断れるはずがない。
二人が無事なのを確認したマユリは一度家に戻り、一階のベランダの窓を開け、何も気づいてない振りをして声を上げる。
「お~い、二人とも~。どこにいるの~。昼食冷めちゃうよ~。」
「あっ、お姉ちゃんが探してる。お兄ちゃん、早く戻ろう。」
「そうだな。」
二人は手早く普段着に着替えると、何事もなかったかのようにマユリの前に現れた。
「お待たせ。お姉ちゃん、今日のお昼はなぁに?」
「海老とブロッコリーのクリームパスタだよ。少し冷めちゃったけど、暖め直す?」
「大丈夫だよ。姉ちゃんのパスタは冷めても旨いから。」
普段通り、何気ない会話。何気ないやりとり。当たり前の日常。
この当たり前を守るために、ナノハは強くなろうと決意したのだ。
もう絶対、あたしのせいで家族を悲しまさせない。
特訓をマユリに隠している理由。それもまた、マユリに心配させないためのものだった。
きっとナノハは強くなるだろう。将来、マユリが背中を預けることができる程に・・・
無理せず頑張れ!
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・あの力・・・
マユリは確信してしまった。
やはりクロはただの猫ではないと・・・
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