第12話 想定外の悪夢

 豊前守様の屋敷は予想通り、いや、それ以上の立派さだった。

 築地塀、白木の柱、檜皮葺ひわだぶきの屋根……職人の腕もさることながら、使われている素材自体が上等そうだ。それらがすべて、きちんと磨き上げられている。大きな池のある庭には、ちり一つ落ちていない。

 隅々まで行き届いた手入れが、気品や清々すがすがしさをかもし出している。単に裕福なだけでは、こうはいかないだろう。

 それに加えて、規模がけた違いだ。うちの畑に換算したら、何個分になるのか。二条の大納言様の屋敷も美しくて広大だったが、いい勝負だ。

 その広い庭で、数人が集まってまりを蹴っている。確か、あれは蹴鞠けまりという遊びだ。別の一画には、琴や笛の演奏をしている人たちもいる。僕みたいな庶民の暮らしとは、まるで別の世界に思えた。

 僕たちは門番に案内され、女房たちのつぼねに向かった。局というのは、女房に与えられている部屋のことだそうだ。一人一人と引き合わせてもらい、顔を確かめる段取りになっている。

 何気なく庭を眺めながら歩いていると、僕の腰ぐらいまでしかない低木が目に留まり、「あ」と声が出そうになった。

 唐橘だ。濃い緑の葉に、小さな赤い実。枯れたり散ったりする草木が多いこの時期だと、いっそう鮮やかに感じられる。

 さらに少し歩くと、紫草が植えられている場所もあった。もっと暖かい季節なら、きっと白い花が咲き乱れていただろう。

 ということは、やはり女房が仕えている屋敷はここなのか。

 適当にどこか別の屋敷を教えておいてくれてたらよかったのに……と、つい考えてしまう。おそらく、とっさの状況でそこまで頭が回らなかったんだろう。あるいは、どうせ突き止められやしない、とたかをくくっていたのか。

 それにしても、うまい具合いに女房に会えたとして、物ぐさ太郎はその後どうするつもりなんだろう。おとなしく妻になってくれるとも思えない。逆に、「この男は私を襲おうとした」とか言い立てられてしまうんじゃないのか。

 そんなことを考えながら歩いていると、門番が前方の建物を指差し、

「あれが女房たちの局だ」

 と教えてくれた。

 ここまで来てしまったらもう、出たとこ勝負しかないな、と思いながら眺めていると、物ぐさ太郎が僕に問いかけてきた。

「そういえば、忠助。おまえも主から何か言付ことづかっていたんだよな? 詳しく聞かなかったが、何を頼まれたんだ?」

「え?」

 唐突過ぎて訳がわからず、僕はぽかんとするしかなかった。何のことを言ってるんだ、こいつは。

 僕の戸惑いをよそに、物ぐさ太郎はさらに問い詰めてくる。

「俺が文を届けに出かけようとしたら、『僕もそのお屋敷には用がある。主に頼まれたんだ』と、おまえが言い出したんじゃないか。だから俺は、おまえをここまで連れてきたのに」

 まるっきり意図のつかめないことを言われ、僕は話を合わせることすらできなかった。そばで聞いていた門番も、次第に表情がけわしくなっていった。

 門番以上に物ぐさ太郎は態度を厳しくし、僕を見据みすえて語気を強めた。

「まさか、このお屋敷に潜り込むために嘘をついたんじゃないだろうな? 俺と同行すれば、一緒に入れてもらえると考えて」

「はあ?」

「おまえがこんなことをするとは思わなかった。何が目的だ? 盗みか? それともこのお屋敷の内情を探るためか? これは主に対しても、豊前守様に対しても裏切りに当たる行為だぞ」

 話の展開について行けない。

 僕は単なる監視役だ。盗人ぬすっとでも間者かんじゃでもないことぐらい、こいつだってわかっているだろうに。なぜいきなり疑われなくてはならないんだ。

 物ぐさ太郎は僕に反論のすきを与えず、門番に頭を下げ、

「申し訳ありません。俺が軽率だったために、このような不心得者ふこころえものをお屋敷へ入れてしまいました。どうか、捕らえて厳しく処分してください」

 と頼んだ。じっと様子を見守っていた門番は、表情を引き締めてうなずき、

「こっちへ来てもらおうか。誰かに命じられたのなら、それも調べねばならんからな」

 と言いつつ、僕の腕をつかもうとした。僕は焦って体を引き、

「僕には悪事を働く気なんてありません! ただこいつを見張ってただけです!」

 ときっぱり否定したが、門番の心にはまるで届いていないようだ。

「そんな言い訳が通用するか。素直に認めて、取り調べに応じろ。そうすれば罪を軽くしてやる」

 とはねつけ、力ずくで捕らえようとしてきたので、仕方なく僕はその場から駆け出した。

 走りながら背後をちらりと振り返ると、門番が追いかけてくるのが見えた。それだけじゃない。物ぐさ太郎が局のほうへ走り去るのも、目の端に映った。

 これは――はめられた。

 物ぐさ太郎への怒りを湧きあがらせつつも、今の僕には、ひたすら門番から逃げるしかなかった。

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