第11話 適当に書ける文

 七条で通りすがりの人にたずねると、豊前守様の屋敷はすぐにわかった。実際に行ってみると、規模も大きく立派な作りで、当然ながら警護も厳重だった。外から見ただけでも、少々気後きおくれしてしまう。

 僕は一応、物ぐさ太郎に忠告してみた。聞く耳を持つとは思えなかったが。

「どうやって中へ入る気だ? たとえ本当にここが『唐橘の紫の門』だったとしても、彼女がここにいるという保証もない。いたとしても、おまえになんか会いたがらないだろうから、どちらにしろ不審者あつかいされるだけだぞ」

「これでどうにかなるだろう」

 物ぐさ太郎が取り出したのは、先ほども使った偽物にせものの文だった。それを手に、またもや屋敷の門番にずかずかと近づいていった。そして同じように腰を低くし、

「こちらのお屋敷に女房としてお仕えしておられる方に、文をお届けに上がりました。中に入れていただけませんか?」

 と頼んだのだが、当然のごとく、いぶかしげな視線が返ってきた。

「わざわざ中へ入らなくても、文ならお渡ししておく。どなたへの文だ?」

「主から、何としても直接お渡しするようにと命じられたんです。人に預けたのでは駄目だと。どうか、お願いします」

 門番は難しい顔つきで考えていたが、思いのほかあっさり折れてくれた。

「重要な文や恋文だと、そのように言いつける方もおられるからなあ。仕方ない。で、どなたへの文なんだ?」

「いや、それが私としたことが、こちらへ来るまでの間にお名前を失念いたしまして」

「何?」

「おまけに、文には宛名が『唐橘の紫のきみ』としか書いておりません。ですが、お顔は覚えておりますので、中へ入れていただければ自分で探します」

 門番の顔が、再び渋いものになった。当たり前だ。そんな話、簡単に信じてもらえるわけがない。

 案のじょう、門番は胡散うさんくさいものを見る目で、厳しく問いただしてきた。

「聞きそびれていたが、おまえが届けに来た文は、いったいどなたからの文なんだ? まさか、文を届けるためといつわって、屋敷に侵入するつもりではあるまいな」

 物ぐさ太郎はまったくひるんだ様子もなく、偽物の文を差し出し、これは心外とばかりに反論した。

「偽りとは、滅相めっそうもない。文ならここに本物を持ってきております」

「では、どなたからの文なんだ」

「それはあなたには申せません」

「何だと?」

「そのように主に申し付けられました。文の差出人が誰なのか、決して他の者には知られぬように、と」

 よくもここまで、嘘八百がすらすらと出てくるものだ。これだけ悪知恵が回るなら、もっと別の事に役立てればいいのに。

 門番は腕組みして考え込んでいる。

 文を届けたいが他人には知られたくない、という人は確かにいるだろう。だが、そう告げさえすれば誰でも中に入れてもらえるのなら、門番なんていなくてもあまり変わらない。

 門番は大きく一つため息をつき、

「それなら、文を書かれた方の名は聞かん。その代わり、どなたへの文なのか、もう一度おまえの主に聞いて来い。それだけでも確認せんことには、入れてやるわけにはいかん」

 と突き放した。

 あまりに予想通りで、僕は思わずため息をついた。こんなやり方、通用するはずがない。

 物ぐさ太郎は弱り切った表情を浮かべ、門番にすがりついた。

「そんなことをすれば、主にしかられてしまいます。人の名前もろくに覚えられないのか、と」

「知るか、そんなこと。本当に覚えられぬのだから、仕方あるまい」

「ならば、文の中身をお見せしましょう。主の筆は都でも指折りの巧みさ。文章も実に美しくて洒脱しゃだつだと評判です。見ていただければきっと、高貴な方の書いた文だとわかるはずです」

 おいおいおい。差出人を知られないように、と命じられている設定のはずじゃないのか。それが文の内容を他人に見せるっていうのは、いくらなんでもおかしいだろう。

 僕だけでなく、門番も妙だと思ったようだ。怪訝けげんな表情を浮かべ、鋭く指摘してきた。

「いや、待て。主は文のことを人に知られたくないと思っておられるのだろうが。中身を見せるなど、それこそ叱られるのではないのか?」

「差出人を知られぬように、とは申しつけられましたが、文を見せぬようにとは命じられておりません。それにどうせ、誰も言わなければわかりませんから」

 ……もし、こいつを召し抱える主がいたら、さぞかし苦労するだろう。

 門番はと言えば、態度に迷いを見せ始めていた。

「まあ、私は人の文のことなど、他言たごんする気はない。それに、これ以上おまえの相手をするのは面倒だしな」

 なんて言っているが、ここまでするのなら本物の文だろうと判断したのか。それとも単に、高貴な方の文への好奇心か。

 物ぐさ太郎は顔を輝かせ、門番の目の前で文を広げた。

「どうぞ、ご覧ください」

 文を見た途端、門番の顔つきが変わった。興味深げに、そこに記されている文章を食い入るように見つめ、

「これは……筆づかいも見事だが、言葉の用い方が何とも洗練されている。このような文章、よほど教養をそなえた方でなくては書けまい」

 などと感嘆していたが、やがて顔を上げ、

「確かに、本物の文のようだな。わかった。中へ入れ」

 と許可してくれた。

 あれほどの疑いが、さらさらと簡単そうに書いていた文一つで晴れるなんて。きっと、それらしい文章が美しい筆跡で書かれていたからだろうけれど……。

 僕は思わず、物ぐさ太郎を見た。なぜこいつに、そんな能力があるのか。そんな能力があるのに、なぜあんな暮らしをしていたのか。

 謎が謎のまま、僕は物ぐさ太郎に続いて屋敷の門をくぐった。

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